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嵯峨野の月#21 空海からの手紙


第一章 菜摘

二十二話 空海からの手紙

長者兎角公の屋敷に呼ばれた儒者、亀毛先生の儒教論を

「ふっふっふ、それはどうかな?」とせせら笑う者あり。

その者はよもぎのように乱れた髪。
仙人のように襤褸ぼろの衣をまとい、最初っから気配を隠していたかのように広場の隅に居て、

亀毛が得意顔で儒教論を話し終えた頃合いを見計らって自己を主張し始めたのだ。

その者、名を虚無隠士きょぶいんじという。

「哀れだな、儒者の先生よ。あんたはあんた自身のことが分かっていない。

自分自身の重い病気を治さずに、どうして他人のわずかな欠陥を指摘し、それを治そうとするのかね?

そんな奴の治療なら、しないほうがましというものだ」

亀毛きもう、目を瞠って驚き、

「病気?わしのどこが病気というのだ!?」と隠士に問うと

「賢い孔子先生とやらがお広めなすった儒教の弟子どもは、我は高邁な学問の徒であると悦に入って、
儒者以外を見下しているが、それは違う。儒者の正体は、皆世俗の欲を手に入れようと出世栄達の為にもがき苦しんで学ぶ、

砂の渦に嵌った蟻どもと大して変わらん者どもよ。哀れよのう、滑稽よのう」

虚無は床に両脚を投げ出した尊大な態度で、悄然と身をすくめた亀毛の前でさらに続ける。

「高い官位?大きな家?美しい妻?

はん!儒教とはただ目の前の欲を満たす為だけの即物的な教えだよ。

あんたら儒教の徒は、わずかばかりの幸せや楽しさが早朝にやってくれば有頂天になって喜び、神仙の楽しむ天上の清福を嘲笑って顧みないが、

反対に少しばかりの憂いが夕暮れにやってくれば、もうまるで泥に埋められ火に焼かれるかのような悲しみに暮れてしまう。

いいかね?人間の幸福は、静寂な天上の楽しみや喜びのなかにこそあるのだよ」

と主張せり。凡人なら自説を否定されて憤る所なのだがそこは高名な儒家、亀毛先生。

「先生、もしも別のより良い生き方があるのでしたら、どうぞお教え下さい」と礼儀正しく虚無の前に進み出て問う。

邸の主、兎角とかく、甥の蛭牙しつがも亀毛と相談し合って虚無に道教の教えを乞うた。

虚無は勿体ぶって

「三人とも祭壇を築いて誓約すれば、教えてやらんでもない」と自らの顎をぼりぼりと掻く。

亀毛たちは、早速誓いを立てた。

虚無はこほん、と咳を一つしてから

「いいかね?人間の幸福は、静寂な天上の楽しみや喜びのなかにこそあるのだ。天上は、もはや欲望などまったくなく、淡白であり、ひっそりとしてすべて静かで、もの音一つしない。

まさに天地とともに永く生存し、日月と共に久しく安らかな、楽しい境界なのである。なんと優れた、何と遥かなことであろう…

秦の始皇帝も、漢の武帝も、不老長寿を切に望みながらもそれは叶わなかった。

何故なら、夜毎宴を開き酒に溺れ、美女たちと閨事に耽って、己が命数を浪費なすったからさ。長寿したものと短命に終わった者…

それは自然の本性にしたがって、自らの命を保った者と、保てなかった者との相違に過ぎないのだ。

自然が誰か一方を愛し、他方を憎むことはない。しかし、人間は欲望や愛憎を持ち、目はくらみ、耳も鈍る。

だから、輝く太陽も、とどろく雷鳴も感知できない。

そのようなことで道家の生き方は、まず俗生活の欲、五穀・五菜・酒・肉・美女・歌・踊り・過激な笑いと喜び・過度の怒りと悲しみを慎み、絶つことから始める。

大切なのは道教が教えるいろいろな薬品、食餌による養生である。そうすれば若返り、命を延ばし、また水上を歩み、鬼神を使い、天空にのぼる。命は天地日月のように長い」

虚無のご高説を賜った兎角公と蛭牙公子と亀毛先生の3人は、今後「末永くこの道教を味わって参りたい!」と声をそろえた。


途中だが、儒者亀毛が道教に転んだ所まで読んで神野は「亀毛、転説早いな!」と思いながらも時は真夜中、

四夜目で私度僧空海からの手紙を読み終える筈だったのに眠気に負けて頓挫してしまった。

さて、五夜目。

「親王様、もう勘弁してください…今夜は寝かせてください…」

と憔悴しきった高子が脇息に突っ伏して哀願するのを、神野は

「うむ、もう一人で読める。問題ない」と快諾して高子を寝かせると、

自分が文章解説に付き合わせて四晩も高子を寝かせず済まない事をしてしまった…と申し訳ない心持ちになりながらも、

隣室の壁で聞き耳を立てている侍女たちが「もう寝かせて下さい」という高子の言葉に「連日どんな激しい閨事を!?」

と誤解しきっているに違いない、と思うと面白くてたまらずついにやにやしてしまう。

昨夜は私度僧空海その人ではないか?と思われる仮名乞児の登場あたりで自分は眠ってしまったので、

今宵こそは最後まで読破するぞ!と意気込む神野であった。

読んでは高子の褥の下に隠してを繰り返し、すっかりくたくたになった手紙を広げ、空海の書いた物語「聾鼓指帰ろうこしいき」の世界に没頭した。


亀毛と虚無の論争の顛末を見届けてから「あのう」とみすぼらしい姿をした剃髪の仮名乞児という青年僧侶が初めて発言した。

こいつ最初から広場に居て、とりあえず全員の主張を聴き終わってから発言するなんて性格悪い奴だな。と神野は思ったが

そこから始まる仮名、というか空海自身の仏教論に引き込まれずにはいられなかった。


「お二人ともその主体は雷光に似たはかない身体でありながら、生物の1人として囚われの人生を過ごしており・・・

その住んでいる世界は…仮の世界なのです」と。

我の居る世界が、かりそめの世界だと?

読者、神野親王の心と共に登場人物全員が、固唾を飲んで仮名乞児の弁論に耳を傾ける。

後記
コント三教指帰、現代語訳前半。


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