電波戦隊スイハンジャー#102

第6章・豊葦原瑞穂国、ヒーローだって慰安旅行

阿蘇1

翌朝聡介が目覚めた時には熱は下がっていた。

36度6分。頭痛は無く却って頭がすっきりしている。枕元には一筆箋の書き置きがあった。

明後日の長崎公演が終わったら東京に帰ります。  緋沙子

一筆箋からはかすかにラベンダーとバニラを混ぜたような残り香がした。聡介は母の書き置きを机の引き出しの中に丁寧にしまった。

デジタル目覚まし時計は午前6時3分を表示していた。

おかしいな、ゆうべあんなに熱を出したのに体はどこも痛くないし腹も減っている。うん、自己診断だが健康体だ。

階下に降りてシャワーを浴びて台所を覗くと、姉の沙智が味噌汁を作っていた。「朝飯は普通でいいよ」とのれんをめくってのたまう弟の様子を見た沙智は、おたまを持ったまま驚いてぽかんと口を開けた。

「あんたもう大丈夫なの?まあ止めても仕事に行くんだろうけど…」

「ゆうべの事よく覚えてねーんだ。姉ちゃんが見つけてくれたの?」

「夕食に呼んだらあんた、ベッドの上で赤い顔してうんうん唸ってんだもん。部屋にいたラファ君問い詰めたら『知恵熱でし』ってよ!知恵熱は子供が出すものだろーが。あいつほんとに医者ぁ?」

ぶつくさ言いながら沙智は、出し巻き卵に納豆、大根の味噌汁と炊き立ての白いご飯を食卓に出してくれた。

「俺よりも腕のいい医者だよ。まあ色々秘密も多いけどさ…」

「ちゃんと噛んで食べなさいよ」

かっ込むように飯を食べる様子が鉄太郎おじいちゃんに似ている、と沙智はしみじみと思った。

「あんた馬鹿じゃないか?ってぐらい風邪引かない子だったから祥子叔母さんも私もテンパっちゃってさー、アイスノン当てて、濡れタオル額に載せて。

これで良かったっけ?って話してたら『ならば特効薬に来てもらいましょう』ってラファエルが叔母さんに電話かけさせて緋沙子さん呼ばせたのよ」

まったく、大した特効薬だったよ。ラファの奴にご褒美にページュ・メルバ(剥いた桃まるごとのタルト)でも買ってやるか…。

開成会病院消化器科センターでは月曜日は朝8時半に病棟回診、9時からは出勤の医師全員でのドクターカンファレンスが始まる。内容は担当患者の病状報告。

特に毎週オペ日である水曜に手術を控えた患者の術式の打ち合わせである。

10時にカンファレンスが終わり医師たちが解散してすぐに、聡介は上司である中松センター長に呼び止められた。

「聡介君、月末一週間の有給申請通ったよ」

相変わらず日本人離れした濃い顔立ちである。毎年、8月の最期の一週間に聡介は夏休みの有給休暇を取る。その理由をセンター長は知っていた。

阿蘇産山村にある鉄太郎の生家の家屋と畑を手入れするためだ。自分も独身の頃は手伝いに行ってやったが、今は生後9か月になる息子の世話でそれどころではない。

「なんかすいません」

「いや、有給は堂々と取って使うべきだ。今の日本の企業は本当におかしい。

従業員を本当に使い捨てにしている気がしてならない。ここ数年、ストレスで胃カメラ受ける患者がどっと増えた」

「診断書を突き付けないとまとめて休めないなんて狂った社会ですよね。なんというか…人ひとりの価値が下落した、そんな気がします」

「福利厚生が充実してるのは、公務員か安定した一部の大企業だけだよ。開成会もドクターこき使うブラック企業なんてレッテル貼られたら、いい人材が来なくなる…

ところで聡介くん、勝沼酒造の社長のせがれと知り合いなのかい?」

不意を衝かれた聡介はへぇっ!?と間の抜けた声を上げた。

まずっ、勝沼との出会いの言い訳全然用意していない!えーと、えーと…。あいつ農学者だから学会で出会ったは通じねえ!

「まあいいんだよ」とすぐに何か訳ありだな、と察してくれた上司に聡介は心底感謝した。

「先月末に理事会の人事が変わってね」

とセンター長はポケットからフリスクのケースを出してタブレットを2個口中に放り込んでぼりぼりとやり始めた。食うか?と勧められたんで聡介も手のひらにフリスクを受け取った。

「勝沼悟って人物がうちの理事の一人に入った。医師でもない20代の若者だよ。うちの病院の経営母体が医療法人蔓草会《いりょうほうじんつるくさかい》ってのは知ってるよね?」

勝沼の奴、俺の職場に入って何を企んでる!?口の中のフリスクがびりりと急に辛くなった気がした。聡介は心中で大粒の冷や汗をかいていた。

「は、はい…」

「その蔓草会を作ったのが、勝沼酒造なんだ」

「え?」

センター長は、はー…とミントの香りがするため息を付いた。こいつは優秀だけどどこか抜けた部分があるんだよな。

「やっぱり知らなかったか。あのね、自分の会社のスポンサーぐらい知っときなさいよ」

「はあ…」

「まあそういう僕も管理職になるまで医療以外に関心の無い男だったけどさ。

その勝沼の坊ちゃんがさ、『勝沼一族は現場に一切口出ししない主義なんですけど、ちょっとここは現場の職員の負担が大きい、と思って』と言った数日後に、循環器センターとここ消化器病センターに医師が一人ずつ増えた」

あ!と聡介は目の前の上司を指さして

「片桐先生ですか」

と小声で言った。さっきまでこの会議室に居た半白髪を七三分けにした小柄な中年医師の姿が脳裏に浮かぶ。

片桐稔45歳。消化器癌手術のスペシャリストで、「患者が選ぶ名医ランキング2012」の消化器部門でダントツ1位に選出された人物。即戦力としてこの上ない人材である。

確かに彼が来てから当直が少し減り、昼休憩もしっかり一時間取れるようになった。

「あの名医がうちに来て、確かに現場の医師たちの負担は軽減した。

どーやって片桐先生を落としたか知らんが…勝沼の坊ちゃんは若いけど相当遣り手だぞ。

結局人材の能力を生かすも殺すも、使い捨てるも、上の『人』次第なんだよな。現場の声を汲み取って実行できる人物は、なかなかいない」

とセンター長はそこで言葉を切り、聡介の肩をぽん、と叩いた。

「さあ行きなさい。患者さんが待ってる」

午前の診察の後で聡介が食堂で焼き肉定食を食べているといきなり白衣の内ポケットのiphoneが振動した。姪の友達、榎本葉子からの着信である。

「もしもし」

「なあおっちゃん、今昼休み?」

「俺がこうして出ているからそうだよ。あれから体の具合はどう?頭痛とか吐き気はしないか?」

8日の夜に聡介は怨霊に憑依された葉子と戦い、頭蓋底骨折の重傷を負わせた。

幸い空海の処置が早かったのと大天使たちが無理矢理聡介の部屋に増設した治療施設の技術で3日で退院できた。

「何ともあらへん。今、夏休みの宿題終わった打ち上げで菜緒ちゃんとカラオケしてる」

「どうりでそっちが騒がしい訳だ、菜緒は?」

葉子は黙ってスマートフォンを盛り上がって歌う菜緒に向けた。

えんんだああぁ、いやあああぁ、びこーずおーるうぇいらぶゆ~ふうういぇー!!

「…うん、何を歌っているかは分かった。夏休みもあと10日だし楽しみなさいよ。何か用事があって掛けたんだろ」

「うん、一言だけ聞きたいねん。おっちゃんの周り、なんで羽根だらけなん?」

「俺がラファやガブと同居してること?」

それだけやない、と葉子が言った。

「戦隊のスーツの羽根模様もやけど…変な事言うけどうちが見えたイメージではおっちゃん羽根の模様に守られている。生まれる前からって感じ。ごめん」

「なんで謝んの」

「おっちゃん電波なセリフ嫌いやろ?」

「うーん、前は、ね。正嗣や君みたいな本物の能力者に知り合ってから少し考えが変わった。

頭ごなしに否定はしないけど、人間の大多数は精神世界だけでは生きていけない。

だってみんな修行者や占い師、ヒーラーとかを目指したら、労働する人がいなくなるじゃないか。だから俺は働く人の立場でいたい。それだけ」

よーし、次はピンクレディーメドレーやー!葉子ちゃん立ち位置ケイちゃんな。と電話向こうで菜緒が声を張り上げて強引に葉子を誘っている。

ちゃらっちゃちゃちゃ、ちゃらららすちゃららら~。最初の曲はどうやら「サウスポー」のようだ。

ピンクレディー…俺が生まれる前に解散したユニットとはなんと懐かしい。

「えー?うち振り付け分からん!おっちゃんの考えは分かった、じゃ」

と葉子は慌てて電話を切った。

羽根?

と首をひねりながら聡介は昼食の残りを平らげた。

羽根との繋がりは、5年前に大学病院の中庭で、サンリオのぬいぐるみみたいな「こてんしラファエル」を拾ったのがきっかけだっだ。今思うとあれは大天使たちの狂言なのだろう。

俺は釣られたのだ。と聡介自身後から気づいたが別に怒ってはいない。むしろ高度な医術を教えてくれた事に感謝している。

午後の診療を終えて帰りにケーキ屋に寄ってページュ・メルバを4つ買った。自分と姉と叔母とラファエルの分。

家に帰ると1階の和室に衣文掛けが立てられ、聡介の羽織袴が広げられていた。

「月末にお友達の結婚式で着るんでしょ?いまから干さなきゃ樟脳の匂い抜けないからね」

そうだ、月末は隆文の結婚式に呼ばれていたのだ。

成人式の時に仕立ててもらった羽織袴。外人面の自分には珍妙な取り合わせと思っていたが、羽織を着た自分を見た鉄太郎じいちゃんは珍しく涙ぐんでいた。

ちくしょう、おれみたいなじじいの細腕でいっちょまえに成人しやがってよお…と畳の上に涙の粒を落としていた。

その言葉は亡き父、祥次郎に向けたものだったかもしれない。

と仏壇に手を合わせながら聡介は思った。

昨今、羽織袴に袖を通したことも無い中年男性が増えたと聞くが、嘆かわしい。

姉の沙智はフランス人の母親譲りの銀髪碧眼ながら、白無垢を着て健軍神社で式を挙げる予定だという。

え、ウェディングドレスじゃなかったの?と聡介は聞き返したら沙智はどうもウェディングプランナーと意見が合わずにケンカしてしまったらしい。

「今時の結婚式ってワンパターンで安っぽいお仕着せプランばかり。それなら神前婚にして二次会道場でやれば費用浮くじゃない?」

なるほど、会場代を削って費用を浮かせるためか。沙智姉ちゃんも倹約家だった祖父鉄太郎の血を色濃く引いているようだ。

まあ俺も羽織を着回しできるからいーんだけど…と聡介は樟脳の臭いがきつい羽織を手に取った。

黒地に野上家の家紋である鷹の羽二つ違えが浮かぶ。円の中に白い羽根がクロスした形で、武家に多い家紋だ。

不意に聡介は雷に撃たれた気がした。

祖父鉄太郎が興した合気柔術の柳枝流のシンボルは天狗の羽根団扇。

しかし、道場の神棚に祀ってあるのは阿蘇神社の主祭神ではないか。

阿蘇神社も、姉が結婚式を挙げる分社の健軍神社も、紋章は鷹の羽二つ違え!

野上家の産土神だから、阿蘇神社の紋を家紋に戴いた。と祖父は生前に言ってなかったか?

おっちゃんは羽根の模様に守られている。

少女の言葉をいますんなりと受け入れる事が出来た。

「シンクロニティ…」

意味のある偶然の一致というカール・ユングの言葉が聡介の口を付いて出た。

月末阿蘇へ行くのも、俺のヒーロースーツが羽根模様なのも、大天使たちが俺を監視しているのも…

全ては繋がっているのだ。

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