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No5:正論は本当に正しいのか!?

正論が常に正しい、そして正論を言える人間は格好いい。

こういった風潮が世の中にあります。


しかし本来、人間は感情があり、

その感情を作り出しているのはそれぞれの価値観です。


価値観は100人いれば100通り存在するものですから、

100人いれば感情が統一される事など不可能でしょう。


それと同時に正しいとされる事よりも感情が勝つ瞬間など何度も経験します。


例えば、自分の家族が空き巣により命の被害を受けた。


世の正しいとは法律で裁く事でしょう。


冷静に会見をし、気丈に振る舞い、大人な対応が客観視する人達から称賛されるものです。


しかし感情で言えば、法律など、どうでも良い!

自分のこの手で仇を討つんだ!



こう思ったとしても不思議ではありませんし、

その当事者にとっては正しい事でしょう。



この様な事は日常でも溢れています。


会社でも2名の社員がいるとします。

同じように風邪で体調不良だったとしても、


1人はしんどくても仕事は休んではいけない!
他の社員、取引先に迷惑がかかる。

だから薬を飲んで、ビタミン剤でも摂取して乗り切るんだ!


こう思います。


もう1人は風邪をひいて申し訳ないが、
無理して出社すると同僚や取引先に風邪をうつす可能性がある。
ましてや風邪をうつした相手が小さな子供がいる家庭なら…

だから休ませて頂きます…。と思う。



この社員の考えのどちらが正しいでしょうか?


風邪など俺はうつらない!だから出てきて働けよ!という強気な方なら、

前者の考えを称賛するでしょう。


しかし、赤ちゃんのいる家庭の社員やもともと免疫の弱い社員なら、

いや、風邪なら休んでくれよ…。

この様に

後者を称賛するのです。



またそもそも、体調管理をしっかりしていれば風邪などひかない!

休む?休まない?

どっちの選択肢も間違っている!
体調管理が出来ない者はいずれにしても無能だ!


こう感じる人も一定数現れます。



日常であろうと『正しい』というのは、

自分だけの価値観であって、


仮に、ある分野で同じ正しさをもっていても、

別の分野になると正しさが違ってくる事も当然あります。


人それぞれ正しさは違いますし、

正しさ(正論)は時代でも大きく変わるものです。



人間が2人以上で話していると、

人数分だけの正しさが存在しているわけで、


自分の正しさを他人は必ずしも認めてくれるとは限りません。


話の途中で遮られ、上から目線で諭されるなんていう事もあるでしょう。



話し相手サービスでは、この正しさを認めるという姿勢でお話をお聴きします。


そこには安心して飾らずに自分の価値観・正しさを話せる、

【非日常】が存在するのです。




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