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吉方位散歩40日

先日、1km程度の吉方位へ行って帰る「日参」なるものにトライし
先日、無事40日目を迎えました。

この「日参」には40日コースと100日コースがあり、まずは40日を始めてみたわけです。

参考にさせていただいたブログです。

具体的にどんないいことが起こるのか?というのもわからないまま、

●日盤吉報みたいに20分以上留まらなくていい(1~2分程度)
●体力と時間は使うが、お金は使わない(気軽)
●とりあえず勧められた「いい」ということはやってみる(好奇心)

という軽い気持ちで始めてみたのでした。

当然、最初は歩くのもだるいし、暑いし(あまりの暑さに夜中3~4時に目が覚めたらそのまま日参して2度寝したりしてた…。太陽が出る時間よりましなので)、大変だったわけですが

(犬飼い始めたら、暑かろうが雨が降ろうが散歩行くよな…。心の中に犬を飼ったと思おう)と、とりあえず続けてみた。

「40日の日参終えたら、どんなことが起こるのか知りたい」
その一心で。

終わった日にちょっとしたミラクルもあって、それが日参効果なのかどうなのかわからないんですが、ただ40日続けていて、自分の中に(どうせ成功できない)とか(失敗して傷つくのが怖いから、最初から継続させない思い癖があるのかも)(手に入りそうになると途中で辞める癖がある)みたいなことがどんどん出てきた。

人って希望とか期待がないと、継続できないと思うんだよね。

でも「ほら、どうせダメだったでしょ?」という「絶望」が無意識の「魂の思い癖」にあるとしたら、「がっかりすること」で変な安心感感じたりすることもあるのかも?と気づいた。

成功して変化する恐れや、ギフトを受け取ることの罪悪感。
幸せになってしまったら、堕落するかも?
成長できないんではないか?という変な修行マインド。

でも、それももう手放していこう、とか思ったわけです。

釈迦だって、最初は死にかけるような苦行たくさんしてきたけど、最終的に悟り開いたのは、その変な修行マインド手放して、ただただリラックスして座っている、という状況になってからだったし。

なんか、リラックスして、流れに乗ること。
幸せや豊かさを享受することで、できることが「個のため」からより「公のため」へと向かえる、ということ。
自分が幸せであると、余計なカルマも生じさせないこと。

いろんな気づきがあった。

「日参」は途中で辞めたくなるような「お試し」が来る、と読んでいたので、(これやり遂げたら、この「成功できない」「途中で失敗する」という魂の思い癖を卒業しよう)と決めて、

なにげに「卒」という字を調べたら
死者の「衣」を結び止め(十)、死体から魂が抜け出るのを防ぐことを表す。「しぬ、おえる」」が語源と知り、

卒業=「業(カルマ)を終えて、生きながらにして生まれ変わる」
というイメージがとても鮮やかに浮かんできました。

あと、めっちゃ食べてるけど痩せたのでダイエットにもいいかも。
(1日40分程度歩くだけで体感として2㎏は落ちた。体重計持ってないけど)









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