電波戦隊スイハンジャー#96

第六章.豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行

いなおり鉄太郎4


2003年8月13日の夜である。


野上鉄太郎は書斎の末孫の聡介を呼び出していた。


「明日は朝5半に着替えて道場に来い」と伝えてくるりと背中を向けた。


いつもは6時から朝稽古が始まるのだけど、念入りに稽古をつけたい時に開始時間を早めるなんてよくあった事だから、聡介は特に気にもしていなかった。


「はい」とだけ答えて聡介は出て行った。やれやれ、柔軟運動を念入りにしとくか。


古本で埋め尽くされた書斎の中で、鉄太郎は沈思黙考した。


性格にまだ難ありだがあいつは無事に成人し、おれも齢90を越えた。


いよいよあいつの、そしておれの人ならざる力。あいつに眠る人格「荒魂」の正体を教えなければならない。



力を調整しろ、怒りに身を任せるな、「荒魂」を鎮めろ!と繰り言のようにあいつに言い聞かせた。


自分の正体を知らなきゃ、3つの頃から血が出るほどシゴかれてきたあいつも納得いくめえよ…



長く生きている内に手足は細くなり、頭髪も額の横から禿げてきた。聡介に「ベ○ータハゲ」と呼ばれたんできつく投げ飛ばしてやったが。


気力は充実してても肉体は確実に衰えてきている…


鉄太郎ははだけた浴衣の胸元にぱたぱた、と団扇の風を送り込んだ。


書斎の窓は開け放たれ、網戸には羽虫がへばりついている。


渦巻きの蚊取り線香の白い煙が蚊遣りから立ち上り、紛れ込んだ蚊が一匹、ぱたりと落ちた。


そのうちおれも、こうなる時が近づいている…



翌朝、指定された通りに5時半に白い道着黒袴で道場に入って神棚に拝礼、お神酒、水、米、塩を替える。


祖父が来るのはたぶん6時前だろう、と予測して聡介は準備運動をひとおおり終えて、うっすら汗を掻いてから道場の真ん中で正座して鉄太郎を待つが、来ない。


6時半、近所の子供たちがラジオ体操を始めるのが聞こえ…じじい、寝坊してるな。聡介は立ち上がった。


「聡ちゃん!」と姉沙智が道場の入口で荒い息をついている。様子が只事じゃなかった。


「おじいちゃんが…おじいちゃんが息をしていない!」


庭の草下でこおろぎが鳴いていた。


2003年8月14日早朝、野上鉄太郎死去。享年92才。


その孫、二十才《はたち》。野上聡介は真相を何も知らされぬまま祖父に先立たれた。



「それから10年、あいつはあいつなりに頑張って生きて来たよ。医学を修め、博士号まで取って人様を治す仕事をしている。


最年少で黒帯七段を取り、去年の誕生日に30になったんでもういいだろう、と幹部会の満場一致で柳枝流二代目道場長座に就いた。


周りから見りゃ立派な青年だろう。だが…あいつは心にいつも虚無を抱えていた。今もだ。原因を作ったのは…すべておれなんだよ」


「なるほど、鉄太郎さんは聡介先生とご自分の怪力と変身能力の理由を知っていらっしゃる。しかし、聡介先生には伝えないまま死んでしまったことが心残りなんですね?」


まーそーゆーことだよ、と話し終えた鉄太郎は正嗣が淹れた食後のお茶を一口すすった。


「単刀直入にお伺いすると、それは出生の秘密なんですね?」


8日の夜に見た変身した野上聡介と榎本葉子の戦い。あれはもう「人間」の域を超えている。


私が人様の思考を読み取るのとは訳が違う、なら、銀髪銀目の人種は、「どこ」から来たのだろう?


「そ。おれが知ったのは70過ぎた時だったが…


年老いたおれでも事実を受け止めるまで苦しんだよ。まして年若い聡介が知るのはキツイかなぁ、と思ってずるずる黙ってきてしまった。


まさか教えようとした日に死んじまうなんてなあ。幽霊だから語り合うこともできねえ。悔いの多い人生だった」


そう言って鉄太郎は自嘲気味にくくっ、と笑った。


「10年間手は尽くしてきたんじゃないですか?例えば、夢枕に立つとか」


「試してみたけど全部無駄だった。あいつは霊的な不思議な事象には徹底して拒否反応を示した。


占いも信じないどころか嫌悪する奴だ。あいつの中の『荒魂』に人格が食われないように強い自我に育てたんが裏目に出た。


もーこーなりゃイタコの口よせみたくあいつが信頼する奴に伝言しようと思って…」


あ、と正嗣は自分自身を指さしてどうして鉄太郎がこの寺に来たのか理由が分かった。


「そうか!聡介先生の友人で霊媒体質の私に伝言、つまり『口よせ』をさせようと」


「そ」と鉄太郎は正嗣を指さしたがすぐに手を引っ込めて首を振った。


「でも君に一目会って気づいた。聡介が心を許した正嗣くんこそ、利用してはいけない人間だ。

君も自分の霊媒体質を疎ましく思っているクチなんじゃないか?


利用したら、君と孫の人間関係に傷をつけると思ってな。おれはもう諦めたよ」


私が霊視で見てきた先祖霊、未浄化霊、地縛霊はほとんどが自己主張の塊で、現世の人間や子孫をコントロールしようとする。


人間て、死んでからの方が馬鹿なんだ。もう失うものがないからか。とばかり思って来たが…


「鉄太郎さん、優しいんですね」


「臆病なだけだよ」鉄太郎は照れて頭を掻いた。


自分も、空海に自分の特殊能力を消してくれ!と哀願して、出来ぬ、と言われてこの家からも自分からも逃げ出した。


誰もいない所へ行きたい、とテレポートを繰り返した果てに屋久島の縄文杉の前で…野上聡介と出会ったのだ。


暗闇で顔も見えぬままこわごわ語り合った。最初に、竹林を吹き渡る風のビジョンが見えた。生真面目な青年なのだろう、と好感を持った。


しかし、戦隊として一緒に戦っていく内に…この強すぎる青年の心に、救済の必要な脆い部分がある、と気づいたのは榎本葉子戦の後だった。


とうとう俺は、子供まで傷つけてしまった…と夜の高台寺で会った聡介は、心で嘆いていたのだ。


「鉄太郎さん、時間が無い。もう聡介先生の心はパンク寸前です。皆の前で変身して葉子ちゃんに重傷を負わせてしまい、自分から戦隊離脱しようとまで思い詰めている、私も協力します」


「でもどーやって?」鉄太郎は雑誌サライをめくりながら尋ねた。


「考えます、聡介先生が納得いく方法で」


びおん。


何やら典雅な音声が正嗣と鉄太郎の脳内に響いた。


「琵琶だ」と鉄太郎が呟いた。ぴーん、ぴーん、ぴーん、ぴぴぴん。


「曲調からして祇園精舎でしょうか?」


「いんや、弾いてる奴の即興だな」


「私たちに聞こえる、じゃなくて聞かせているんだ奏者は…空海さん?」


何を企んでる?あのクソ坊主。それにしてもいい音だぜ、よほどの名器で弾いてやがるな…



光彦を家まで送り届けて聡介が自室のスライド書棚を開けると、


そこは次元を超えた病院「エンゼルクリニック」の診察室。デスクの前では白衣姿のラファエルが平蔵の顔の包帯を取っているところだった。


一昨日の晩、顔に下駄をめり込ませたまま運ばれてきた患者、長谷川平蔵の顔面複雑骨折のオペを「医聖」大天使ラファエルが執刀した。


聡介は途中まで見学させてもらったがラファエルの手術のスピードと丁寧さに感嘆するばかりであった。


世界中にこんな腕のいい外科医がいるだろうか?いやいない。と即座に聡介は自答した。だってこいつ、人間じゃねーんだもんな。


夜12時を回った頃「時間がかかるからそーすけは寝なしゃい」と執刀医命令により退場させられた。


手術からまる二日経って包帯を取り去った平蔵の顔は傷ひとつ残らない大成功であった。


おぉ…と平蔵自身が鏡で自分の顔に触れて「元のまんまじゃねえか、すげえな」と感嘆のため息を漏らす。


「鬼平さん、あんた期待はしてなかったけど実際の顔はふつーのおっさんなんだな」


「うむ、ドラマの影響で最近の死者から良く言われる。『ええー、吉ヱ衛門さんじゃないのー?とりあえずサイン下さい』とな。ったく、最近の死者は失礼で図々しいものであるよ」


「まあまあそれが時代の流れですよ、退院おめでとうございます長谷川さん」


診察室の奥の自動ドアが開いて空海が出てきた。古めかしい大きな琵琶を抱いている。


「退院祝いに琵琶法師なんて不吉極まりねーなー」


はっはっはっは、と屈託なく笑う平蔵の江戸なまりといい、仕草といい、亡き鉄太郎じいちゃんに似てるな


と聡介は思った。


しかし、鬼平の顔面に鋼鉄の下駄めり込ませるなんて、どんな鬼畜なんだろう?


その鬼畜がまさか自分の祖父だとは全然知らない聡介であった。


この傷害事件については空海が徹底的に緘口令を敷き、鉄太郎の脱走自体を揉み消してしまった。


「その琵琶ペルシア様式?螺鈿細工の象…日本史の教科書で見たような見ないような」


「へえ、これが『玄象』ですがなにか?」


玄象。遣唐使が持ち帰り朝廷に献上された琵琶。


村上天皇が特に愛し、その後中世ごろから剣璽と並ぶ皇位継承を象徴する品物として宮中において重く扱われ、皇室第一の宝物とされた。


一説によると壇ノ浦の戦いで安徳天皇と三種の神器と共に船上に持ち出されるが水没の憂き目に遭う事なく平家滅亡後は後白河上皇の元に戻された、という。


その後、行方不明。


「国宝じゃねーかっ!?本当なら正倉院に置いとくべきお宝じゃね?」


「へえ、実はわしが『お救い申し上げた』んです。亡き村上天皇が後白河みたいな奴の所に私の愛器があるのが気に喰わない、取り戻しておくれ、と仰るので」


国宝窃盗の罪を随分きれいな表現で空海は白状した。


「盗品なんだな…おれいちおう機動警察の長官だったんだけど」


やっぱり悪い坊主だな。平蔵は空海をやっぱり得体の知れない奴、という目で見た。


「800年以上経てばもう時効」


そう言って空海は診察室の床に玄象を抱くようにあぐらをかいて、撥と爪先で調弦(チューニング)を始める。


びーん、びーん、び、び、び、びーん…。


艶のあるいい音だな、と音楽教師の叔母からピアノとバイオリンを手ほどきを受けた聡介は目を閉じて玄象の音色に聴き入った。


「音楽療法です。即興で弾きます…これに謡いしは、遥か遠き国より下りし海王の唄」


碧海の底に龍王の宮あれり 


蝦蛄 珊瑚 瑪瑙に囲まれし宮の底


龍王の愛し子たちあれり 末の王子 母恋しとしほたるる 


眼(まなこ)より 落つる涙止まらずに やがて海となれり 


海溝 海淵 まで 母を探すも 根の国見当たらず


王子さらに泣きて 碧海嵐を呼び 宮荒れに荒れる


王子首(こうべ)を垂れる 父龍王思案し 娘乙姫の音声を持って王子を癒す


一時(ひととき)は収まるも 愛別離苦の哀しみは癒えず 


あなあな哀しあな寂し苦し


現世(うつしよ)は生き難し


何故 愛(めぐ)し昔 美し過去ばかり 人は追い求め 


現から目を反らすのか 愛した伴侶 育てし子 兄弟(はらから) 朋輩(仲間) 今は全て疎ましや


まさに今 怨憎会苦(おんぞうえく・周りの人皆憎し)の世になりや


今は昔となれども 愛し思ひ出 茉莉花(まつりか)の如く 甘し…


てぃん、ぴーん、ぴ、ぴ、ぴーん…


歳経りて 涙の井の戸は 涸れるとも 吾が胸の内の玄海は溢るる…


年を取り過ぎて何があっても泣くことは無くなったが、私の心の内の、黒い海は溢れるばかりであるよ。


「どうした?野上先生」


泣き濡れている聡介の顔に平蔵はぎょっとした。確かに後半から哀しい唄だが。


「なぜだろう?涙が溢れてとまらねえんだ…俺、メンタル強いつもりでいたのに…」


聡介は頭を抱えて空海の前に崩れ落ちた。


思いだせ…


俺は、宮殿の奥で大事に育てられていたが、いつも泣いていた。母上!


父王はお前には母はいないのだ。と言われた。


なにゆえですか?


最初から、お前は母を持たぬ。生まれる前に身罷られたのだ。


やはり、姫にしかお前を宥められぬな…


その少女は美しかった。自分と同じ銀の髪と瞳。


彼女の喉に、渦巻きの形の痣があった…


彼女の音声には人を宥め癒し、従わせる力があった。


俺はその人を、なんと呼んでいた?


「あ…姉上!」


うああああぁ、と千切れるように叫んで聡介は昏倒した。


「精神崩壊寸前でしたよ!ちょっと手荒すぎじゃありませんか?」


ラファエルが聡介に駆け寄って鎮静剤を注射しようとするも空海がそれを止めた。



「退行催眠です…さあ、聡介の中の『荒魂』はん。もう聡介に対して責任を果たす時ではありまへんか?逃げているから聡介が苦しむんです」


空海は聡介の頬に手を当て彼の奥の「もう一人の男」の話しかけた。


「母さんが…母さん」


「ん?」


「母さんが、俺を見捨てたんだ。俺が暴れて何もかも壊すから…母さんは俺に会うのが辛いんだ。俺が父さんに生き写しだから…

荒魂のように元よりいないと諦めれば楽になるのか?


諦めても諦めきれぬよ…かといって自ら棄つる強さもない」



聡介の中で「荒魂」が表面に出ようとしていた。瞳が銀色に輝き、朗々とした声で男は語った。


「もう吾と聡介で折り合いを付ける時かもしれぬが…聡介の自我、というより心の壁が強すぎてな。ふふ、大王と呼ばれし吾が圧されるとは…


遍照金剛よ、鉄太郎及び戦隊の仲間と協力して『壁』を破ってくれないか?頼む」


「承知」空海は男の手を強く握り締めた。


顔中に涙の跡を残して聡介は眠ってしまった。


おい鉄太郎、と平蔵は心の中で自分に狼藉を働いた友人に呼びかけた。


お前がおれをぶっ倒してまで現世に留まるのは、この迷える孫の行く先を案じてなのだな…


すっげえ痛かったけど、水に流すしかねぇか。


鉄太郎と正嗣は泰安寺の中庭に出て、全てを聞いていた。


「野上先生と荒魂さんが激しく泣いていましたね…」


「やりやがったな、あのくそ坊主」


鉄太郎は夏の夜の闇にちょっ、と舌打ちをした。


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