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嵯峨野の月#97 光の時代、後

秘密14

光の時代、後

僧である私がまつりごとを語るのは少し気が引けますが、

光明子さま存命中にただ一人の娘である女帝、孝謙天皇が傍系の皇族である大炊王おおいのおう(淳仁天皇)に譲位なさり、政の表舞台から降りたのでいちおうは母と臣たちを安堵させました。

しかし、
お母上の薨去後に

これで自分に意見するものが居なくなった。

とそれまで抑えつけられていた強すぎる自我が御身を破って溢れ出てしまったのか、

女帝は自らの感情のままに政に口出しし、言うとおりにならないと
「何故、至尊の地位にいる我に従わないか!?」
と大声で相手を罵る我儘ぶりは、淳仁帝と臣たちを辟易させました。

そして…病で静養なさっていた保良宮で、ある意味運命の相手である弓削道鏡ゆげのどうきょうに出会ってしまったのです。

私は当時その道鏡に仕えていましたが、弓削氏という弓作りの職人のせがれでしかないのに
「母方の三代前は古来豪族の物部氏であった」
と血筋を騙り、

大した能力もないのに出世のためなら平気で色を使う、実にいけ好かない奴でした。

道鏡が病室に籠ってくすぶっている元女帝にどのような療治をなさったかは…大体ご想像がお付きでしょう?

私はそれを知らずにこの年まで来てしまいましたがいやはや、肉慾にくよくの虜になるというのは実に恐ろしいものですなあ。

実忠の話は決して自分を揶揄しているものではない。

と解ってはいるが平城上皇は在りし日の薬子の肌身を思い出し、

このまま身も心も溶けていい。死んでも離れたくない!

とまで思わせる肉慾の快楽の素晴らしさと理性さえ人間であることさえ溶かしてしまう恐ろしさ。

それに溺れたがために破滅した我が身を鑑みて背筋が凍った。

特殊な療治で満たされた元女帝孝謙はこうして色坊主道鏡の虜になりました。
すぐに噂は広まり孝謙の従兄で愛人の藤原仲麻呂は、

「太上天皇が坊主に入れ込みすぎるのは国を腐らせる元である!」

ときつく諌めました。女帝の威を借りて権勢をほしいままにしたろくでもない男でしたが、根っこの部分は忠臣だったのですねえ。

本当の事を言われて激怒した孝謙は即出家して尼になり、淳仁帝から御璽と駅鈴を奪い取って仲麻呂に軍勢を差し向け、琵琶湖のほとりで家族もろとも殺してしまいました。

その報を聞いた我々奈良の僧たちは捨てられた男の哀れな末路だ、いやいや邪魔な政敵を全て殺してきた残虐な男への因果応報だ、と噂し、

権力を持った女は必ず報復する。

という唐の則天武后の故事を思い出し怒らせたら次は我が身、と身震いしました。

お前の父のことを掘り返してしまって済まなかった徳一。
…でも、仲麻呂はそういう男だったのだ。

徳一は仲麻呂の遺児だったのか!

そこで初めて上皇は師で養父でもある老僧の背後に控えている徳一を見た。

以前軽い気持ちで出家した理由を徳一に訪ねた事がある。そこで徳一は強く目をつむり、

「…私は、生まれながらに僧にならなくては生きていけない身だったのです」

とわざと素っ気なく答えたがその語尾には何か秘められた強い痛みがある。
と感じた上皇はそれ以上は聞かなかった。

今の話で上皇は、実忠が徳一を自ら養子にした背景を察し、
「あの時は気まぐれに辛い事を聞いてしまって済まない」
と謝すと徳一は「いいんです」とだけ言って上皇に気を遣わせないよう珍しくにこりと笑って見せた。

さらに孝謙は淳仁帝に「不孝である」
と言いがかりをつけて退位させ、淡路国に配流してしまったのです。

そして、皇極斉明天皇以来99年間行われたことの無い退位した天皇が再び即位する

重訴ちょうそ

という大それた行為を尼姿のまま断行したのです。全ては道鏡の企みでした。

これでいいのか?

本来ならば生ける神として崇められるべき天皇である御方が尼姿で御椅子に座り、道鏡に言われるままの勅を臣下たちに下す異常な事が起こっている。

これでいいのか?

という疑念は臣たちの胸中にありましたでしょうが、誰も仲麻呂のようになりたくなかったので皆保身で口をつぐんでいました。

その頃、実力で東大寺での地位を得ていた私は一度だけ道鏡に警告した事があります。

「法王どのはよもや天皇家を害そうなどという大それた考えをお持ちではないでしょうね?」

馬鹿な?と道鏡は69にもなるのに色事を繰り返しているお陰か黒々とした眉をそびやかして、

「功績高い実忠和尚から酷い言われようだな

私は、天皇以上の存在になる。
それだけのことだ。我になびけば大僧正にしてやるぞ」

と言ってのけました。

その一言で…

国のため必ずこの男を排除しなくてはならない。

という決意が私の胸に生まれました。

懸念通り道鏡が事を起こしたのはそれから間もなくです。

そうです、上皇さまも御存知の通り宇佐八幡宮の巫女が「道鏡を天皇にすべし」と嘘の託宣をしたのです。

いわゆる神護景雲3年(769年)5月に起こった道鏡事件です。

なぜ女帝称徳は皇位という至尊の地位を自らの飼い犬道鏡に継がせようとしたのでしょうか?

独身のまま皇太子になり、即位なさった故に夫も子も持つ事が出来ない天皇という自分の血筋と立場を一番憎んでいたのは…女帝自身なのです。

天皇家になんて生まれなければいづれかの皇子と縁付いて子を産み、女人としての幸せを享受出来たのに一旦即位した自分はそれも許されない。

もし自分が子を生めばおたねは誰なのだ?と疑われ続け、所詮女帝の子だから皇位を継ぐなんてあり得ませんよ。と冷笑の内に抹殺される。…それはできない。

私の未来まで奪ってしまった天皇家なんて何処かに棄ててしまいたい!

いや、棄てる位なら私に女人としての歓びを教えてくれた道鏡にくれてやろうではないか。

放り出すくらいなら犬にでも喰わせてしまえ。という位のやけくそな気持ちになっていたのではないか。

と私は思うのですよ。

いくら託宣はいえこのままでは天皇家の血筋による優位性が消滅してしまう!

と焦った貴族たちは紛糾の末、宇佐八幡に使者をやり託宣を聞き直すという結論にたどり着き使者には和気広虫さまが選ばれました。

その夜、和気清麻呂どのが広虫さまを連れて
「…頼む、姉上を匿ってくれ」と青ざめた顔で私の庵を訪れました。

「貴族たちの本音は道鏡を退けたい。しかし、自ら宇佐八幡に赴き嘘の託宣に反論すべき役目をあろうことにか女人である姉上に押し付けた…貴族なんてみんな覚悟のない卑怯ものばかりだっ!」

私の数少ない友、清麻呂どのはそう吐き捨てて拳を強く床に打ち付けました。

「女帝は広虫さまなら自分の言いなりになる、と思ったのでしょうな」

「元々病弱な姉上が宇佐までの遠い行程に耐えられる筈が無い。だから代わりに私が行く。巫女が何と言おうと私ははね除けてやる」

そう言って顔を上げた清麻呂どのの表情は決死の覚悟で満ちていました。

「私にもしもの事があれば、妻子を頼む」

と言って清麻呂どのが去った庵の隅では…広虫さまが子供のように震えていました。

「私が行けば道中貴族たちに殺されてしまうと案じた清麻呂が代わりを買って出たのです…あの子も無事でいられるかどうか。どうしよう、どうしよう実忠どの…」

私は思わず広虫さまを抱き締めていました。
それは
男としての情欲からではなく
僧としての慈悲でもなく
ただ人としてこの方を守ってさしあげたい。という強い気持ちからでした。
「大丈夫です広虫さま。大丈夫です」

広虫さまの震えがおさまり、やがて疲れて眠ってしまうまでの長い間私はあのひとを抱き締めていました。

私が女人を腕に抱いたのは、それが最初で最後でございます。


宇佐八幡での清麻呂の活躍は見事なものでした。
託宣を始めた巫女、辛嶋勝与曽女からしまのすぐりよそめのためらいに気付き、すかさず

「わが国は開闢かいびゃくこのかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣ひつぎは、必ず皇緒こうちょを立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし!」

と強い口調で宣言し、その場を押し切ったのです。

それが大神の託宣である。として道鏡の帝位簒奪の野望は阻まれました。

しかし女帝は激怒し、清麻呂どのを別部穢麻呂わけべ の きたなまろと改名させて大隅国へ、
広虫さまを無理矢理還俗させて別部広虫売わけべ の ひろむしめと改名させ備後国へ配流の沙汰を下しました。

大事な人たちを奪われた私はもう、女帝を許すことが出来ませんでした。

光明子さま。
あなたが私に託した最後の密命。

もし我が娘が天皇家を自ら滅ぼすような真似をしたら実忠、あの子を殺して。お願い。

なれど皇太后さま、僧侶に殺生を依頼なさるとは…

ふふ、と光明子さまは唇を隠してお笑いになり、

施薬院であなたが行っていた秘密の療治を知らないと思って?

と言われた時、鉛の毒で体の自由の効かなくなった村人の前に附子の毒の入った壺を置いて…

六粒飲むと苦しまずに浄土へ逝ける。

飲むか、どうか?

と問うた時、飲む。とうなずいたり、こうなってしまっても…生きたい!と首を振る村人の顔が次々とまぶたの裏に浮かびました。

そうです。私は大仏建立の際に川に流れた鉛の毒の病に苦しむ村人に、頼まれれば密かに附子の丸薬を飲ませて楽に死なせてやっていたのです。

その数二百余り。

ああ、このお方は何もかも御存知でいらしたのだな…

毘盧遮那仏建立は間違いだった。
結局は最も弱き民を何百も殺してしまった。

なれど、精神的に追い詰められて現世に救いを求めていた夫、聖武天皇の人生最大の願いを叶えてあげたくて黙認なさっていたのだ。

私は腹をくくりました。

「御意、皇太后さまの御心のままに」

女帝のお命を頂くのは拍子抜けする程簡単でした。

和気姉弟が流されて一年後、女帝は病で崩御なさりました。

貴族の支持を失った女帝は毒殺を恐れて女官の吉備由利きびのゆりしかお側に付けなかったので誰も、何も疑わかった。

以前お脈を取らせていただいた時女帝には血の道の持病があり、過度な興奮で頭痛を起こされる。

と診断したことがあり、私は主治医として由利に血の道を良くする附子のお薬を毎日飲ませるよう指示しただけ。

結果、附子の過剰摂取でおつむの血の道が破れ、卒中を起こされたのですな。

道鏡は既に女帝から離され失脚したも同然で崩御にも立ち会えませんでした。

それでも自ら女帝の御陵の守りを願い出たのはやはり主を愛していたのか、はたまた野望をくすぶらせていたのか解りかねますがね。

その後道鏡は死ぬまで一庶民として過ごしました。

新たに即位なされた天智帝のお孫、光仁帝がすぐ出されたのは和気姉弟を都に呼び戻し、名前も地位も元通りにするという勅。

悲田院の畦道でご姉弟と再会した私は思わず駆け出してお二人の手を取って泣き笑いをしていた…と後々まで清麻呂どのにからかわれました。

清麻呂どのは新都平安京の造営に尽力し、広虫さまも孤児を育てる仏のような尼と讃えられて共に13年前に逝かれました。

広虫さまを看取った時の、
「人は誰でも救われるべきなのにね…」という最期のお言葉。息を引き取る直前の、憐れむように私を見る眼差し。

もしや、広虫さまは私が女帝に手を下したことを察していらしたのか?

「それがいまでも心から離れなくてですねえ…ここまで打ち明けたのだからもうお解りですよね?上皇さま」

眼から涙を溢れさせた上皇はゆっくりうなずいて

「…薬子の毒の丸薬。あれを作ったのはお前なのだね」

と毒を服した薬子が今際の際に上皇の袖口にねじ込んだ、丸薬の製造法が記された冊子のことを口にした。

「如何にも」

薬子。

お前がくれた、この決して誰にも見せてはならない書き付けをどうしたらいいのか解らず何度も焼いてしまおうと思ったが、周りの目があるのでそれも出来ず本当に苦しかった…

上皇は厨子を開き、観音像の下にある引き出しを開いて中から古びた紙の冊子を取り出すとそれを実忠に手渡した。

かっと眼を見開いて文章を検分する実忠の顔には鬼気迫るものがあった。

「此を悪意を以て人に用いるならその者は自分で此を仰いで死に至る破目になり家は滅びる」

最後に自分が記した注意文まで読んで「本物です」とだけ告げると実忠は目の前の火鉢に冊子をねじ込んだ。

紅い炎が冊子を包み、禁断の書がみるみる灰になっていく。小さな火鉢の中でこれでもか、という位大きな火柱が立ち昇った。

「見なさい、黒い秘密を持った書ほどよく燃える」

実忠は火柱を前に大声で笑いだす。
たがが外れたように笑う老僧と、予想外の燃えかたに水を持とうかと躊躇う徳一。

その中で上皇は見たのだ。辺り一面白く輝く空間の中で前に立っているのは弟、伊予親王。

その顔は上皇を見て微笑んでいた。

伊予の口元が動いて何と言っているかが読み取れる。

「これでいいのです、兄上」

と確かに伊予はそう言ったのだ。

伊予。お前は自分を謀殺したこの兄を、

怨霊になって恨んでいたのではなく、ずっと心配してくれていたのだな?

「優し過ぎるんだよおまえは…」

涙ぐむ上皇が最後に見たのは光の中心に向かって去っていく伊予の後ろ姿だった。

消耗した実忠に向けて上皇は、
「私を悩みから解き放ってくれてありがとう」
と最大限の感謝の言葉を述べ、徳一に背負われて退出する老僧に合掌した。

人生の最後に自らの罪と業を打ち明け、私を救済してくれてありがとう実忠。

死してもずっと私を気遣ってくれてありがとう伊予。

そして…

「さようなら、薬子」

そろそろ夕餉をお持ちしよう、と

内舎人が上皇さまのお部屋に伺うと上皇さまは厨子に向かって読経をなさっていて、火鉢の中の炭が灰になっていたので取り替えた時に気づかなかった程、罪業の証拠は全て燃えきっていた。

東大寺に戻った実忠はそのまま高熱を出して寝込み、3日後に目を覚ましたとき見たのは心配そうに自分を覗き込む徳一と空海の顔。

「お前たちが看病してくれていたのか」
はい、と無骨そうにうなずく徳一は無表情の下に我が養父は今夜が峠だ、という悲痛さを隠していた。

「長い夢を見ておいでだったようで沢山寝言を聞いてしまいました」
空海は深い眼差しで東大寺権別当に話しかけた。

「ほう、どんな事を?」

「聞きたかったお話も、聞きたくなかったお話も」

「これで解ったであろう?わしの正体は仏教に売られた異教徒の子で数多あまたの人々を殺した偽坊主。わしこそが東大寺の最後の汚点だったのだ」

「いいえ、あなた様は現世の人々の苦しみと罪と業を一身に背負って生きてこられた仏です」

空海のその一言で物心ついてから晴れることの無かった
虚無。という名の黒い霧がかき消された。心の中には晴れた青い空が広がっている。

実忠はほとんど泣く直前の顔になったが涙は出ず、
やれやれ、このまま業にまみれて神も仏も呪ったまま死ぬつもりだったのにな。とほんのり笑顔を浮かべた。

「命の終わりにお前に救われるとは思わなんだよ、空海」

「我もあなた様のようにかくありたいと思う…でも全てを救済するには人ひとりの一生は短すぎる」

「釈迦王子だってそう思われたから教えを弟子たちに語り継がせ、今の仏教があるのではないか。わしだって92年生きてきたがまだ伝え足りないことが山ほどある」

そこで徳一はわが養父の実年齢を初めて知り、実忠の左手をしっかと握って「ほんとうにお世話になりました…」と涙をぽろぽろこぼす。空いた右手で実忠はよしよし、と徳一の頭を撫でる。

「今解ったことなんだがな」

実忠は徳一と空海、その隣にいる大僧正永忠を交互に見てから、

「人は皆、かりそめの姿でこの世に生まれて来たジュド・チフル(異邦人)なのだよ…」

と微笑んだまま言うとそのまま昏睡状態になり、そして日の入り時。何か夢を見ていらっしゃるのか聴き取れないうわ言が口から洩れたが最後に、

「では、風呂ふうろをいただきます」

と明瞭な言葉を発して深呼吸をひとつするとそのまま永の眠りについた。

弘仁二年(812年)初冬、実忠入寂。享年92才。

弟弟子の永忠が実忠の脈がふれないのを確認すると講堂を埋め尽くす僧たちに実忠の死を告げ、間もなく全ての僧が実忠のなきがらに向けて平伏した。

その夜、

東大寺を中心に奈良の各地で人々が灯籠を掲げ、長年の功労者実忠の死を悼んだ。

これは、盂蘭盆会うらぼんえ(お盆)に開かれる東大寺万灯会とうだいじまんどうえを開催者である酒人内親王ご自身が各寺に号令して特別に開かせたものである。

奈良に住まう僧侶、貴族、役人、商人、農民、渡来人の職人たち、そして平城上皇ご自身も灯籠を掲げ奈良の都じゅうが一夜だけかつての輝きに包まれた。

昔、実忠という名の渡来人の僧が光に満ちた時代を生き彼の死と共に、

奈良時代が終わった。

後記
道教事件の真相と実忠自身の黒い秘密。


















































































































































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