有限会社自転車操業6・お裾分けの行方
「ほんっとーに些細な話なんですが」
と双葉が弁当箱の中の白ご飯の上にふりかけをまぶしている時、お金のプロである上司に世間話風に聞いてみた。
「なんだね?皆藤くん」
と敦はほうじ茶を一口飲み、さっきコンビニで買った鮭弁当のご飯から梅干しを取り除きながら、
さあかかってこい。どーんなくだらん質問でもオッケーだよ。
と余裕の笑みをかましてくれた。
「コンビニや小売店で貰うレシートってあれ、捨てていいもんなんですか?私は家計簿付けてるのでいちいち『下さい』って言ってますけど」
「いい質問だね、ふた昔前は目の前で店員に平気でレシート捨てられてそれを当たり前だ。と見ていた人々が今は泣きを見ている。そんな時代だ…け、ど、も、
民法486条『弁済をした者は、弁済を受領した者に対して受取証書の交付を請求することができる』つまり、法律上は任意だ」
と答えて鮭の塩焼とご飯を口に入れて咀嚼し、ええ塩梅や。と言ってほうじ茶で流し込んだ。
つまりそれって、客側であるこっちがいちいちくれって言わなきゃいけないってことかい?
と双葉は昨日の仕事帰り、ストッキングを買った洋服屋の新人バイト店員がレジから出てきたレシートをまるでトイレットペーパーの如くちぎってゴミ箱に捨てそうになったんで、
「ちょっと待って下さい。そのレシート下さい」
と柔らかい口調ながらもすっと目を細めて睨む寸前の目付きで店員の女の子を見返し、右手を軽く上げて制したので、迫力負けした店員の女の子は慌ててレシートをくれたのだが…
「じゃあ何かい?
客が何も言わなかったらほいほいレシート捨てまくって当然なんかい?って話なんですよっ。
家計を管理するものにとってはレシートって大事なんですよ!」
と双葉の口調が段々熱を帯びてくるので敦は
ははーん、さては目の前で店員にレシート棄てられそうになって慌てて取り返してムカついてるクチだな。
とほぼ完璧に双葉の事情を察し、
「確かにレシートは法律で発行の義務づけはされていない。が、客側は交付を請求する権利がある。
客側がレシートをくれ、と言うのは権利だ。何も恥ずかしい事ではない。
…皆藤くん、クールダウンして弁当食べよっか?」
と敦に苦笑されて双葉は思わず自分の席から立ち上がっていた事に気付き、慌てて食事に戻った…
弁当の後で双葉はコンビニで買ったティラミスを出している間に敦がお茶のおかわりを淹れてくれていた。
面接の時に飲んだ紅茶もそうだが、コーヒー緑茶ほうじ茶の全てにおいて、敦が淹れてくれた飲み物は確実に美味しい。
ええか双葉、お茶淹れるんが上手い人間に悪い人間はいない。
と神戸の実家にいる母が、取って置きの日本茶を淹れる時に急須を回しながら、均等に湯呑みに茶を入れてくれる時の口癖を双葉は思い出していた。
「ところで皆藤くん、全ての個人事業主がレシートをいちいち発行しなくて済むようになったらどうなるかな?」
と、九条税理士事務に入って三週間めの双葉を試すような質問をするので双葉は
「そりゃ売上金額を証明する証書をどのよーにしてもいい。って事ですからヒャッホーイ!とレシート燃やしまくって売上の申告を低く報告して脱税しまくるでしょうね」
「ほぼ正解」
と、敦は満足感そうに頷いてコンビニ袋からデザートのギリシャ風ヨーグルトを取り出した。
「そりゃ商店主のおっちゃんおばちゃん全員がレシート破いてこぞって脱税しまくったらグリース(ギリシャ)は国ごと経済破綻しますがな。
はははー、いいかい?儲けた分税を払うのは経済の基本だ。僕らの仕事は顧客の収支をチェックし、儲けに見合った適切な税の支払いをお助けすることなんだ。
節税のアドバイスをする。粉飾決済をさせない。自分に厳しい人間でないと税理士は務まんないよ」
と言いながら敦はスプーンでギリシャ風ヨーグルトを食らってうん、濃厚で旨い。と呟いた。
ギリシャを食らいながら納税の基本と税理士の職務を説く敦を双葉は、
なんだかすっげえ嫌味だけど、言うことはもっともだ。と思った。
レシート一枚に笑う者は、窮してレシート一枚に泣く。
双葉のスマートフォンに実家の母、喜代美から電話がかかって来たのはその日の夜8時過ぎ。
夕食の一人鍋の水炊きを食べ終え一息ついてこたつの中でうつらうつらしている所を起こされたので
「んもう、用事があるならlineしたらええのに」と不貞腐れた声で返事すると、
「一人暮らしの娘の生存確認して何が悪いん?」
電話の向こうの母はそれが当然やろ?とでも言うようなきっぱりした口調。
「就職おめでとう、って言葉は口で伝えたくて電話したんや。仕事慣れたか?」
ええか?人生の節目の言葉をちゃっちゃとモバイルで済ませるもんやない。
それでは心が伝わらへんのや。
というのが小さい頃からの母の教え。
「…ぼちぼちやな。毎日領収書の整理に追われてる」
「ぼちぼちぐらいがちょうどええ。ほな続きはlineで」
と一方的に電話を切った母は、
ウルカリでええもん買うたで。
とトークの次に送られてきた写真の蓮の葉っぱの模様をした五枚組のお皿を食い入るように見た。
確かこれは富子先生がコンビニの奥さん信子さんにプレゼントした皿…!
「双葉ちゃんのお母さんは交渉上手やなあ。3000円で出品したものを2000円に値切られてもうたー」
と翌日の夕方、レジで写真を付きつきられた信子さんは悪びれもせずに双葉がレジ台に置いた「室町会計早分かり」のマニュアル本のバーコードをぴっ、とスキャナーで通して、
「580円の会計になります~」と営業用のスマイルを双葉に向けた。
そら最初はもうけた!思て炒め物や煮魚料理乗せて出してたんよ。
そしたら家族がレンチン出来ない皿なんて要らん!言い出して使わなくなってしもうて…
食器棚の中の出番の無い皿見る度になんかムカムカしてもうてなあ。
燃えないゴミに出すよりはウルカリでお金に変えた方がええ思うて。
売りました。
とgood!と親指を立てるスタンプをline上で送ってくれた信子さんに双葉は、
母は一目惚れで買って喜んでいるからそれでいいと思います。
とトークを送り。深々お辞儀するスタンプを信子さん送信した後、今度は養護教諭の和泉先生に電話を入れて
「本当は好きでない人から貰ったモノを使えないでいます。どうしたらいいでしょうか?」
と、相談めかした口調で聞くと、
「ああ富子からもろた南部鉄の急須やろ?オブジェとして飾ってたらええねん」
と養護教諭として思春期の少年少女の心の悩みを聞いてきた和泉先生はずばっと双葉の心を言い当て、からから笑った。
「す、鋭い…」
「仕事の半分が生徒の心理カウンセリングみたいなもんやから」
「そういう和泉先生は富子先生大っ嫌い度MAXなようにお見受けしたんですけれども…貰ったお抹茶茶碗どうなさってます?」
電話の向こうで和泉先生は少し黙り、
「ネットで調べたら底値三万するええ茶碗やった。捨てるのも勿体無いし、すぐウルカリに出すとバレるかも解らんから今のとこカフェオレボウル代わりにしてコーヒー入れて飲んでる」
「それはオシャレですねー、なんかすっきりしました。じゃ」
と双葉が電話を切ると真木和泉《まきいずみ》33才独身は煙草に火を付け一本吸いきってしまうと吸殻をためらいもなく机の上の抹茶茶碗に押し付けた。
加寿子《かずこ》さんからは
「くれた人は嫌いやけど花瓶には罪無いからお花生けてるよ」と割りきった答えが。
「あ、ウチは実家の親戚が骨董好きなもので写真見せたら欲しがってたからあげちゃいましたよ~」
と郁美さんは今の寒さを我慢すればやって来る春の陽気のようなおっとりした口調で答えてくれたので双葉は問題なし。と思い、
「そうですねー欲しがってる人にあげると喜ばれますものね」
と郁美さんの同居する姑への不満や娘の同級生のママ友付き合いが不安だという悩みを黙って5分聞いてやり、
「あ、職場からメール来たんで切りますね」と嘘を言って電話を切った。
結婚したらしたで大変なんだなあ…と大人しそうな外見をした郁美さんに双葉はなんとなく同情した。
喋るだけ喋ってすっとした郁美さんは喉の痛みを覚え、風邪かな?
それとも普段人とちゃんと喋ってないから喉が疲れたかな?と思って喉を押さえた。
実は、郁美さんは双葉に嘘をついていた。
富子先生宅のお食事会で貰った二枚組の桔梗の花が刻まれた白い角皿を…
帰ってすぐ、姑が外出した隙に床下収納に隠していたブルーシートにくるんで自宅の風呂に持ち込みでハンマーでぐしゃぐしゃに叩きまくって壊し、燃えないゴミと一緒に棄ててしまっていた。
だって、これが数少ない私の楽しみなんだもの。このハンマーを、
本当は憎い姑に
経済的に義両親の下位で同居を決めた夫に
育児が思い通りにならない時、
本当は生まなきゃ良かった。と思わせる娘に振るうよりはマシでしょ?
とハンマーを振り下ろす郁美さんの顔には愉悦の笑いが浮かんでいた。
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