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詩人が読み解くパレスチナ(10)

パレスチナはどこへ行くのか(10) 

 フランス・パリで、7月26日から8月11日までの17日間オリンピックが、8月28日から9月8日までの12日間パラリンピックが開催される。世界ではまだ戦争や紛争が継続しているのに、何が「平和の祭典」だ、と思うのだが、スポーツ好きな私は、それでも選手たちの挑戦する姿に心打たれているだろうか。

【パレスチナのオリンピック代表】 

 パレスチナ・オリンピック委員会(POC)は、7月1日、パリ五輪代表に6選手を選んだと発表した。男子5人、女子1人で、競泳、柔道、ボクシング、射撃、テコンドーに出場する。POCによると、テコンドーの男子選手を除く5人は推薦枠での出場。陸上でも1人が出場できる可能性を残している、とのこと。(「日刊スポーツ」web版7月2日)
 6月12日、POCのラジューブ会長は、オンライン会見で「パリオリンピックの出場が確定しているのは現時点でテコンドーの選手1人だけで、最終的には6人から8人になる」との見込みを示していたので、なんとかその線で話が進んだということである。(「YAHOO!ニュース」6月13日)このニュースの記事の続きを引用する。

・(引用)このうち、ガザからの選手は3人にとどまります。ガザ地区での戦闘によって、これま で300人のアスリートや審判員などが殺害されたとし、重量挙げの有力選手が体重を20キロ落としてしまうなど、多くの選手が競技を続けるのが困難な状況にあると指摘しています。

 私は、二十年近く前、こんな詩を書いた。

   オリンピック/パレスチナ 
                    伊藤 芳博
 「パレスチナの選手です」
 不意に聞こえてきた思いがけない言葉に
 振り向いてテレビの画面を見入る
 2008年 北京オリンピック陸上競技
 「彼は紛争中のガザ地区からやってきました」
 アナウンサーの声は
 他の選手を紹介するときと同じように
 明るく熱のこもった声だったが
 (ちがうんじゃないの)
 僕が画面の選手を追ったときには
 すでにパレスチナの選手の姿はなかった
 男子5000メートル予選
 彼は
 どこを走っているのだろう
 アナウンサーから「パレスチナ」の声は消え
 レースの最後まで
 カメラも彼を追わなかった
 最後尾を走っていたらしい彼は
 一瞬世界に現れ
 すぐに忘れられた

 彼は今
 どこを走っているのだろう

 4年前 アテネ
 パレスチナ初のオリンピック・スイマー 
 ラアド・アウェイサットは
 イスラエルから建築許可を得ていない小さなプールで練習を続け
 (自分たちの土地なんだぜ)
 100メートルバタフライに出場した
 仮ごしらえのプールの所在地は秘密
 見つかれば空爆されるからだ
 (そんなことってあるかい)
 「オリンピックに幻想は持っていないよ。
 だけど、これは最初の第一歩になるんだ」
 彼の水しぶきを
 日本の僕たちは浴びることはなかった

 彼は今も
 泳いでいるのだろうか
 息をして

 後日 北京オリンピックの記録を拾う
 8月20日(水)陸上男子5000メートル予選第2組
 パレスチナ ナデル・マスリ 14分41秒10
 という記録が
 多くの選手たちと同じように
 小さな文字で
 確かに
 世界に刻みつけられていた

  ※第三連は「ナブルス通信」HPのブログ「パレスチナ・ナビ」
   (2004・1・11)の記事を参照。

【もし生き延びたら、
  世界の舞台でアスリートとして自由に戦いたい】

 「もし生き延びたら、世界の舞台でアスリートとして自由に戦いたい」
 そう夢見る彼らが生きているのは、ミサイルや銃撃におびえる狭い世界。
  
 NHK「国際ニュースナビ(特派員のスマホから)」で、「生き残る未来があるならば…空を自由に飛び回る鳥になりたい」(2024年1月24日)という特集記事を読んだ。
 
・(引用)自転車にまたがり、笑顔とまっすぐなまなざしを向ける選手たち。全員片足だけ。
中東パレスチナのガザ地区で活動するサイクリングチームです。
ことしフランスのパリで開かれるパラリンピック出場を目指していました。 
しかし、あの日以来、彼らから笑顔が消えました。
2023年10月7日のイスラム組織「ハマス」による奇襲に端を発したイスラエル軍の攻撃。
今は練習どころではなくなり、命の危険にさらされています。

 記事は、このように始まっていた。中心選手であるアラ・ダリさんは、2018年、自転車選手として国際大会に出られるチャンスが訪れるが、「本紙号外7号」にも書いた「帰還のための大行進」という平和的デモを近くで眺めているとき、イスラエル軍に右足を銃撃された。国連人権理事会の報告書には次のように書かれている。

・(引用)アラ・ダリ。境界のフェンスからおよそ300メートルの地点で自転車を抱え、サイクリング・キットを身につけデモを見物していたところ、足を撃たれた。彼の自転車競技のキャリアを終わった。

 その後、ダリさんは自分の運命を受け入れ「たとえ片足でも、パレスチナを代表して世界の前に立ちたい」と話すようになる。そのことを知ったロンドン在住のパレスチナ難民カリム・アリさんが支援をして、足に障害がある選手のサイクリングチームが結成される。
 しかし、2024年10月、イスラエル軍の空爆で、チーム全員が住まいを失い、ロンドンのアリさんとは半数の選手が連絡を取れない状態に。それでも選手たちは、自転車やロバに乗って、ガザの支援活動に加わっているという。
 
 この記事は、2023年11月5日、NHK「おはよう日本」で放送されている。「もし空爆や飢餓、病気から生き残る未来があるのなら、パレスチナを代表するチームとして、トレーニングに戻りたい」と語っていた選手たちは、今どうしているのだろう。それから9か月が過ぎ、攻撃はガザ全土に及び、「トレーニング再開」などあり得ない状況だ。サイクリングチームの彼らが生きているかさえ保証できない。

【足を撃たれるパレスチナの若者たち】

 私は「本誌号外7号」で、イスラエル軍の銃撃は、パレスチナ人の足を狙うことが多いことを書いた。足に障害を負わせることによって、家族の移動に負担を追わせることができる。それは地上侵攻でまとめて殺害しやすいということになる。また、家族に経済的な面で大きな負担を負わせることにもなる。ガザ地区の医療も逼迫する。つまり殺害してしまうよりも、パレスチナ人を苦しめ続けることができる、というわけである。
 7月13日、名古屋で映画「医学生 ガザに行く」を観たが、そこでもガザのシファ病院に運び込まれるデモ参加の怪我人のほとんどが足を撃たれた若者たちの映像だった。まだ4、5歳の子ども足を撃たれていた。なんと卑劣な、としか言いようがない。

【私がパリで泳いでいる時、
  ガザの人々は支援物資を拾おうと海で泳いでいる】

 7月17日、14日ヨルダン川西岸地区ラマッラで、パリ五輪に参加するパレスチナ選手団の壮行会が開かれた、という「読売オンライン」の記事を見つけた。この記事によるとオリンピックには8人、パラリンピックには2人が参加するとのこと。サイクリングチームの名前はなかった。壮行会に出席した女子水泳選手バレリ・タラジさんはアメリカ育ち。親戚4人がガザで死亡している。彼女は「私がパリで泳いでいる時、ガザの人々は支援物資を拾おうと海で泳いでいる」と訴えた。
 このガザの海は、浄水施設、下水処理工場などが破壊されてしまったため、汚染水が垂れ流しになっている海である(ガザの感染症蔓延の危機的状況については、また別に述べたい)。支援物資を搬入する検問所がイスラエル軍によって封鎖、制限されたり、道路がイスラエルの人々により通行妨害されているため、空からの投下による物資供給も行われている。そんな物資を求めて必死に走っている人々、泳いでいる人々の姿を、水泳選手バレリ・タラジさんは世界に伝えている。
 また、この記事には、「1996年のアトランタ五輪で陸上男子1万メートルに参加したパレスチナ初の五輪選手マジド・マラヒル氏が、6月、ガザで十分な治療が受けられず、腎不全で死亡した。61歳だった」という悲しい知らせも載っていた。

(詩の個人誌「CASTER」号外10号 2024.7.31 転載)
※写真は、2003年、ヨルダン川西岸地区で筆者撮影。

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