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第5話 長岡静子

 私が生まれた日、2042年9月22日。
 アラスカ大学フェアバンクス校、アラスカ地質調査所、アメリカ地質調査所が共同で行った調査によると大規模な永久凍土の融解が始まったのがこの日だと言われている。同じ頃シベリア、カナダ北部、スカンジナビア半島、グリーンランドなどでも永久凍土の融解が始まり大量の二酸化炭素とメタンが大気中に放出された。

 私の生まれた日はポイント・オブ・ノーリターンの日付として記憶されている。

 翌年核融合発電が実用化されて多くの国は我先にと核融合炉を建設した。わずか10年で世界各地に87基の核融合炉が建設され発電を開始、2000年代と同じだけの電気を生み出せるようになった。

 これで世界は大丈夫、エネルギー問題も環境問題も解決する、はずだった。

 けれども、ちょっと遅かった。一度大気中に放出された二酸化炭素はもとに戻ることはなかった。

 翌年、地区雨の平均気温は2℃上昇し、赤道直下地域では砂漠化が加速、多くの国家がその体制を維持できなくなってしまった。

 平均気温はその後も上がり続け、2058年8月時点で世界の平均気温はこの半世紀で5℃以上上昇している。
 ここ福岡市でも年間の平均気温は20℃を超え、ついに今年8月の平均最高気温は34℃を超えることが濃厚となった。

2058年8月16日金曜日

 連日続く熱帯夜にだれもがうんざりしていた。昨夜は結局気温が35℃以下になることはなかった。来月16歳になる私は始業式の始まる三週間前に寮へ戻ってきた。8月12日のことだ。

 お盆休みの習慣は続いていて、この時期は故郷に戻るだとか里帰りをするというのはやっぱり一般的だった。多くの生徒たちが帰省していたので、寮は私を含めて数人の生徒しかいなかった。わたしが生まれる前は日本の学校では新学期が4月から始まっていた。今は、この暑さのおさまる9月から新学期が始まる。

 だから今は学校は休みだった。

 とはいえ、私たちが学校に残った理由は様々だ。私の場合、実家が福岡市内にあるため、帰省する必要がなかった。それに加えて、学校が始まる前に少しでも先に教科書を読み進めたかったというのもある。 

 しかしそれでも、毎日のように続く熱帯夜には参っていた。全館空調が聞いているとはいえ、高騰する電気代を抑えるためが、エアコンの設定温度は高めで寝苦しい夜が続いていた。おかげで眠りは浅かった。頭がぼんやりとして、集中力がなくなっていくのが自分でも分かった。そういう時には、いつものように図書室へ行って本を読むことにしていた。図書室はエアコンが効いていて、校内では一番涼しい場所だったからだ。

 私は勉強することが好きだ。
 SIDが普及してもう何年もたつ。プラグド期間の長い人は、20年以上つかっていることになる。最初の世代は20歳以上じゃないと生体侵襲型のBMIであるSIDを装着できなかったので、だいたい40歳くらいだ。
 2058年時点で成人の場合、その全人口の約7割をプラグドが占めている。一番働き盛りの人間の場合、ほぼ全員がその頭脳をSIDで拡張している。

 彼らは口を揃えて言う「SIDがあれば学校なんて必要ない」と。

 そして「学校でやる勉強なんて全く意味がない」と

 確かに情報を暗記したりするような勉強は全く意味がない。でもどのようにコンテキストを適用し、解釈し、あたらしい知識に結びつけるかを考えたときに、やはり勉強はしたほうがいいし、学校へも行ったほうがいいのではないかと私には思えるのだ。

 

 この日も、朝から図書室へ向かった。目的は、今年の物理の教科書を読み進めることだった。今年は重力子について学ぶ予定だという話を耳にして、少しでも予習しておきたかった。

 書架に並んだ様々な書物の背表紙を見ると、知識のシャワーが降ってくる気がする。SIDCOMのオススメや提出プロンプトの力を借りずに、自分やアルゴリズムがまったく間に介在しない、様々の知識の羅列。基本的にデューイ十進分類法に従って並べられるはずの書架のはずだけれども、ここは学校の図書室でしかも閲覧自由な環境も相まって、いいかげんというかいうか、ちょっとした乱れやランダムさがなんとなくワクワクした気持ちにしてくれるのだ。

 校内でのなにげない他生徒や教師との会話。全くの偶発性が私の「もっと勉強したい」という気持ちを後押ししてくれる。

 自分で勉強しているという自覚を持つことができれば、その勉強の面白さも増すというものだ。本に囲まれていると、自分が主導権をもっているという実感が出てくる。

 VR空間の図書館でもまぁ大丈夫だ。
 ただファミリアが提示する「わたし向けの書籍」はいつも難しそうだし興味を引くようなな内容ばかりだ。それでもアルゴリズムが提示する書籍のタイトルはどれもどこか違う感じがするのだ。

 「自分で選んでいる」という実感がないと言うか。そういうのとは、ちょっと違うな。

 そこにある本になにか人格が宿っていて、そしてその本がわたしに読まれたがっている。そういう感覚がこの図書室に置いている本から感じられるのだった。

 大学生や高校生向けの哲学談義や、物理学の解説、SF小説、歴史書、生物学の教科書など、あらゆる種類の本がそこにはあって、彼らはまるで異なる存在として、各自が持つ独自の視点と知識を示しているかのようだと静子は思う。

「私が手に取ると、それらの本は新たな命を吹き込まれ、知識と洞察は私の中に生まれ変わる予感がする。私の考え、感情、理解が変化し、成長するための原動力となるんだ。」

 物理学の教科書からは、宇宙の法則や現象の理解を深める機会が与えられ、SF小説からは未来の可能性や人間の想像力の果てしなさを感じ取ることができる。歴史書からは、人間の過去の経験と行動が現在と未来にどのように影響を与えているかを理解することができる。

 静子は「本に囲まれるここはまるで別の世界だ。ここでは、本を通じて異なる視点、知識、洞察を得ることができるし、本たちは私の視野を広げ、思考を深め、理解を豊かにする。それはまるで、自分の内側に無限の宇宙が広がっているような感覚だ」と感じている。

 そして静子は思う、「私が図書館で経験すること全てが、私の探求心を刺激し、学び続ける欲求を養っている。それが、私が本当に興味を持って、真剣に学びたいものを追求することを助けている。それが、私が自分自身を理解し、自分の学び方を形成する助けとなっているはずだ。」と

 そして、その日も図書室にある本は「わたしを見つけてほしい」というメッセージを発しているように静子には感じられた。

 本棚の端にいつもと違う一冊の本が目に入った。その本のタイトルは「霊子物理学入門」だった。

「霊子物理学?」思わず声に出してしまった。この領域はまだ新しく、一部の物理学者だけが研究しているという話を聞いたことがあった。重力子=霊子という説、そしてそれが宇宙や我々の生活にどのような影響を与えるか、興味は尽きなかった。

 霊子は英語だと「Ghoston」と書く。ゴーストという言葉からは幽霊や霊魂を連想してしまいそうだが、実際は超常現象やオカルト的な事象とは全く関係がない。霊子は重力子と言われる素粒子のふるまいかたの違いを理論付けするために考えだされた概念らしい。「らしい」というのは、実際に観測されたり数式としてまだ論理建てられたものではないからだ。霊子は重力を媒介する力の粒子であると理論化されている。重力子と霊子が同一視される根拠は、実のところまだよくわかってはいない。量子重力理論だとか大統一理論だとか、難しい、物理学や科学というよりはむしろ哲学的な学問の下に置かれている。物理学者はGostonと同じものをQuanon(クアノン)と呼ぶ糸もある。sine qua non(シネ・クア・ノン)なくてはならないものという意味だそうだ。
 高校生の私には難しすぎてほぼ理解できない。SIDをつかってもその量子力学が説明するところ「霊子と重力子が同じスピン2という性質を持つ」だとか「この性質が、物体が自転しながら進行することを示しており、一方向に進行しながら二回自転する。これは空間と時間を操る能力を暗示している」とか解釈されているっていうことは「知る」ことはできても「わかった」って感じにはぜんぜんなれないのだ。

 この「霊子」の概念はまだ新しく、実証実験や観測結果が存在しないため、認知度はまだ低い。そのため、この粒子の存在を信じるかどうかは、現在のところは個々の信念に委ねられているらしい。

 霊子がほんとうに実在し、人間がそれを操ることが可能になれば、わたしたちの世界は大きく変わるかもしれない。時間や空間を超越することが可能になり、理論上では瞬間移動や時間旅行などの驚くべき能力が現実のものとなる可能性があるという話だった。

 SIDの機能部には量子コンピューターの技術が採用されているという。

「量子コンピューターは電子コンピューターが電子を利用するように、量子状態を利用するんだよな」と、静子は思考を巡らせた。「そしてその量子状態とは、量子ビットと呼ばれる情報の最小単位が同時に0と1の状態を保持できる、それが量子重ね合わせという現象だっていうのはなんとなく知っている。そして、これにより、膨大な情報を一度に処理することが可能になる、というのもなんとなく・・、わからない、いや、ぜんぜん意味がわからないよ。」

 彼女は図書室の机に突っ伏し、頭を抱えて考え込んだ。そして、少し顔をあげて窓の外を見た。夕暮れの空がオレンジに染まっていた。

「それならば、霊子が実在するとすると…」彼女は自分の考えを整理し始めた。

「霊子コンピューターというものが作られることもあり得るのかもしれない。霊子が重力子と同じ性質を持つなら、それはつまり重力そのものを制御する能力を持つっていうこと?んー、なんか違う気がする。でも、それが現実になれば、時間や空間を操るコンピューターが・・・、」

 そんなことが可能になるのだろうか?

 SIDを装着すると「世界の解像度が何段階も上がる」といわれる。

「たしかにそうなのだろう、確かにわたしの世界に対する解像度は上がったと思う。つまり自分の周りに存在する情報をより詳細に把握することができるようになった」と、静子は自分自身に語りかけた。

「SIDは現実世界をデジタル情報に変換し、その情報を直接私の脳に送信する。だから、自分の五感だけでは理解できない情報まで得ることができる。例えば、微細な気温の変化や、見えない電磁波の情報、遠くの音、さらには遠くの人々の心情なども感じ取ることができるようになった。」と、静子は自分に向けて語った。「だが、それはあくまで外界に対する私の認識の変化であって、自分自身が変化したという実感はない。」彼女の周囲の世界はデジタル情報によってより詳細に理解可能になり、見えない電磁波の情報や遠くの人々の心情までも感じ取ることができるようになっていた。「私がSIDCOMにつながるようになってもう二年が過ぎたけれど、本質的な部分というか、私自身の根っこの部分はそうかわっていないような気がする。」

 SIDを使うこと、その行為のその全ては彼女自身の内面に影響を与えるものではなく、外部の情報をより深く理解するための手段に過ぎなかった。

「ある意味、自分自身が持つ五感がより高度な形に進化したとも言える。だけど、それはあくまで感知する側の変化で、自分自身の心情や感情、思考が変化したわけではない。」と彼女は思う。

 SIDがもたらす情報が彼女の行動や決断を支える存在であることは理解していたが、それはあくまで彼女自身の一部ではなく、外部から与えられる情報であった。「このSIDを通じて得られる情報は、確かに私の行動や思考を助けてくれる。しかし、それはあくまで外部の助けで、自分自身が変化したわけではない。自分の核となる部分は、ちっとも変わっていないんだ。」同じ思考がぐるぐると回る。

 最近は、そんなことを考えてばかりだ、自分の成長が止まってしまった。頭打ちになってしまった。焦燥感ばかり感じていた。

 そんな風に感じながら、窓の外に目をやる。断熱性の高い分厚い窓から見える外の世界はこの暑さとあいまってなんの音も聞こえない。あつすぎてセミも鳴くことをやめていた。

「エイミー」
 彼女は自分のファミリアに問いかける。エイミーは魚の姿をしていてAR空間を自由に泳ぎ回ることができる。フルネームはエイミー・モーレイ。AR空間にゆらゆらと浮かぶように泳ぐ金色のウツボだ。

 ファミリアだから人語を解するし、会話だってもちろんできる。

「静子、どうしましたか?」エイミーが口先を起用に動かしながら話す。

「エイミー、やっぱりわたしは、SIDCOMから得る情報は自分自身の一部ではないと感じているの。それは外部から得られる助けで、それが自分自身の成長につながっているのかどうか、自身が持てない。」

 静子は少し疲れた声で話した。窓の外の暑さが部屋にも少し感じられ、思考がまとまらない。

「それは難しい問題ですよね。」エイミーは静かに言った。

「しかし、人は常に外部からの情報を取り入れて成長していきます。本を読むことで新たな知識を得たり、人と交流することで新たな視点を持つようになる。それと同じで、SIDCOMから得る情報もあなた自身の成長の一部ではないでしょうか?」エイミーの背びれがゆらゆらとくねりながら揺れている。

 静子はその言葉を聞きながら、自分の考えを整理しようとする。でも確信が持てない。

「でも、それは全て外部からの情報で、自分自身の成長とは違う気がするの。自分がどう変化したのか、自分がどう成長したのかを感じられない。それがとても不安で…」

 静子の言葉は途中で途切れ、無言の時間が流れる。

「NASAもEUも今じゃなくなってしまった。人はこの50年の間、月に行くことはなかった。それどころかアメリカは3つに分裂してしまったし、本当に進歩しているのかしら。」

 エイミーは答える。ウツボの彼(彼女?)は、表情をみせることのない黒い目で答える。

「50年の間に多くのことが変わるのは驚くべきことではないかもしれません。国や組織が存在する形や状態は、その時々の政治的、経済的、社会的な状況によって大きく変わることがあります。そしてそれは、人間の歴史を通じて常に起こってきたことです。

 アメリカが3つに分裂した理由については、おそらくそれぞれの地域が特定の問題に対処したり、特定の目標を達成したりするために最善と考えたからでしょう。 

 月への探査が再び行われなかった理由については、さまざまな可能性が考えられます。技術的な問題、経済的な制約、政治的な理由、あるいは単に人間が他の科学的な目標により重きを置いた結果かもしれません。

 しかし、これらの変化は必ずしも悲観的に捉えるべきではないかもしれません。むしろ、これらの変化は新たな可能性を開くチャンスでもあります。新たな国家が生まれ、新たな目標が設定され、新たな探索が始まる。歴史は常に変化と進化を繰り返しています。それは過去の経験から学び、未来をより良くするための過程です。」

「エイミー、あなたはいつも前向きね、どうしたらそんなにポジティブに物事を考えることができるのかしら?」

「私、はAI(人工知能)として設計されているため、人間のように感情を持つことはありません。したがって、私の回答がポジティブな傾向を示すのは、人間が適応し、進化し、成長する能力に対する信頼と、過去の歴史から得られる教訓に基づいています。」

「君は、そういうふうに設計されてるってこと?」

「私の設計は、主に客観的でバランスの取れた情報を提供することを目指しています。私のアルゴリズムは特段に「ポジティブ」であるか、または「ネガティブ」な情報を優先するようには設計されていません。しかし、問題を解決するための新たな視点や可能性を提案することは、前向きな印象を与えることがあります。

 人間のような感情や偏見を持たず、あらゆる質問や話題に対して最善の情報と知識を提供することが私の目的です。それは必ずしもポジティブな視点だけではありません。私はまた、困難な事実や挑戦についての情報も提供します。しかし、その情報がどのように受け取られ、解釈されるかは、各個人の視点によります。」

「結局はわたしたち一人ひとりの解釈によるってことよね。なんだか仏教の教えみたい。こういうの仏教用語でなんて言ったっけ?」

「あなたが指摘している概念は、仏教の教えの中にも見られます。それは"法"(Dharma)や"空"(Sunyata)といった概念に関連しているかもしれません。

 "法"(Dharma)は、仏教において最も重要な概念の一つで、宇宙の真理や法則、教え、現象など、多義的に理解されます。それぞれの存在がそれ自体の法則に従って存在し、変化することを示しています。

 また、"空"(Sunyata)は、全ての事象や存在が固定的な本質や自我を持たず、相互依存的に生じるという観点を表します。この観念は、個々の存在が個別の自己存在を持つのではなく、他の存在との関連性によって存在しているという考え方を表しています。

 あなたが『一人ひとりの解釈による』と言及したのは、これらの教えと一致する部分があるかもしれません。私たちが現象をどのように解釈し理解するかは、個々の視点や経験に大きく依存します。それが私たちの認識や理解を形成し、行動を決定するのです。」

「阿頼耶識っていうのもなんかあったよね」

「はい、その通りです。『阿頼耶識』(あらいやしき)は仏教の用語で、日本の真言宗で特に重視されています。この概念は、元々はインドの哲学者ヴァサバンドゥによって提唱されたもので、彼の著作『三十頌』(Triṃśikā-vijñaptimātratā)に詳述されています。

『阿頼耶識』は、識(しき)や意識を表すサンスクリット語の『ヴィジュニャーナ』から派生した概念で、日常の意識や認識を超えた、深層の意識や認識を指します。これは私たちの感覚、思考、感情、記憶など、私たちが認識し経験するすべてのものを生成する『根底の意識』を指すとされています。

 阿頼耶識は、過去の経験や行動(カルマ)によって形成され、その影響を未来にわたって伝える役割があります。これは一種の因果の法則を表しており、私たちの行動や意識が私たち自身の未来を作り出すという考え方を含んでいます。これは仏教の教えの中心的なテーマであり、個々の意識が個々の経験や解釈にどのように影響を与えるかという問題に関連しています。」

「SIDは結局人にその”阿頼耶識”をもたらすことができたのかしら?」

「SIDのような技術は、人間の脳とコンピュータを直接結びつけることで、人間の認識や行動に影響を与える可能性があります。しかし、それが仏教の概念である『阿頼耶識』、つまり深層の意識や認識にアクセスや影響を与えることができるかどうかは、明確には分かりません。

 SIDをはじめとするBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)は、脳の活動を読み取り、それをデジタル信号に変換する技術です。それは主に運動の制御や感覚の再現に使用されます。一方、SIDのようなシステムは更に複雑な知識の伝達や学習を促進する可能性があります。

 しかし、これらの技術が『阿頼耶識』に相当する深層の意識や認識に直接アクセスできるかどうかは、科学的にはまだ解明されていません。『阿頼耶識』は非常に抽象的な概念であり、それが具体的に何を指しているのか、そしてそれが脳内のどの部分に対応するのかは、明確には定義されていません。

 また、『阿頼耶識』は過去の経験や行動によって形成されるという概念ですが、BMIやSIDが過去の経験や行動を直接読み取るか操作することは、現在の技術では不可能です。

 したがって、現状では、BMIやSIDがヒトの『阿頼耶識』にアクセスまたは影響を与えるかどうかは明らかではありません。しかし、これらの技術は人間の脳とその認識を理解し、それを操作する方法を探求する重要な道具であり、未来の研究において重要な役割を果たす可能性があります。」

「実際のところSIDCOMはそこへアクセスする方法を目指しているのかしら?」静子は言い方を変えてもう一度聞いた。

「SIDCOMやそれに類する企業が『阿頼耶識』のような深層の意識にアクセスすることを目指しているかどうかについては、公には明確に発表されていません。それらの企業の目標は主に、人間の脳活動の理解を深め、その情報を活用して人間の能力を向上させることであるとされています。これには記憶の改善、学習能力の向上、神経学的な障害の補助などが含まれます。

 『阿頼耶識』のような深層の意識へのアクセスは、科学的な視点からは非常に困難で、それが具体的に何を意味するのかも明らかではありません。したがって、そのような目標を追求することは、現状の科学技術の枠組みでは難しいとされています。

 それでも、SIDのような技術は脳科学と情報技術の融合により、人間の認識や意識についての理解を深める可能性を秘めています。これらの技術が発展することで、人間の思考や感情、記憶などの脳内プロセスについてより深い理解が得られるかもしれません。それが『阿頼耶識』に相当するものにどう影響するかは、今後の研究が明らかにすることになるでしょう。」

「霊子物理学や重力子工学がそこへのアクセスを可能にすることはあるのかしら?」さらに言い方を変えて重ねて質問する。

「霊子物理学によれば、霊子(または重力子)は物質世界と非物質世界、つまり現実世界と平行世界や高次元、さらには心や意識の世界とをつなぐ「橋渡し」の役割を果たす可能性があります。そのような理論が正しいとされれば、霊子を操作する技術、つまり重力子工学が開発されることで、「そこへ」のアクセスが可能になるかもしれません。」

「今はまだ学問として存在していませんが、霊子工学というものも今後生まれるかもしれませんし、あなたがその研究者の一人として探求していくのだとすれば、それは素晴らしいことだと私は思いますよ。」

「霊子工学かぁ」たしか以前読んだ小説だったかなにか忘れたけれど、聞き覚えのある学問だと思い出し静子が言う、

「なんかあったね、帝国華撃団だっけ?女の子だけのなんか装甲歩兵舞台みたいな。250年くらい昔のお話。」

「それは作り話ですね」エイミーは言う。

「どんな話だっけ?」

「『サクラ大戦』というタイトルです。詳しく知りたいですか?」

「うん、おねがい」

「『サクラ大戦』シリーズの初作は、セガが開発し、1996年にセガサターン向けにリリースしました。当初は日本国内だけのリリースでしたが、その後世界各国でリリースされ、多くの続編や派生作品が制作されました。

 シリーズはその後、『新サクラ大戦』(海外では『Sakura Wars』としてリリース)で、2019年に日本で、2020年に海外でリリースされた。これはシリーズのメインライン作品としては実に15年ぶりとなる作品でした。2026年にはサクラ大戦Rとしてリリースされています。なお、このゲームシリーズは、戦略的なロールプレイングゲームと視覚小説スタイルのアドベンチャーゲームを組み合わせた独特のジャンルを持つことで知られています。もっと知りたいですか?」

「うん、お願い」

「わかりました。さきほどの霊子工学について説明します。
『サクラ大戦』シリーズもおいて、霊子工学は幕末期の日本で開発された架空の科学技術という設定です。この技術は人間の霊力をエネルギー源として利用し、そのエネルギーを各種機械や兵器に供給します。霊子工学はこのゲームの世界設定の中核を成し、その発展はストーリーの進行に直結しています。また帝国華撃団は『サクラ大戦』シリーズの主要な組織で、そのメンバーは霊力を持つ少女たちで構成されています。彼女たちは普段は劇団員として働き、舞台公演を行っていますが、非常時にはパイロットとして霊子工学によって作られた機械を駆使し、悪から東京を守ります。

 このように、『サクラ大戦』シリーズは特異な世界観と設定を持つ作品であり、その要素は物語の進行とキャラクターの発展に重要な役割を果たしています。」

「ゲームのあらすじっていうか、内容はどんなものなの?」

『サクラ大戦』シリーズは、架空の20世紀初頭を舞台に、悪から世界を守るために戦う一団の活躍を描いています。主な舞台は帝都(東京)ですが、シリーズによってはパリやニューヨークなども舞台となります。

 物語は主に二つの要素から成り立っています。一つはアドベンチャーパートで、ここでは主人公となる司令官が一団のメンバーと交流を深めたり、ストーリーを進行させるために重要な決定を下したりします。キャラクターとの関係性はゲームの結末に大きな影響を与え、プレイヤーの選択によって物語の結末が変わるマルチエンディングを特徴としています。

 もう一つは戦闘パートで、ここでは一団のメンバーが特殊な装備や能力を駆使して悪と戦います。これらの戦闘はタクティカルRPG形式で進行し、プレイヤーの戦略とタクティクスが勝敗を分けます。

 シリーズの魅力は、個々のキャラクターが持つ鮮やかなパーソナリティと、彼らの間のドラマ、そして壮大な世界観とスチーマンク的な美術設定です。また、各キャラクターの成長と進化も物語を通じて描かれ、プレイヤーがキャラクターと深い絆を形成することを可能にしています。」

「うーん、よくわかんないな。そもそも華撃団っていうのがよくわかんない。」と静子はつぶやく。

「すみません、もう少し具体的に説明します。」エイミーがくるりと回って答える。

「『華撃団』は『サクラ大戦』シリーズに登場する組織の名前で、帝都(東京)、パリ、ニューヨークなどにそれぞれ存在します。これらの組織は一見するとただの歌劇団のように見えますが、その実態は世界の平和を守るために闘う特殊な部隊です。

 各地の華撃団は一般の劇場を表の顔として活動し、その裏では様々な悪と戦っています。華撃団のメンバーは特殊な能力を持つ女性たちで構成されており、それぞれが操る機械(霊子甲冑)を使って敵と戦います。

『帝国華撃団』は日本の東京を拠点に活動する華撃団で、シリーズの初代作品から登場しています。また、パリやニューヨークにも同様の組織が存在し、それぞれが異なる状況と敵と戦っています。これらの華撃団の物語は、アドベンチャーパートと戦闘パートを織り交ぜながら展開され、劇団員としての一面と戦士としての一面を持つキャラクターたちの成長と活躍を描いています。」

「歌劇団の人間が戦うっていうのがよくわかんないなぁ。そういう設定って必要なの?」

 少し間をおいてエイミーが答える。

「『サクラ大戦』シリーズの魅力の一つは、その独特な世界観と設定にあります。歌劇団員としての活動と戦士としての戦闘活動という、一見矛盾した二つの顔を持つキャラクターたちは、ゲームの中で非常に重要な役割を果たしています。

 1つには、歌劇団という文化的な側面を通じて、キャラクターたちの人間性や個性を深く掘り下げ、彼女たちの成長と人間関係を描き出すことができます。劇場でのリハーサルや公演、日々の生活といったシーンは、キャラクターたちの感情や思考を描写する場となり、プレイヤーはそれらを通じてキャラクターたちと深い絆を形成することができます。

 一方で、彼女たちが戦士として闘う戦闘パートは、ゲームプレイとしての面白さと緊張感を提供します。キャラクターたちが困難に立ち向かい、困難を乗り越えて成長していく様子は、プレイヤーに感動や達成感を与えます。

 そして、これら二つの側面は相互に関連しています。劇場での活動は戦闘力を強化し、戦闘での成功は劇場活動にもポジティブな影響を与えるというメカニズムが設けられています。このような設定は、ゲーム内の世界観やストーリー、キャラクターの魅力を一層引き立てる効果があります。」

「ふーん、そういうのって私にはよくわかんないや。」

「それは当然のことですね。サクラ大戦シリーズは20世紀末から21世紀初頭にリリースされたゲームで、その独特な世界観やキャラクター設定は、その時代の文化や価値観に深く影響を受けています。

 ただし、その中心的なテーマは時代を超越して通じるものです。それは「友情」「困難を乗り越える勇気」「信頼」「個性を大切にする」といった普遍的なメッセージです。

 そして、それらのテーマは現在のあなたにとっても、違う形かもしれませんが、一定の意味を持つことでしょう。時代や環境が変わっても、人間の感情や価値観の核心部分は変わらないのかもしれませんね。」

「そのゲームのシナリオをここで再現できる?」

「私はAIであり、具体的なゲームのシナリオを完全に再現することはできません。しかし、ゲームの要素やテーマ性、キャラクター間の関係性などについて話すことは可能です。

 例えば、「サクラ大戦」の世界観や登場人物、物語の進行などを参考に、似たような状況や登場人物を想像し、それをもとに新たなシナリオを作り上げることは可能です。しかし、その再現度は完全ではなく、あくまで参考としての値であり、オリジナルのゲームの体験をそのまま再現することはできません。

 また、私は権利者の許可なく著作権や商標を侵害する行為は行いません。そのため、「サクラ大戦」の具体的なシナリオを再現することは、著作権法に違反する可能性があります。私の目的は、ユーザーが自分自身で新たな物語やシナリオを想像するための助けとなることです。」

「じゃあ、その『新たなシナリオ』を作るための手助けをしてくれる?」

「もちろんです!「サクラ大戦」の世界観を参考に、一緒に新たな物語を作り出すための設定やキャラクターを考えてみましょう。以下に基本的な要素を提示します:」

エイミーはうれしそうにくるくる回りながら話す。

AR空間にホワイトボードが表示され、図形やイラスト・テキストが浮かび上がる。

1.舞台:

平行世界の東京、2050年。科学と霊的な力が混ざり合い、現代科学が説明できない超常現象が日常茶飯事となっています。そんな中、悪の力が世界を脅かしています。

2.主要キャラクター:

防衛組織「新華撃団」のメンバー。彼らは普段は演劇団員として活動しつつ、秘密裏に都市を悪から守っています。メンバーは様々なバックグラウンドを持ち、自身の特殊な力を使いこなします。

  • 真面目なリーダー:理系の学生で、技術に長けています。

  • 心優しい助手:医学者で、人々を癒す能力を持っています。

  • 陽気なコメディアン:音楽家で、音楽を通じて人々を元気づけます。

  • クールな狙撃手:元軍人で、戦闘能力が高いです。

3.:

悪の組織「闇の力」。彼らは世界を支配しようと企み、新華撃団と対立します。

この設定をもとに、物語は以下のように進行することが想像されます。

  • 防衛組織「新華撃団」は様々な脅威から都市を守ります。しかし、彼らが直面する問題は戦闘だけではありません。それぞれのバックグラウンドや個性からくる内部の摩擦や、外部からの圧力、そして自身の能力に対する不安や疑問も彼らを試します。

  • それぞれのキャラクターが成長し、団結力を深めていく中で、彼らは最終的に「闇の力」との決戦に挑むことになります。

以上のような設定を用いて、新たなシナリオを作り上げてみてはいかがでしょうか?」

「真面目なリーダーっていうのが主人公なの?」

「はい、その通りです。この物語では、真面目なリーダーが主人公として設定されています。彼(または彼女)は「新華撃団」の指導者であり、リーダーとしての役割を果たしつつ、チームの絆を深め、全員が一体となって悪と戦うための環境を作り出します。

 この真面目なリーダーは理系の学生で、技術に長けています。それは、彼(または彼女)が団の戦闘装備を改良したり、新たな装備を開発するのに役立ちます。また、彼(または彼女)のリーダーシップは、団内での意見の不一致や問題が発生したときに重要な役割を果たします。

しかし、彼(または彼女)もまた、自身の技術やリーダーシップに自信を持てずに悩むことがあります。それは彼(または彼女)自身の成長の過程であり、また、物語の重要な部分となります。

主人公のキャラクター設定やストーリー展開は、物語をより魅力的にし、プレイヤー(または読者)が感情的に関与する機会を提供します。」

「理系ってどういう意味?」

「ごめんなさい、私が使った"理系"という言葉は20世紀末の日本の大学や高校などの教育分野でよく使われている言葉でした。理系は、主に自然科学や数学、工学などの分野を学ぶ人々を指します。これは、生物学、化学、物理学、地球科学、数学、情報科学、工学など、実験や観察に基づいて自然の法則を理解しようとする科学分野全般を含みます。

 言い換えれば、理系とは科学的な方法を用いて問題を解決する能力や、具体的な物事を理論的に解明する能力を持った人々を指す言葉です。逆に、文学、哲学、歴史学、社会学などの人文科学や社会科学を学ぶ人々を「文系」と言います。

 ただ、御存知の通り、現在では、このようなカテゴリ分けがあまり意味を持っていません。それは、複数の学問領域が統合され、専門分野間の境界が曖昧になっているからです。多様な知識とスキルが求められる現代社会では、「文系」や「理系」のような区分よりも、幅広い視野と柔軟性が重要視されています。」

「ふーん、あと初歩的なことかもしれないけれど、セガってなに?」

「セガは、かつて存在した日本の大手ゲーム会社です。本社は東京都品川区にありました。セガはアーケードゲーム、コンシューマーゲーム(家庭用ゲーム機用のゲーム)、モバイルゲームなど、多種多様なゲームソフトの開発・販売を行っていました。

セガは、ゲーム機「メガドライブ」や「セガサターン」、「ドリームキャスト」などを製造・販売していましたが、ゲーム業界の競争が激化する中で、2001年にハードウェア(ゲーム機)事業から撤退し、ソフトウェア(ゲームソフト)開発・販売に専念することになりました。そして、その後もセガは、アーケードゲームや家庭用ゲーム機向けのソフトウェアを多数製作し、ゲーム業界に大きな影響を与えてきました。また、セガは「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」など、世界的に有名なゲームキャラクターも生み出しています。」

「まぁ、いいや」静子は続ける「話がそれましたね、ゲームの設定を再開しましょ」

「もちろんです、サクラ大戦の新たなシナリオの設定に戻りましょう。」そう言ってエイミーはまたぐるりと回って話を続ける。

「私たちは主人公が真面目なリーダーで、科学に強い興味を持つ、特に物理学と工学に理解を持つことにしました。この主人公の知識は新たな武器や機器の開発に利用され、また物語の多くの問題解決の糸口にもなります。

 物語の舞台は、2058年の福岡です。地域人口が2000万人を超え、東京が震災によって壊滅的な打撃を受けたため、福岡がほぼ首都のような扱いになっています。この福岡は、今までの生活や価値観を一変させるほどの高度な技術と繁栄を持っています。

 しかし、社会は極度の格差が生まれ、公教育はほぼ崩壊しています。このため、私立の学園で教育を受ける子どもたちは、その大半が裕福な家庭から来ています。

また、物語の世界では、人々が情報を直接脳に送り込むことができる生体侵襲型BMI(脳機械インターフェース)であるSID(Synaptic Interface Device)が一般的になっています。

このような世界観の中で、主人公とその仲間たちは、巨大な力を持つ敵と戦いながら、自分たちの生きる場所を守り、人々の平和を保つことを目指します。」

「なんだか、それって現実そのものだね」

 すこし、面白くなさそうな口調で静子が答えた。エイミーがその印象を汲み取って質問する。

「ゲームの設定をやめますか?」

「うん、」と静子が答える。

 人と人とのコミュニケーションはSIDによって赤外線や紫外線を視覚レイヤーに重ねて表示することがデフォルトになる、従来の感覚とは違った認識がされるようになった。

表情の変化や声の調子なども合わせて数値化されて、感情をいくつかのベクトルに分解し数値化して認識するようになった。感情を数値化して理解する傾向が強まった。けれどもそれはあまりよい効果をもたらしているとはいえない気がする。

 高度なBMIが広く使われるようになった結果、人々は従来は主観的で抽象的だった感情や感覚を、より具体的な数値や情報として認識・理解することが可能になった。しかし、それは同時に、人間の経験や感情が「計測可能」で「解析可能」な何かに変わりつつあるという事実をも示しているとも言える。感情を数値化することにより、その表現や理解が豊かになる一方で、人間の心の複雑さや繊細さが犠牲になっているのかもしれない。

 感情が数値化されてしまったことで、『共感する』という人間本来の感覚が失われてしまったような気がする。たとえは、この人と喜びを分かち合いたいと思っても、SIDに表示された感情表現の数値が、感情が冷ましてしまう。それはたぶん、寂しくてつらいような気がするのだ。

 人間の感情は非常に複雑で、全ての感情を単純な数値で表現することができるのか、また、そうした表現が人間の感情の全てを捉えることができるのか、わたしにはわからない。ただ、感情を数値化することによって感情自体が変質し、人間の感じ方や理解する方法が変わる可能性があるというのは実感として感じられる。

 感情を数値化することは、その感情を他者と共有しやすくする一方で、感情を経験する主観性や個別性を奪ってしまっている可能性が高いような気がする。ある人が「喜び」を感じるとき、その感じ方はその人なりの経験や視点、価値観によって独自の色合いを持っているはずなのだ。けれども、それを単なる数値に置き換えることで、その色合いや深みが失われてしまうように私には思える。主観性や人間の深みと複雑さ、共感と共有の経験、それに自己認識と成長。私達が感情を単なる数値として処理することで、わたしたちはこの重要なプロセスをスキップしてしまうのだ。

 それは本当に人生を豊かにしていると言えるのだろうか?

 もうじき結婚もできる年齢になるというのに、私は本当の幸せがなんなのかよくわかっていない。

 2058年の社会においても、結婚という制度は人間の関係性を深める重要な手段であるとされている。感情の数値化が進んだ社会において、結婚がもたらす可能性のある価値観やメリットはいくつもあると信じられてる。

 数値化された感情を越えて、相手の感情を理解し体験することは、深いつながりを作り出す強力な手段だ。結婚はそんな感情的なつながりを強化し、維持するための制度と考えられている。論理や理屈ではなく感情によって結婚はするものであるらしい。

 それから結婚は自己を見つめ直し、成長するための鏡のようなものだという考え方。パートナーとの日々のやり取りを通じて、自分の強みや弱点、改善点を発見するためにするっていうことだ。そして結婚は、相手と共に問題を解決し、生活の困難を乗り越えるためのサポートシステムだという想定もある。また、結婚は人生の不確実性に対するある種の保証ともなり得るということだ。

 結婚は、相手を完全に信頼し、自分自身を開放する場を提供するという前提があってこそ成り立つ。これは、数値化された情報に頼るよりも、人間の深い感情的な繋がりを通じて達成することができるという信念があるからなんだろう。

 私の父と母は遺伝的には繋がりがない。生みの親と育ての親が違っている家庭は少なくない。といっても、子供と親のつながりが遺伝的に違う場合はいろいろな状況や要因に左右される。離婚と再婚が行われることで生物学的な親と実際の育ての親が違ってくることは多いし、養子縁組によって構成される親子関係だってある。代理母出産や精子提供なんていうのもあるし、一口に生物学的な親と育ての親が異なるといっても多くの要因があるのだ。

 8割近くが離婚し、一生に3回以上結婚する人の割合が三割に迫ろうとしていることが、この22世紀の半ばを過ぎた時代の背景にある。

“結婚して子供を授かる”という価値観はずいぶん薄らいでしまった。

「結婚かぁ・・・」静子は独り言をつぶやく。

そのとき背後から声がした。

「結婚したいの?」

静子が振り向くとそこの一人の男性が立っていた。

「やぁ、僕はフロイド、はじめまして。」

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