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色んなからだ

銭湯に行くのは楽しい。銭湯には色んなからだがあるから好きだ。私は視力がとても悪いし眼鏡を外して大浴場に行くから、顔はあまり判別できない。でもからだの形は近くに来ると大体わかる。こちらも裸だしぼんやりとしか見えないから遠慮がなくなって、いつもよりゆっくりと人のからだを眺める。全部生きているなあと思う。

小さいからだ、大きいからだ、新しいからだ、古くからあるからだ、強そうなからだ、繊細そうなからだ、薄いからだ、厚みのあるからだ、丸いからだ、細いからだ、おしゃべりなからだ、静かなからだ、気の強そうなからだ、優しそうなからだ、全部比較的健康そうに生きている。銭湯に来ると人は健康になるのだろうか。


特にわたしは、5.6年前にできたばかりの新しいからだが元気に走り回っているのを見るのが好きだ。新しいからだは、全体的に凹凸がなくつるんとしていて、まじまじと見ても申し訳なくならないからかもしれない。

新しいからだは思ったことを全部口に出すし、熱いお湯が苦手で、大抵うるさくて邪魔だ。でもやっぱり見ていて一番面白いのである。新しいからだが元気で楽しそうにしていると、心から良かった、と思う。

二番めに好きなのは、古くからあるからだが気持ちよさそうにしているのを見ることだ。古くからあるシワシワのからだがシャワーを浴びている様子は、象の水浴びに似ていて、わたしは好きだ。

古くからあるからだは優しくないのも、優しいのもある。古くて優しいからだは、大抵「ごめんなさいねえ」といった感じで小さく座っている。熱いお湯でも顔色を変えずにちんまりしている。古くて優しいからだに親切にすると、その親切の3倍くらいの感謝が返ってくる。良い人生を生きたからだは人にいっぱい感謝できるのかなと思う。


大浴場を出て、服を着て、支度をして、わたしは休憩所の隣にある自動販売機の前の椅子でサイダーを飲む。さっき風呂上がりにずいぶん水を飲んだはずなのに、まだからだは水分を欲していて、ぐんぐん浸透する。自分のからだが更新されていくのを感じる。

いま、隣に座っている新しいからだが「大人になったら高いブランコも乗れるしコーヒーも飲める?」と、自分を育てたからだに聞いている。

この新しいからだが大人になって、コーヒーを飲みながら高いブランコに乗っているところを想像する。なかなか素敵だ。


銭湯に来ると、世の中には色んな人がいて、生活は違っても裸になればそんなに違いはないということ、全員生きているということがよくわかる。そう思うと、自分の些細な悩みがお湯に溶かされていく気がする。銭湯のお湯は絶えず入れ替わっているからみんなの悩みを溶かしても淀むことはないので大丈夫だろう。

銭湯は素晴らしい。また来よう。


それではまた…

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