電波戦隊スイハンジャー#164 翠玉3
第8章 Overjoyed、榎本葉子の旋律
翠玉3
「よーこねたん、痛いにゃ!」
とひこが声を上げたので葉子ははっと気を取り戻して「ごめんな」と傍らの幼児を慌てて抱きしめた。
ひこの黒髪からはお日さまの匂いがする。その匂いを胸一杯吸い込んで葉子は心を鎮めた。
この子が傍にいてくれへんかったら、今言われたことにうちは打ちのめされていただろう…
「さて葉子よ」と千手観音は葉子たちの手を取ってツリーハウスの外に連れ出した。
宙を浮きながら降り立った森の中の広場では、千手観音と妃の十一面観音以外の観音族たちがやはり皆地面から数センチ浮いて待っていた。
33観音というから王様とお妃以外の31人いるのだろう、と葉子は推測した。
しかし不思議な人達だ。ほとんど口を開かず視線を交わし合って「想い」を伝えるのが観音族の意思伝達の手段のようだ。
彼らの髪の色は一人ずつ微妙に違っていて、紫、オレンジ、ピンクなどの単一の色と白髪がストライプ模様になった独特の髪色は、密林に羽根を広げる南国の野鳥みたいだ。
なんて美しく穏やかな一族なんだろう。それでもこの人達を焼き払い、滅ぼそうとした者たちがいたのだ。
そこまで思って葉子は慄然とした。己が考えを押しつけ合い、融和の努力を面倒くさがり敵を滅ぼす簡単さを選んで最後の一人まで殺し合う歴史を、
今現在、地球の人びとは繰り返し実行しているやないか!
全く、何千年生きていても人間ってのはアホや。
「ここからは私が責任を持って送り届ける故」
と千手観音が仲間たちに言い置くと観音族たちは両手を上げて花びらが開くように両手のひらを星が輝く夜空に向けた。
それは図鑑に出てくる仏画に描かれた天女の舞いの如く優雅な仕草だった。
彼らの手の間から光が生まれ、后の観音もそれに加わり32個の丸い光が強烈なエネルギーの束となり…
右の肩にひこを乗せて左の腕に葉子を抱きかかえた千手観音をはるか頭上の「生死の境」の蓮池まで押し上げた。
葉子の視界の端を、物凄い速さでいくつかの惑星が通り過ぎ、ふと頭上を見上げると自分たちは青白く光る花の浮く水面を鼻先で突き破って蓮池の真上に、千手観音に抱かれた葉子たちが浮いていた。
「おかえりなさい、榎本葉子」
池のほとりで出迎えてくれたシッダールタ王子をはじめとする仏族たちは、それぞれ額に白毫と呼ばれる宝石を付けて葉子を待っていた。
白毫を輝かせる群衆の中に見覚えのある僧の姿がある。
「空海のおっちゃん!」
葉子が千手観音の腕の中から手を振ると空海は「こ、こら!わしを名指しするのはやめなはれ…」と白毫のダイヤモンドを隠して照れた。
…空海のおっちゃん、ここに居並ぶ仏族たちの中ではまだ「若輩者」なんやな。
と空海の照れの理由を読み取って可笑しくなった。
さて、すとん、と千手観音の手によって池のほとりの地面に降ろされたうちとナゾの座敷わらしひこちゃんには、これから何が起こるんやろ?
「新しき生き観音、榎本葉子よ」
と仏族たちの間を割って褐色の肌の小柄な老人が葉子の前に出て来た。
老人の額の中央には琥珀(アンバー)が深みを帯びた光を放っている。
「わしは宇宙の調律神、ブラフマー」
なんや、どっかで聞いた名前やなあ。ってぐらいしか葉子は思わなかった。日本に住む13才の少女がヒンドゥー教の創造神に会って気付けってのは無理な話である。
「さて榎本葉子よ。そなたは今年の夏、観音族の力を使って幾人も傷つけた。現世では未成年とはいえ、これは重大な仏法違反である」
「…分かってます」
そうや、記憶はないけれど、うちはつい二か月前まで持って生まれた特殊能力を使って、
何人もの性犯罪者を死なないギリギリのところまで痛めつけた。うちはその事を忘れ去って生きる訳にはいかない。
自分がやったことから逃げて生きてると、いつか何処かでひどい目に遭った時に
必ず自分の罪を思い出すだろう。
償わずに済まされる罪など、無いのだ。
「本来ならそなたは仏法に則って厳罰に処されねばならない、が」
と言ってブラフマーはわざと厳しい顔をした後にぎゅっと片目を瞑った。多分ウインクのつもりであろう。
「そなたの意思で犯した罪ではなく、悪意ある人間の精神に憑依されてやった事だし、自分の正体をそこの千手観音によって知らされたばかりだし、
一つの事を誓えばここから現世に帰してやる」
「え?それはどういうこと?」
「もう観音族の力で人を殺めるのはもちろん、傷つける事もしないと誓うのだよ」
誓える、と軽はずみに返事する前に葉子は「自分の身を守るためには使ってもいい?もちろん痛めつけん程度に」と一応聞いた。
「…よかろう」
わずかに間を置いてブラフマーはそこだけは許可した。
「では誓うか?榎本葉子よ」
うちはうちでない誰かに体を乗っ取られて、力を使って人をいたぶった事を思い出した時…消えてしまいたいとさえ思った。
もうあんな思いは金輪際嫌や。葉子は両の拳をぎゅっと握って顔を上げて宣言した。
「誓います」
「よろしい、では証を受け取れ」
ブラフマーが葉子に向かって杖をかざすと額の中央が急に熱くなった。
!!?
驚いて額に触れると指先程の固い石が自分の額から生えてくる感覚がする!
「葉子、池を覗いてみなさい」と千手観音に言われる通りに蓮池を覗くと、葉子の額の中央には、
翠玉(エメラルド)の白毫が観音族の故郷の星みたく優しい光を放っているではないか。
「生き観音榎本葉子よ、お前を現世に生きる『菩薩』として白毫を与える。
今後、額のそれがお前を守護し続けるだろう」
威厳を解いたブラフマーの皺だらけの笑顔の横でシッダールタが、
「ああ…生きた人間に白毫与えるって私の時以来ですよ。いいんですか?ブラフマー」
と狼狽えながら尋ねた。
「よきかな」
宇宙の調律神は好々爺の顔で答えた。
右腕にはめた腕時計が午後五時を回った頃、
オレたち一体何やってんだろ?と藤崎光彦は思った。
ここ清水寺奥の院でみんなでずらりと折り畳み椅子に座って「近所の家の地鎮祭」みたく一方向向いて榎本の帰りを待っている。
大人4人と子供3人と、小人2体…しかも、俺と野上と椿さん以外は龍神(カヤ)と故人(嵯峨上皇&業平)と異星人(ツクヨミ&思惟)という全員人間じゃねえ組み合わせ。
冷静に考えると、異常だ。
泰安寺でマサがオレの帰りを気にし始めてるんじゃないかな?と光彦が思った時に忽然と床に開いた丸い光の輪からせり上がって来たのは、
空海に肩を支えられた榎本葉子だった。余程疲れているのだろうか、口を真一文字に結んでうつむいている。
「葉子ちゃん!」と菜緒がたん!と床几から立ち上がって泣きながら葉子に抱き付いた。
ぼうっとしていた葉子はそこで気を取り戻し、あ、現世に帰って来たんや…と親友の温もりを確かめるように菜緒の肩に頬を埋めた。
「大丈夫や、うちは無事や。『お守り』つけてたもん…」
と葉子は髪を束ねていたヘアゴムの飾りのくるみボタンの白い花を菜緒に見せた。
これは、百万遍さんの手づくり市で葉子ちゃんにあげたやつや…!
菜緒は目頭が熱くなって、さらに葉子を強く抱きしめる。いたたたた、と葉子は疲れた顔で笑った。
「菜緒ちゃん勘弁してやってや。向こうで色々あって葉子ちゃん疲れてるんや。さ、皆々様がたもお引き取りに」
と言った空海の額の真ん中にある石が強烈な光芒を放ち、
気が付いたら光彦は泰安寺の本堂に吊るされた阿字の掛け軸の前で空海の横に座らされていた。
「何があったんだ光彦!?」
また子供を巻き込みやがって!と仁王のように恐い顔をした正嗣と鉄太郎に囲まれた空海は、
さて、どこから説明しようかな?
とタダでは離してくれそうでない面子を前に剃髪の頭を掻いた。
「そうですか、千手観音さまが自ら葉子ちゃんに全てをお話しになったのですね」
夕食の皿を下げ、ちゃぶ台を拭く空海を前に正嗣は神妙な面持ちで食後のお茶をすすった。
鉄太郎も、光彦も空海が語る観音族の哀しい歴史と宿命の話を聞く内に段々目線が下がり、ちゃぶ台を囲んでうなだれる形になってしまった。
「ひでぇ話だよ。自分が敵組織のボスの実孫だなんて、そんな重たい事実を13の女の子が受け止めなきゃいけねえだなんてな」
「榎本…」
「葉子ちゃんと、奥の院にいらっしゃった皆さま方はわしの力で各々のお家に飛ばしましたんで」
「それよりも空海さん」と正嗣は据わった目で空海を見据え
「何の霊能力も特殊能力も無い一般市民の勲を巻き込んでしまってどうするんですかっ!?
さっきから私の懐で携帯が震えっぱなしで見るのが恐いんですけど!
絶対勲からの『大事な話があるんだけど』lineですから!」
と震える携帯を空海の鼻先に突き付けて叫んだ。
「既読無視はマナー違反だ。覚悟を決めて話せ」
鉄太郎がきっぱりした顔で正嗣に進言した。
「どこから話せばいいんだ。緑のおしゃもじ登場のくだりからか?…もしもし」
と意を決して、というより諦めて携帯電話で勲に電話で話しながら自室に戻るマサの話し声が遠ざかる。
「気の毒やわ」
と言い放つ空海に「元々の原因はお前のせいだろーが。生前のお前の上司は相当苦労したと思うぜ」と鉄太郎は吐き棄てた。
上司、と聞いて空海は「は、『あの御方』に苦労させられたのはわしの方でっせ」と苦笑いして片方の眉を吊り上げた。
はーくしょん!!
その頃嵯峨野、大覚寺ではあの御方、こと嵯峨上皇が盛大なくしゃみを飛ばしていた。
「あらあなた、お風邪でも召しましたの?」
と部屋着にガウンを羽織った彼の妻が急いでローズヒップ入りの紅茶を淹れ「ビタミンCが豊富ですわよ」と上皇に飲ませた。
「すまない嘉智子、今日は久しぶりの外出で張り切り過ぎてしまってね」
「…もう張り切り過ぎですわよ。わたくしたち世を去った者はあの子たちを見守る事しか出来ませんのに」
「戦隊の若者ら、そして観音族のあの少女にも過酷過ぎる試練が待っていよう、と思うとな」
大覚寺の「奥様」は何も言わず、そっと夫の背に手を触れた。
翌々日の連休明け、榎本葉子は風邪ということで学校を休んだ。
菜緒は気になって気になって、帰宅後葉子の祖父ミュラーに電話をかけて様子を聞くと
「昨日の夕方ひょこっと玄関に葉子が立っとった。大丈夫や、食欲はあるし落ち着いとるし具合悪い所あらへん…だが」
「何かあったんですか?」
「バイオリンを持たへんのや。いつもは何かモヤモヤがあると弾いて没頭して忘れる子やったのに。
何か一気に10才も成長した、というか老成した感じや」
「勝沼杯まであと一週間もないのに!?」
「コンクールはもうどうでもええ」と世界のマエストロは言い切った。
「わしはまた葉子の天真爛漫な笑顔が見たい、それだけや。決勝出場か棄権かはあの子自身に決めさせる」
やっぱり…大好きなバイオリンを持てへんほど何か精神的にダメージを受けたんや。
菜緒は赤い縮緬に花の飾りを付けたくるみボタンのヘアゴムを両手に握り締めると、祈るように両手で包んで額に押し当てた。
五分か十分そうしている時に、鞄の中のスマートフォンが着信で震えた。
電話は藤崎光彦からだった。
「野上、榎本は?」
「学校休んでるけど体は元気ってミュラー先生から聞いた。でもバイオリンもたへんのやて」
「あのな野上」とそこで光彦は深呼吸して、
「オレたち出会いからヘンテコなことばかりあったけど、オレは野上と榎本の事大事な友達だと思ってる。
オレが空海さんから聞かされた榎本が『逃れられないこと』やっぱり野上にも知ってもらいたいと思って」
と光彦から聞かされた話に、菜緒は
そんな…!と口を開けて呆然としたまま自室の床にへたり込んだ。
後記
知らされしまった葉子とマスターの関係。
はたして葉子はスランプから立ち直れるか?
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