電波戦隊スイハンジャー#163 翠玉2
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
翠玉2
「あなた方が暮らす星は、ここです」
とシッダールタが池の水面に映し出した惑星は…なんと深い青色の美しい星だったことか!
「地球(ちだま)、アース、テラとも呼ばれる星です。見た目は美しいが、あそこに住まう人間の有り様は、醜悪なのです。
私が生前弟子たちに伝えた仏法によって少しでも調律出来たらいいが、それでも限界があるでしょう」
醜悪?
こんなに豊かな大気と水と緑に満ち溢れた若々しい星なのに。
と水の結晶が凝縮されて創られた宝玉のような地球を見つめながら、この星の民もまた、私たちみたく自滅の道を選ぶ運命にあるのか…と重苦しい気持ちになった。
「実は、ある人物から『観音族を救ってほしい』と頼まれましてね。あなた方観音族こそ、私が伝えた仏法に従い、
人間を正しき方向に導くことが出来る者たちなのだと判断し、星の爆発で出来る時空のゆがみを利用して観音族をここに転送した訳です」
シッダールタの話を聞いている間に傷ついた観音族は天女と呼ばれる褐色の肌をした侍女たちから手当てを施され、
血で汚れた衣を着替えさせられ、木の器に盛られた乳粥をふるまわれて、やっと一息ついたのだった。
「従うなら助ける、と言われた仏法とはなんなのですか?我らが恩人シッダールタよ、教えてください」
私たち観音族は長い時間をかけて、シッダールタの説く仏法の教えに耳を傾けた。
やがて一通り聞き終わると観音族全員で目を見合わせ、意識を通わせ合い、王である私が代表して不躾なる質問をしたのだ。
「…それは、私たち観音族が先祖代々『普段からやっていること』なのですが」
「その通りです。地球の人間は、平和的に暮らす努力をするより排斥する簡単さを選び、長い歴史の中で争い、滅ぼし合って来ました」
シッダールタは、非常に痛い所を突かれたという顔をしていた。
何故なら私たち観音族の問いは、
自制心を持って敵を作らず殺さず。そんなこともできないのか?
という極めて単純なものだったからだ。
「私は生涯をかけて、仏法として弟子たちに伝えたつもりなんですが…
正直言って教えが百年先まで続くかどうかも分からない。
まだまだ実践すること自体困難なのですよ。地球の人間は」
そう言って立ち上がって水面に映る地球の映像を、実に心配そうな瞳で見つめるシッダールタに私はじめ一族の者たちは、
この方は、あの星の醜悪な人々の中から生まれたにも関わらず、非常に私たちに近い無垢な心を持っていらっしゃる。
どうやら須弥山と呼ばれるこの場所は生きた者たちの世界ではないらしく、
シッダールタも、地球で年老いて生を終えてからここにいる存在なのだという事を彼の思念と生前の記憶を読み取って「学習」していた。
葉子よ。私たち観音族の学習能力と情報処理能力は、宇宙のどの種族よりも高いのだよ。
「観音族よ、あなた達は私より遥かに前の、仏法の実践者です。どうかあの星に降下して、未熟な人類たちを助けてもらえないだろうか?」
観音族みなの答えは同じだった。
我々は、もっとひどい目に遭って来たのだ。
無言のうなずきを持って私はシッダールタの願いを聞くことにした。
自分たちに出来ることは宇宙の歴史の中で何億回もあった生命体の自滅を遅らせるだけのささやかな事かもしれない。
移住をする前に50億年ちかく前からの地球発生から生命誕生、獣からヒトとなる生き物の進化や、ヒトが住みよい場所で安住の地を見つけて独自の文明形態を発展させるまでの歴史を必要な情報として収集、分析し尽くしてから、
異形の生命体である我々が迫害されないように深い森の中を住処として定め、「本当に困った人間」たちの前に現れて救済する、と役目を持って地球に降下したのだ。
私たちは、ある文明からはエルフと呼ばれ、またある文明からはアナーヒターとも呼ばれた。
そして、東洋では観音、と呼ばれ現世に救済を施す存在として文献に名を遺す事になる。
シッダールタとの約束通り、私たちは出来るだけの働きをして寿命を迎えて死に絶えた…つもりだった。
葉子、もうここが死者の世界だとなんとなく気づいているみたいだね?
君が落ちた須弥山の蓮池は、生と死の境界そのものなのだよ。
君とその童子が降りて来たこの星も、2500年前に我々の力によって爆発させたもう存在しない星なのだ。
「ここが死後の世界!?だってうち、まだ肉体あるよ!」
と叫んで葉子は立ち上がった。
「生きている者を強引に蓮池の下の世界に引きずり込んでしまったのだから、ブッダ様のお咎めはいくらでも受けるつもりだ」
千手観音は素焼きの器に盛った干した果実を食べなさい、と言って薦めた。
干しなつめを半生にしたような観音族の菓子を葉子は口の中に放り込んだ。噛むと予想以上の甘味と花の香りが下に広がって、
葉子は素直に「美味しい…」と呟いた。赤銅色の茶碗に入れられた茶をすするとこれも香ばしくて美味だった。
「さあ話はこれからだ。シッダールタとの約束では観音族は地球人をささやかに救済する以外に人間たちと関わってはいけないし、
自分たちの過去を語ってもいけない。ただ、生き残った33人の観音族が生存を許されたのは、一代限り。
死んでも転生することは許されない」
「それって…生きて移住はしても子供を作ってはいけない、ってこと?」
千手観音は首を振って
「家族を作ることは許された。ただし、観音族同士の結婚である。このような異形では好いてくれる人間もいないだろう」
と言って自分の頬の産毛を人差し指で逆撫でして見せた。その動作が終わると急に深刻そうに眉間のしわを深くした。
「ところが、やはり例外もあったのだ…私たち33観音が死に絶えて間もなくの事だ。遺された子孫たちは、寂しかったのだろうな、森から抜けてわざと人間の姿に変身して地球人と交わって子を作ってしまった。
でも生まれた子は普通の人間だった。その子らは人間文明の中に入り、自分たちが異星人の子孫であることも知らずに世代交代を繰り返した。
地球の環境に適応する為にヒトの遺伝子を取り込んで人間に擬態する必要があったのだ。生物として仕方のない事だ。
やがて2500年の時が経った。今では観音族の血はほとんど薄められ、現世には何の影響も及ぼさないと思われた」
と言葉を切って茶を一口すすった。
「でも、お母ちゃんもうちも、観音族の姿になれる。力も使える」
「20世紀に入って間もない頃だ。ごく少数だが観音族本来の姿にメタモルフォーゼ(変態)する者がいたのだ。
これは宇宙人類学者ツクヨミ王子の学説だが、
世界情勢が戦乱へと激変し、地球全体での生命の危機を感知した時、観音族は自分を守るために本来の力を取り戻すのではないか?と。
葉子、その者が君の先祖だ。
その者は最も過酷な環境で生まれ、己が生まれを、自分を迫害してきた人間を恨み、やがては人類の粛清を企てる、地球で最もおぞましい男になってしまった」
「マスター」と呼ばれる権威のある人物が、
秘密結社、プラトンの嘆きを作った。と野上のおっちゃんから聞かされた事がある。
葉子の顔から血の気が引いていくのを見ながら千手観音は話し続ける。
「その者は自分と同時期にメタモルフォーゼした観音族を世界中探して見つけては同胞にし、小さなコロニーを創った。
それが結社プラトンの嘆きで、創設者の男はマスターと呼ばれて世界情勢に不満を持つ権威者たちを虜にし、
今現在の狂った社会情勢を裏で操っているのだ。葉子、そいつは遺伝子上の君の祖父だ」
とくん!と葉子の心臓が激しい動悸を打ち始めた。
なんや…この地の底に引きずられるような恐ろしい感覚は?
ちょうどお母ちゃんが心臓発作で倒れたって聞かされた時の感じや!
「葉子、今から最も肝心なことを伝えるよ」
と千手観音が葉子の耳元にあることを囁き、葉子は無意識に寄り添ってくれていたひこの手を痛くなるくらい握った。
後記
葉子にとってあまりにも酷な真実
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