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カルマとびわ湖のモンサンミッシェル③

実家で2泊目を迎えることになった元旦の夜、母親が祖父母の話を始めた。

母親は6人兄弟姉妹の4番目で、ずっと長男に「母ちゃんは忙しくてお前の面倒なんて見れなかった。俺が見てやったんだ」と言われていたそうだ。

実際、私から見ていても母親は祖父母(特に祖母)からの愛情をずっと欲しがっていた(ように感じた)。
祖母の葬式の時には、(祖母の面倒を見るために、父親と結婚したのではないか?)と思ったくらいだった。
(父親は、母親が祖母の面倒を見るのに家事が疎かになっても気にしない人だった)

ふと、昨日父親と話していた「中間子は親の愛情が薄い」「しかし中間子は、だからこそ親の愛情を渇望している」という話を思い出し、(昨日の話とシンクロしているなあ)と思って母の話を聞いていたら

「でも、結局お母さん(祖母)の面倒は私がみることになった」
「お母さんが亡くなって遺品をみんなで整理していた時、白い布に大事に縫われた袋を見つけたんや」

袋を開けてみると、中には昭和25年(母の生まれた年)の5円玉が3枚、硬貨の穴に赤い紐が通され、結ばれたものが入っていた。

どんな意味があるのが全くわからなかったが、他の兄弟姉妹の分はなかったらしく、それを見たときに
「(わたし(母)はお母さん(祖母)と縁があったんやなあ…)と思ったん」

その「赤い紐に通された3枚の5円玉」を出して見せてくれ、涙ぐむ母の話を聞いていたら、また祖父母の土地の話になった。

それを聞いていた時、

「土地の価値」を私たちが勝手に決めて、損とか得とか考えているが

この家は父親が頑張って手に入れて、それは弟に譲ることで、姪(孫)へと受け継ぎたいということ。

そして、祖父母も私という「孫」に受け継いで欲しいと思っているのかもしれない、ということ。

あの土地は、その時のおじいちゃんができる限りの最善の力で手に入れた土地で、立地がいいとか悪いとか、広いとか狭いとか、資産価値があるとか無いとかはあまり意味がない、ということ。

それは、想いを受け継ぐということなんだな、ということなんかが、すとんと腑に落ちた。

そして、ずるいとか不公平とか、そういうものがすうっと消えて、なんか(あ、解った)という気持になった。

「解ける」と「溶ける」と「融ける」って、同音だけど、ほどけて、とけて、融合する、ということだ。

わたしは長生きすることは、「赦す」機会を得ることだと思っている。

いろいろな経験を積んで、いろんな感情や想いを理解することで、自分の中にあったいろいろなわだかまりがほどけていく。
これが「カルマが解消する」ということなんだと思う。

しかし、「びわ湖のモンサンミッシェル」に寄らなかったら、実家に2泊もすることにはなっていなかっただろうし、そうしたら土地の話も、母親の話もここまできちんと腑に落として聞けなかっただろう。

この土地(と母方の祖父母)の話(と想い)をしっかり聞いて、理解して、それを受け継ぐ決意をするまで足止めを食わすために、「びわ湖のモンサンミッシェル」に連れていかれたような気になったのだった。









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