電波戦隊スイハンジャー#87

第4章・荒ぶる神、シルバー&ピンクの共闘

大文字不始末記3

濃いピンクの百日紅さるすべりの花びらが、風にはらはらと散って縁側に座る聡介の喪服の襟に落ちた。

祖父、鉄太郎と祖母フロレンツィア、父祥次郎が眠る墓があるこの寺の中庭は、春には桜と牡丹、梅雨には紫陽花、盆の頃には百日紅、秋には曼珠沙華…

冬以外は花がないのを見たことが無かったな、と聡介は思った。

「花が絶えないこの場所で眠りたい」

とドイツ語で花、という名を持つ祖母フロレンツィア、愛称フロールが30年前肺癌で余命3か月を宣告されてから急に言い出して、実家から歩いて10分足らずのこの浄土真宗のお寺に鉄太郎は野上家の墓を建てたのだった。

「だけどフロール、あなたはカソリックではなかった?差し障りはないの?」

と病床のベッド脇で老妻の手を握る鉄太郎の質問にフロールは、白い枕の上で微苦笑しながら答えたという。

「実際死ぬのが近くなると、天国とか地獄とかはどうでもいいの。テツさんや子供たち、孫たちが元気で…いつも見ていたい、たまには思いだしてお墓に訪ねて欲しい…そんなことばかり思うようになって、変ね、スイス人なのに考え方はもう日本人よね」

これだけの言葉を、酸素マスクを付けて途切れ途切れながらも5分くらいかけて言ったのだった。

昭和15年に故郷のチューリヒから日本に来て、鉄太郎と結婚。翌年には戦争が始まり、第一子の祥次郎が生まれた。

終戦後の生活が厳しい中子育てに追われ、自ら音楽教室を開いて家計を助けてくれた。

鉄太郎が大学の名誉教授を辞した時には妻はすでに病魔に冒されていた。

ついにフロールは故郷に一度も里帰りする事なく、異国で生を終えるのか、と思うと夫としての自分が不甲斐なかった。

「故郷に、帰りたかった?」

苦しみながらも喋ろうとするフロールの手をもういいから、と少し強く握ってはいるが、聞かずにはいられなかった。フロールは驚いたように灰色の目を開き、「まさか、そんな事!」と笑いながら言ったという。

それが、祖母フロールの最後の言葉となった。

享年67才。梅雨だった。紫陽花の枝にかたつむりが這っていた。その二年後に、息子の祥次郎が癌で早逝した。桜の花が咲き始めた頃だった。

そして17年後の8月14日の早朝、眠ったまま息を引き取っている所を孫娘の沙智に発見された。

享年92。死因はまごうことなき、「老衰」であった。

「まさかお盆の中日に死んじゃうとはねー、あの時は救急車呼ぶか、パトカーも呼ぶかパニクったわよ」

今ではその時の状況をハッピーターンをぱくついて笑いながら沙智がしゃべくっている。

野上鉄太郎の十回忌法要の準備が整うまでの間、野上家家族一同はお寺の中庭が一望できる客間に通され、お茶とお菓子をいただいていた。

「沙智さん…喪服にハッピーターンは粉が目立ちますよ。って、正解は、自殺や他殺でないからかかりつけ医に来て貰って死亡診断書書いてもらっていいんです。

死亡時に誰もいなかったからっていちいちパトカー呼ぶ人増えてますけどねー。孤独死が増えてる昨今、警察も大変ですよ。

医師法24条、

医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。

但し、診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この

限りでない…あの時は近所の中松内科の先生に来ていただいたんですよね?」

沙智の隣で喪服のスーツを着た青年が沙智の喪服についた粉を払ってやって言った。彼は沙智の婚約者の赤垣芳郎、職業は弁護士である。

年齢は聡介と同い年の31才。野上家の近所で3代続く法律事務所をやはり弁護士である母親と経営している。聡介とは幼稚園から大学まで一緒の、いわゆる幼馴染である。

色白でやや垂れ目の、茫洋としたインテリの学者風の顔立ちなのだが、彼の「妙な特徴」は、髪型が昭和サラリーマンを彷彿とさせる七三分けなのである!

「その髪型が似合うのは昭和のおっさんしかいないから伸ばせ!」と聡介は二か月後の結婚式まで親友に散髪を禁止した。

ウェディングドレス姿の姉の横に七三男は、ちょっとした悪夢だ。

「この髪型じゃないとうずうずしちゃいますが…沙智さんに似合うタキシード男になるように、伸ばします」

生来、素直な性格の芳郎はそう宣言して1か月目の今日、髪が伸びて痒いのか時々頭に手をやって掻きそうになっているのが菜緒にも見て分かる。

交際歴13年の叔母の彼氏で会う度パフェおごってくれる優しい人なんだが…

その髪型で一体何度裁判官の失笑を買ったんやろか?と余計な事を考えてしまう。

「そう、中松医院の院長先生。『見事な老衰です…』と感心していらしたわよー」

菜緒の隣で野上祥子がそう言い、お煎餅を袋の中で四つ割りにしてから袋を破って優雅な仕草で煎餅のかけらを口に入れた。

と、こ、ろ、が!と祥子は縁側に居る聡介を指さして

「このバカ甥の聡介がね、あの時は医学部の3年生でねー、サッちゃんが取り乱してる横で勝手にペンライト持っておじいちゃんの瞳孔確認したり、脈取ったりして『7時33分、ご臨終です』ってやりやがるのよ!
実の祖父の遺体でお医者さんごっこするな!って後でこってり絞ってやったわよ…私にとっちゃ父親なんだからね!」

あれから10年、ちゃんと医師免許を取った聡介は、研修医の頃から何人の患者の死を看取ってきただろうか…

俺が「○時○分、ご臨終です」という時、本当に「時」は止まるものなのだと聡介は知った。

患者さんの最期を看取った人たちの中では一生忘れられない時刻として刻まれるのだ。いつか自分が看取られる時まで。

だから、自分の秒針付き時計は1秒も狂わないように注意している。

やっぱり中松先生来るまでじいちゃんに触るべきではなかったなーと今では反省している。

だって祥子叔母さん、ガチで俺に拳骨喰らわせたんだもんな。あれは痛かった。

「まあ、医学を志す者としてやらずにはおれんかったんやろなー。僕も学生の頃宮大工さんの現場に勝手に出入りして叱られたわー、後から弟子入り許してくれたけど…」

「いややわあ、そういうのめり込みやすい性格ってやっぱり似てるんやね。やっぱり『兄弟』なんやねえ」

京都から来た祥次郎の長男、啓一と菜摘子夫妻がはんなりとした京都弁で会話するのを聞くと、そこはかとなくお上品な空気になってしまう。

寛ぎまくっていた嫁入り前33才の沙智は、つい居住まいを正した。そういえば菜摘子義姉さん、伏見の造り酒屋のお嬢様だった…。

法要に集まったのは野上鉄太郎の長女、祥子62才。亡き祥次郎の子供たち、啓一、沙智、聡介の3兄弟。そして啓一の娘で鉄太郎のひ孫、菜緒。

以上が野上家DNA。

それぞれに個性と能力値が高く変人だが、(特に1名)なんとか社会と適合して暮らしている。

そして、啓一の妻、菜摘子は天才肌の啓一をやんわりと支えてくれる女性。

最後にもうすぐ「野上家のムコ」になる赤垣芳郎。婿養子になる訳ではないが、野上家に取り込まれるのは目に見えている。と菜緒は思っている。

住職の奥さんが「そろそろ始まりますので本堂へ」と案内に来てくれた。

「ちゃんとした法事のお経は長いから、こっそり脚崩してええでー」と啓一が菜緒に耳打ちしてくれた。

「あれ、8名様ではないんですか?」奥さんが怪訝な顔をしている。

「いえ7名で先月…」と祥子が中庭にいる人の気配でまさか、まさかなの?と縁側の向こうを振り返った。

「間に合って良かった…」

その人は、150センチを少し過ぎたくらいの小柄な体つきをしていた。瀟洒な黒レースの喪服姿。テレビで見るよりはずいぶん小さく儚げな印象がする。その人は立ち上がった野上家全員に礼儀正しいお辞儀をした。

「母さん…!」

聡介が、信じられないという気持ち半分、あと半分は…自分でも分からない。

聡介の母、敷島緋沙子が百日紅の花びらが舞う中、立っていた。

何から話していいんだろうか?天気の事?この人の予定?

けっこう長く感じられた沈黙を破ったのは緋沙子の方だった。

「元気してた?聡ちゃん…」

靴下のまま縁側から外に片脚を下ろしている事に気づいた聡介は、うん、と声にならない大きなうなずきを返した。

「とにかく上がりなよ、母さん」

ああ、ちゃんと母さんと呼べたじゃないか、俺は。

聡介に促された緋沙子は、靴を脱いで縁側から上がる。

子供心に足の小さい女性ひとだと思っていた。そして、いつも外出着の時はほんのりと香水を付ける女性だった。

何も変わっていない、母さんは。

聡介の中で、28年前から凍っていた「時」が夏の日差しに融けて、ゆっくりと動き出すのを感じていた。

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