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嵯峨野の月#79 私刑

薬子15

私刑

早良親王を旨く片付けてやったのにその途端、
先々帝は手のひらを返して俺たち土蜘蛛をお役後免になすったのさ。

その理由が土蜘蛛を使うような汚れ仕事をした自分を恥じて、だと?畜生め!

と言って初老の男は美酒をあおり、天女のように美しい女の肌身に溺れる、という羽化登仙の夢の中で相手に暗殺者として活躍した過去の自慢と土蜘蛛から食い扶持を奪ったお上への恨みを話して聞かせた。

早良、ってあの怨霊の?

と横の女が男の裸の胸を撫でながら小さく驚いた声を上げた。

そうさ、早良さまが憤死だなんてとんでもない。水に毒を混ぜてお命を頂いたのは俺の仕事さ。
と男は皺の寄った顔に得意げな笑みを浮かべた。

それにしてもその土蜘蛛って凄く強い人たちがこの雑事の市の中に集まっているっていうの?

女が勧めるままに男は3杯目の酒をぐびり、と飲み干してから、
ああ、殺しの技にかけては手練れの土蜘蛛たちが45人、芸人たちにまぎれてこの芝生の広場に寝泊まりしている。

どうせ夢だから、と油断した男は秘中の秘を喋ってしまった。

そんなに集めてあんたら一体何するつもりなのさ?まさか。

ああ、明後日から平安京に上り、上皇さまを蔑ろにする帝とご妻子を全部片づけるつもりさ。

余りにも畏れ多い計画を聞いた女はひっ、と喉元で悲鳴を上げ、

そんな馬鹿なことやめな。都の武人たちにみんなやられてしまうだけだよ。

と男の背中に抱き付いて震えている。男はそんな女が可愛くてしょうがない。

無茶もするさ。俺たち土蜘蛛を拾ってくれた上皇さまの恩に報いるために帝のお命をいただき、食い扶持を取り戻す最後の機会なんだ。
ひっひっひ、後宮で泣き叫ぶ女子供の腹引き裂いてなぶり殺す感触はたまんねえだろうな…

「総勢45人ね。いったいつここを発つんだい?」
と女の口調ががらりと冷徹を極めたものに変わったのを酔いが回りきった男は気付かずに、

「日暮れを待って、闇に紛れて出立する。旅芸人たちがまさか謀反人とは気づかれま」
い…と言い切る間もなく男は背後の女に長針で耳の穴を貫かれ、わずかに痙攣してから絶命した。

「はい、これで全ての裏は取れたよ。あんたは用済み」
と衣を整えて立ち上がり、骸を見下ろす女の名はかずら

トウメ率いる天河踊り巫女集団のまとめ役で、宮中で密かに嵯峨帝を警護する修験者、たでの妻でもある。

葛は慣れた手つきで骸の衣服を剥いで右の臀部に蜘蛛の刺青を確かめると顔をしかめ、
「てめえみたいな垂れたけつの持ち主にやらせる体はねえんだよ」
と言い捨ててから足元の枯れ葉を取り除き、あらかじめ掘っておいた穴に骸を蹴り落としてから土をかけて埋めた。

そして足音を忍ばせ闇に紛れながら踊り巫女たちが住まうあげはりに戻り、中央の敷物の上でうつぶせに寝転がり、ソハヤとスガルに脚を揉ませているトウメの傍に寄ると、

「饅頭売りの田伏タブセを始末して来ました。土蜘蛛、これで44人」と仕事の報告をした。

ご苦労、と顎をしゃくって少年二人を下がらせたトウメは敷物の上でごろんと仰向けになってから両手を組んで伸びをし、半身起き上がると、

「タブセは年取って殺しの腕は落ちたけど、土蜘蛛たちをここに集めた情報通で長老格だった男だ。
明日市に立っていないと他の土蜘蛛たちが怪しむ。その前に私らはここを発つよ」と幄にいる皆に向かって宣言した。

は、と葛を筆頭とする修験者の女たちは、

これで昼は踊り巫女に扮して孤児たちを養う費用を稼ぎ、夜は目を付けた男たちを色仕掛けで誘い、自白の効果のある特殊な薬酒を飲ませて土蜘蛛の情報を喋らせるという…

下手すれば怪しまれて返り討ちに遭う危険を伴う任務から解放された安堵のため息をついた。

「それにしてもさあ、婆様特製の薬酒は効いたよねえ。
まずは一杯、と奴らに飲ませたらすぐ動かなくなって聞いたままをぺらぺら喋るんだもん。お蔭で知らない男に抱かれずに済んだよ」
と修験者の女の一人が目元を白い布で覆った長老に声をかけると婆様と呼ばれた長老、白専女しらとうめは、

「大陸渡りの秘伝の製法でねえ、大麻おおぬさといくつかの生薬を老酒に漬け込んでおくと幻を見せる美酒になるんだよ」

と口元を袖で覆ってうっふっふ、と笑った。

タツミの母として修験者たちに大切に扱われている白専女にトウメは

「私たちは夜明け前にここを発ちますけれど、お母様はこれからどうします?」と彼女の老身を気遣った。
「あたしはここにいるよ」と白専女はきっぱりと吉野へ帰るのを拒んだ。

「そうね、そうですわよね」

とトウメはうなずき、まとめた銀髪を布で覆って旅装束になると配下の女三人を白専女の世話役に残して暗い内に平城京から出立した。


「これは一体どういうことや?」

と勤操は腕を押さえてうずくまり、或いは当て身をくらって倒れている9人の僧侶たちと、回収した刀剣を交互に見て怒気を露わにして詰問した。

「答えろ、寺にあってはならない筈の武器が何故ここにある?」

どうやら肩の骨が折れたようだな、と激痛と事を遂行出来なかった無念で歯ぎしりする僧侶のひとりが、

「ああそうさ、唐土からあやかしの術を持って帰った空海阿闍梨を誅するためさ」

とそれが華厳宗を守るためである。と平城上皇に空海暗殺と東大寺を武力で制圧する密命を受けていたのを白状した。

「で、決行しようとして空海に返り討ちに遇ってこのざまかい。
あいつが修験の行を修めた私度僧あがりだって事知らんかったやろ?」

事の発端はこうである。
空海は東大寺に到着して講堂で

「我は東大寺別当、空海である!これより国家安泰のための祈祷を行う!」

と言うや否や東大寺別当権限で奈良にある全ての寺の門戸を閉ざし、僧たちの出入りを封鎖してしまったのだ。

「本気の加持祈祷の間は門戸を閉ざし、参加した僧全てが結願に向けて必死の祈祷にかかります。たとえそれが天皇であっても、邪魔することは許されません」

と加持祈祷の内容をかなり誇張して説明し、僧たちを納得させてから門戸を閉ざしたので上皇派の僧たちは焦って命令を実行しようとお堂に入る空海の背後を狙って刀を振り上げたが…

空海が振り返り様先頭の僧の顎に掌底を食らわせ転倒させ、さらに二番目の僧の刀を独古杵で受け止めて空いた手で下腹を突いて悶絶させる。流れるような護身の術で空海は五人倒し、加勢した勤操は四人倒した。


「ほな、わしが出てくるまで開けぬよう」と言って空海は弟子の実恵と杲隣を伴ってお堂に入り、扉を固く閉ざした。

勤操は裏切者の東大寺の僧侶たちの身元を一人一人確かめ、縛って一室に籠めてから大僧正永忠と実忠に報告した。

「そいつらは皆、桓武帝の性急な遷都に異を唱えていた者達じゃよ。武器まで持ち込んでいたとはな…勤操、これが腐れ東大寺の最後の形骸さ」

と青い瞳に侮蔑を滲ませる実忠の横で永忠は

「奈良の各寺でも不平派が捕縛されたと報告が上がってるが、皆50を過ぎた僧ばかりで数も一つの寺に4,5人くらい。呆気ないもんだ」

と何か物足りないな。とでも言うように首をすくめた。

自分が唐で学んでいる間に時代はすっかり変わってしまったのだ。長岡遷都から早や25年。人も物資も政治の中枢もすでに平安京にある。
「時の移り変わりも読めず再遷都を夢見る奴は頭の古ぼけた年寄りか、現実が見えてない愚か者だよ」

と永忠は上皇の企みを痛烈に批判した。

東大寺に入るなりすぐに奈良仏教の不平僧侶たちを制圧した空海の手腕に、報告を受けた田村麻呂は

「最も厄介な勢力相手に強硬手段に出たか。搦手からめで懐柔すると思ったのに」

と最初驚き、いや、空海の行動は
其疾如風
(其の疾きこと風の如く)と孫子兵法の基本だ。と思い直し、
「空海阿闍梨、その本質は僧侶というよりまるで武人だな」
と白い歯を見せて笑った。

平城京遷都の上皇の勅を、嵯峨帝はたった四日で反故になさった。それは、

尚侍藤原薬子が発行した勅書が太政官に届くと太政官の役人たちは、

「これは…律令では効力がある書類ではないのか?」
「いえ、まずは帝のご裁下を仰いでからですぞ!」
「しかし律令下では太上天皇と天皇の権限は同等の筈」
「今さら50年も機能していない太上天皇制を持ち出すのですか?」
と混乱し、或いは討論を始め機能停止寸前の状態に陥ったからだ。

その様子をこっそりご覧になっていた嵯峨帝は、兄上皇が本気で自分を退位させようとしている。
律令あり方そのものを変えない限り役人たちの思考回路は百年経っても変わらないのだ。という政の現実と、我が立場の危機を見せつけられた。

このままでは本当にまずい。

と嵯峨帝は中務頭で弟の佐味親王と蔵人頭である巨勢野足こせのたりを伴って討論する役人たちの前にお姿を現した。

こ、これは帝、と役人たちが杓を掲げて恭しく頭を垂れる。

「お前たちの討論、聞かせてもらった。勅書の発行についてだがそれを実行すべきかどうか、で揉めているようだが?」

は、はあ…役人たちは自分たちの権限ではこれ以上何も言えず黙ったままである。

「現状では中務頭である我が作成した書類でないと効力は無い。従って尚侍が発行したこの勅書は無効であるっ!」

と今年17才の見た目大人しそうな美少年である佐味親王が杓を振り下ろし、今までに無い強い口調で役人たちに宣言した。

ははっ…と尚も何か言いたげな態度の役人たちに対し、歴戦の武人である巨勢野足が強面の髭面で小心な役人たちを睥睨へいげいし、

「ならばなれらに問う、この国の天皇すめらめこと何処いずこにおわしまするや?」

と今は薬子が去って無力化した内侍司に代わって新設された天皇の秘書室、蔵人所くろうどところの長官で冬嗣と同時に任命された蔵人頭くろうどのとうである野足に威圧されて…

「も、申し上げます。いま神璽(勾玉)を戴いていらっしゃる目の前の帝を天皇と心得ますっ!」

とその場にいた役人たち全員が顔に冷や汗を浮かべ、両膝を折って嵯峨帝に拝跪した。

役人一人一人の背中を見つめ、これが本気の忠誠である事を確認した嵯峨帝は、

「朕、詔す。上皇が発した平城京再遷都の詔勅を今より無効とし、尚侍藤原薬子の官位を剥奪する」

ははっ!と役人たちが先程とは打って変わって活きた眼で顔を上げ、嵯峨帝の勅の実現のための作業に取りかかった。
勅書の作成の為に深呼吸してから筆を取る佐味親王の肩に手を置いて、

「佐味、助かったぞ」
と嵯峨帝は労いの言葉をかけ。それに、と弟の耳元に、

(書類の作成が終わったら好きにしていいから)

と「ある事」の許可をお与えになった。それを聞いた佐味の目はかつてない強い光を放った。

秋の雨が縦に激しく降る夜だった。

目隠しを外された藤原仲成は後ろ手に縛られたまま、自分の前にいる小刀を手にした男たちの集団を前に、奥歯をかちかち鳴らして震え上がる。

上皇さまの勅使として都に入った途端、謀反の罪人として武官たちに牛車ごと押し包まれで捕らえられ、従者に化けて警護していた土蜘蛛五人も抵抗虚しく槍に刺し貫かれて殺された。

1日牢に入れられて「藤の仲成、出ろ」と武官たちに連れて来られたここは、

「こ、ここは刑場ではないか!おのれら我が四位の参議と知ってのことか?」
と後ろ向きに木に体を縛り付けられながら抗弁する仲成に、

「今のあんたは佐渡権守だ。仲成…あの雨の日を覚えているか?そしてこの傷を覚えているか?」

と先頭の少年が仲成の顎を強引に掴んでを振り向かせ、左目の上に深く刻まれた刀傷を示した。

自分が欲しいままに女を犯し、時には邪魔する者を殺した事の全てをいちいち覚えていなかった仲成だが…このような雨の降る中、妻の叔母をものにするため親王宅に押し入り邪魔をした子供に斬りつけた事があった。

「まさかおまえはあの時の」

「親王、佐味」

と少年が名乗った時、ばりぱりと音を立て近くで雷が落ち、眉を斜めに切り裂いてひきつれた刀傷を稲光が照らした。

「そして我は、お前が佐味さまの前で凌辱した女人の兄だ」
と佐味の隣の五十過ぎの男が
「我は北家の家司、多治比志摩麻呂。報復の願いを我が殿が聞き入れ、この場を設けて下さった」
と言って仲成の目の前に、

仲成の蛮行は藤家の面汚しである。骸が人の形を留めていれば引き渡したその男を、思いのままに斬るなり突くなりするがよい。

と書かれた文を見せ、その筆跡が上皇側近の葛野麻呂のものであると気付くと…俺は、同じ上皇側の盟友と思っていた男に、売られたのだ。

と気付くと全身から血の気が引いて、首を捻って後ろを振り返りこの場に集まった男たちが、報復のために来たのだ。と理解し、せめて命ごいをしようと口を開こうとするも刑吏に猿轡をかまされる。

「さて、一人で一刺しでお願いしますよ」

という処刑担当の武官で左近衛将監、紀清成きのきよなりが小刀を持って集まった35人もの男たちに指示し、

「最も苦しめて殺すにはどんな刺し方がいいのか?」

と佐味に聞かれると清成は私はやった事がないんですけどね。と前置きしてから、

「急所を外して、小刀の先端から根元までゆっくりと刺すのがよろしゅうございましょうね」
と事務的な口調で告げた。

「我は親王佐味」と名乗り、目隠しをされた仲成の右脇腹に小刀の先端を当てると非常にゆっくりと時間をかけて根元まで刺しきった。その間じゅう仲成の体が苦痛で激しく身をよじる。

続いて多治比志摩麻呂が「妹の仇!」と言いながら刺し、「斬り殺された妻と腹の子の仇!」「凌辱されて自害した娘の仇!」と次々と標的の体に小刀を突き刺した。

その間の仲成の脳裏には自分がしてきた事への後悔と反省はあっただろうか?

いや、身を裂く苦痛に苛まれてものを考える余裕など無かっただろう。

およそ一時(二時間)かけて復習者たちは仇の体をいたぶった。

「もう死んでいますよ」
ともう一人の処刑担当で右近衛将曹、住吉豊継すみのえのとよつぐが止めるまで復讐者たちは興奮のあまり仲成の背中を何度も何度も小刀で刺し続けていた。

「皆様もう気はお済みですか?なあに、骸のは私たちでいかように始末致しますので」

と説明してから復讐者たちから小刀を回収し、刑場から退出させると豊継は骸の縄を解いて刑吏に部屋に運ばせて台に乗せ、あらかじめ用意していた矢束を取り出して、仲成の骸の傷口に一本一本矢を突き立てる。
その作業を紀清成と刑吏たちと一緒に行った。

「怨霊よりも生きている人間の憎悪の方が恐ろしいな」と作業を終えた重継が私刑を見届けてげんなりとした顔で呟くと、

「人とは皆そのようなものじゃないんですか?雨で血が流されてさっぱりしている。作業が楽に済みましたよ」
と清成が今さら何を?と言わんばかりに両眉を広げた。

大同五年9月11日、(810年10月12日)

藤原仲成処刑。享年47。

背後から弓矢で射られて射殺。と偶然にも父、種継と同じ死に様として「処理」された。

後記
法具の使い方が粗い空海。一部問題のある成分を含む薬酒を作る長老。
上の命令しか聞けないお役人のせいで嵯峨帝、ガチに退位の危機だった。






























































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