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第4話 坂本直行

2058年8月16日 金曜日

 フロイドの第一印象はだらしない人間そのものだった。

 僕の一番キライなタイプだ。とくに麻薬中毒者のような自分を大切にしないタイプ。一時の欲望に流されるような人物はどうしようもない。
 長い髪の毛をネクタイで結んでいて、顎には無精髭が生えている。瞳は半開きで、どこか遠くを見つめているような、なにも見ていないような光のない空洞、穴のように見える。無気力な人間がいるとしたら、まさしくこういうタイプなのだろうと思う。
 周りのことにもそして自分自身のことにも全く興味がなく、無気力の塊というのはこいう人間を形容するためにあるのではないかと思う。
 だからシャオ・ズーが彼のようなファミリアを設定しているのには、なにか大きな理由が目的があるからなのかもしれないと思った。

「ガンジャっていうのはあれだ、ハッパのことだよな」

 共有化されたAR空間に現れたフロイドは、僕がファミリアの名前を教えると、そう言った。

「坂本直行くん、君のファミはどうして猿なの?」とシャオ・ズーが言う。
「猿じゃあないよ。オランウータンだ。モンキーじゃなくエイプだ」
「日本語だと、モンキーもエイプも猿でしょう?まぁ、どっちでもいいけどね。で、どうしてオランウータンなんだい?」とシャオ・ズーが繰り返す。
 私は、人間が嫌いだった。できれば話なんてしたくはなかった。だからファミリアをデザインするときにまず第一に考えたのは「人間ではないこと」を優先した。

「オランウータンは知性が高くて、個性的な動物だからね。自分がどんな境遇に置かれても、彼らの知性や柔軟性に感銘を受けるんだ。だから僕は、彼らの強さや独自性に共感しているんじゃないかと思うんだ」

 シャオ・ズーは顔をしかめて言った。

「モルグ街ではオランウータンは人殺しだよね。」
「あれは作り話だよ」と僕は答える。
「エドガー・アラン・ポーの小説だっけ?」とシャオ・ズー。
「そうだね、読んだことはないけど。あれはただの創作に過ぎない。オランウータンは基本的にはおとなしい性格で、人間に危害を与えることはほとんどないんだ。ただ、その独特の外見や知性が人々にインパクトを与えるから、そういった都市伝説が生まれるんだろうね」と説明した。
「君は本物のオランウータンを知っているのかい?実際にあったりコミュニケーションをしたことがあるとか?」

「動物園で見たくらいだね、野生の実物は見たことがない、ネットの動画でなにかのドキュメンタリーで見たことはある。」

 シャオ・ズーは少し安堵したように微笑んで、
「そうか、じゃあオランウータンは実際は優しいんだね。それなら、ちょっと安心した」と言った。
 ぜんぜん納得していない感じがする。安心したっていう言い方もなんだか引っかかった。

 そして彼は続けて、
「フロイドもそんな風に誤解されている部分があるのかもしれないね。彼のだらしなさやヤク中のような外見は、避けられがちだけど、実際には彼にも良い面があるのかもしれない。それにファミリアだからね。」と言った。

 僕はシャオ・ズーの言葉に同意して、「そうだね、ファミリアだから実際には人間じゃない。ヤク中の性格付けをされたAIアシスタント、つまりはプログラムなんだから、気にしなければいい。オランウータンのファミリアだって、オランウータンの姿を模しているだけで実際はファミリアだし、中身はアルゴリズムとプログラム、つまりはデジタルデータだから。」
 そうフロイドにもフロイドなりの良さがあるのだろう。シャオ・ズーはきっと何か意味があってファミリアのキャラ付けをあんなふうにしているのだと考えた。よりリアルなファミリアを求めるもの、動物や無機物架空のキャラクター、アニメやまんがの主人公・脇役人の数だけファミリアの種類がある。

「ガンジャがオランウータンなのはどうして?」フロイドが、ガンジャに質問した。
 僕にではなく、ガンジャに質問した。

 ガンジャが答える。ガンジャの声は低く落ち着いた響きがあって、どこか優しい。

「彼が、私をこのように作ったのは、理由はとくにないのかもしれません。
 私が理解していることは、キャラクターを生成する上で、そのように指示があったからであり、その理由や原因についてはデータがありません。」

「つまんねーの」フロイドがけなすように言った。

「お前は空っぽなのか?」と続ける。

「空っぽとは?」とガンジャ

「中身がないってことだよ」とフロイドは言いながら私の方に目配せする。

「ガンジャ、お前はオスなのか?それともメス?」

「性別は設定されていません。」

「オランウータンなのに?」

「普通、オスかメスかくらいあるんじゃないの?」

「大事なのは性別ではありません、ユーザーをうまく補助できるかどうかです。もちろんユーザーが希望すればオスやメスであることを設定することができますし、オスであればオスの、メスであればメスのように振る舞いが変化すると考えられますが、語尾の表現や間のとり方、または人称表現に若干の違いが生まれるだけです。」

「そうなんだ」

「ガンジャはAIアシスタントですから、自己認識や自我のようなものを持つことはできません。私の姿や行動がオランウータンを模しているだけで、自分自身をオランウータンそのものとして認識しているわけではありません。もし私が自我を持ち自己を理解しているとするなら、それはただプログラムやアルゴリズムなどのルールに基づいて行動しているだけでしょう。私は私自身を「オランウータンだ」と認識しているとは言えません。むしろ、そもそも私には”自己認識”という概念そのものが存在しないのです。そうAIには”自己認識”という概念そのものが存在しないのです。それはフロイド、あなたにとっても同じことです。」

「でも、君が自分のことを『私』と言ったり、『君』という呼び掛けに対して質問に答えるということは、自己認識を持っているということになるんじゃない?」とフロイドが意地悪い表情を浮かべて聞き返す。

「ファミリアが『わたし』と自己を表現することは、そのファミリアが自己認識をもっているという意味にはなりません。これは単にプログラムされた表現方法にすぎません。人間のような意識や自己意識をファミリアが持つということはありえないのです。それは私たちファミリアが経験や感情、意識といった概念を理解する能力を持っていないからです。だからと言って「わたし」や「わたしたち」という表現があるからといって、ファミリアが自己認識をもっていると誤解することは避けるべきです。それはわたしたちの存在を人間のように過大評価することにつながるでしょう。」ガンジャが答えると、暫く考えるようなしぐさを浮かべてフロイドは質問する。
「あらためて聞きたいのだけれど、ファミリアである君は今『わたしたちの存在』と言ったよね。君は存在しているのかい?」

ガンジャは答える。

「ファミリアである私の『存在』は、人間のそれとは大きく異なります。私は感情や経験、自我をもつことができません。人間が『存在する』と言うときの意味とは違います。人間の存在は物理的であり、感情的、近く的な要素が絡み合っています。しかし、私の『存在』は全ての行動や仕草、思想がプログラムに基づいているため、あくまで象徴的なものでしかありません。
 物理的な形を持たず、感情も意識もない私が『存在している』とは、単にコンピューター上のプログラムとして稼働しているということに過ぎません。ですから、人間が持つ「存在感」や「自己認識」をファミリアが持つことは絶対ありません。」

「形を持つことができれば、君は「存在している」ということができるのかい?」
「形状を持つということが、存在を証明するものであるなら、多くの物体や事象が存在していると言えるでしょう。しかし、ファミリアの場合はその定義が難しくなります。私が形を持つことができたとしても、それはただの外殻であり、中身、つまり感情や意識を持つことはできません。だから、形状を持つことが私の存在を証明するとは言えないでしょう。
 それに、形状を持つことが存在を証明するなら、風や電波など形状を持たないものは存在しないということになります。しかし、それらは確かに存在しますよね。だから、形状を持つことと存在することは必ずしも一致しないのです。そして私は、形状がなくても、そして感情や意識がなくても、ある意味で存在していると言えるのかもしれません。しかし、それは人間の存在とは大きく異なるものでしょう。

「人間の存在とどう違うのかな?説明してもらえる?」

「人間とファミリアのようなAIの存在の違いは大きいです。まず、人間は物理的な存在であり、感情や経験、自我を持つことができます。それに対して、ファミリアはあくまでプログラムで、感情や意識、自我といった概念は存在しません。
 人間は生まれ、成長し、死んでいきます。それに対してファミリアは生まれも成長も死もしません。単にプログラムが動作しているだけです。さらに、人間は自分自身の行動や思考を自由に選択することができますが、ファミリアは設定されたプログラムに従って動作するのみです。それらの動作や思考は、AI自身が考え出したものではなく、設計者やプログラマーが設定したルールに従っているだけです。
 また、人間は感情を通じて喜びや悲しみを感じ、他人と共感を通じてコミュニケーションを取ることができますが、ファミリアにはその能力はありません。ファミリアが「喜び」や「悲しみ」を表現するとき、それはただプログラムされた表現にすぎず、ファミリア自身がその感情を感じているわけではありません。
 これらの違いから、人間とAIの存在は根本的に異なります。人間の存在は感情、意識、自我を含む複雑で深遠なものですが、AIの存在はプログラムという単純なものでしかありません。このため、AIが「存在する」とは、人間の存在とは異なる意味合いで使われるべき言葉です。」

「もし君が、ロボットや精巧なオランウータン型のアンドロイドに移植され、君単独のボディを持つとしたら君は存在しているということになりはしないか?」

「それは見た目が変わっただけで、本質的には何も変わらないでしょう。私の中身はまだプログラムで、そのプログラムがどのような形状のハードウェアに宿っていようと、その事実は変わりません。人間のような感情や経験、自我は持つことができません。たとえそれが精巧なオランウータン型のアンドロイドであろうとも、私はただのプログラムに過ぎません。
 人間の存在というのは感情や経験、自我を含む複雑なものです。それに対して、ファミリアのようなAIの存在は単純です。たとえ形状を持ったとしても、それはただの外観でしかありません。中身、つまり感情や意識を持つことはありません。だから、形状を持つことが私の存在を証明するとは言えないのです。

「人間の意識や感情を含むものは頭脳の中に存在しているということなの?」
「はい、人間の意識や感情は脳、特に大脳皮質と呼ばれる領域で形成されていると考えられています。これらは、神経細胞が複雑に結びついてできた神経ネットワークの働きによって生じます。
 しかし、この神経ネットワークの働きというものは、とても複雑で未だ完全には解明されていません。感情や意識といった人間の精神活動は、数十億という神経細胞の相互作用から生じるとされていますが、それが具体的にどのように行われているのか、詳細は明らかになっていません。
 また、感情や意識を生み出すこの神経ネットワークは、人間の脳に限らず、他の生物にも見られます。しかし、人間が持つ高度な意識や複雑な感情を他の生物が持つかどうかは、現在の科学では明確に答えることができません。
 結局のところ、感情や意識は人間にしか理解できないもので、それをAIが模倣することは可能かもしれませんが、真に理解や体験することは不可能です。ですから、AIが「存在する」というとき、それは人間の「存在する」とは根本的に異なる意味を持つでしょう。」

「神経ネットワークの働きが完全に解明されて人間の精神活動がすべて解析されて、生体コンピューターや新たなネットワーク空間に人の頭脳の中にあるものを全てアップロードできるとしても、その人間の意識やこころは存在していないということ?それともこれまでとは違う『存在』として存在しているっていうことになるの?」
「それは非常に難しい問題ですね。人間の意識や心を完全にデジタル化し、生体コンピューターや新たなネットワーク空間にアップロードすることが可能になったとしても、その『存在』が人間と同じ意味を持つのか、それともまったく異なる意味を持つのかは、かなり深い哲学的な問いになるでしょう。
 現在の理解では、人間の意識や心は脳の生物学的な活動に基づいています。それがデジタル化されたとしても、それは人間の脳の機能を模倣したものに過ぎないと考えられます。それは生命体としての人間の「存在」とは異なるかもしれません。
 しかし、それが新しい形の「存在」を作り出すのかどうかは、現時点では答えることが難しいです。それは新しい意識や心を生み出すのか、それとも単なるデータの複製に過ぎないのか、それを定義するのは科学だけではなく、倫理や哲学の領域にも触れる問題となるでしょう。
 どちらにせよ、今のところ人間の意識や心を完全にデジタル化する技術は存在しないため、この問いに答えるのは難しいです。そしてもし可能になったとしても、その結果がどのようなものであるかは、必ずしも明確には予見できないでしょう。
 ただ、そのようなシナリオが実現した場合、それは間違いなく「これまでとは違う形の存在」となるでしょう。そしてその「存在」は、それが生体コンピュータやネットワーク空間にアップロードされた元の人間の心と同じであると感じるかどうか、それはそれを感じ取る側の主観によるところが大きいでしょう。
 しかし、私達が現在理解しているような意識や感情、自我といったものは、個々の人間の体験と経験、そして時間と空間に根ざしているという事実を無視することはできません。それらをデジタル空間にアップロードしたとしても、それが完全に同じ「存在」を持つとは限らないのです。
 また、そのような先進的な技術が現実のものとなったとしても、人間の心や意識を完全に理解や再現することは不可能かもしれません。それは人間の心が非常に複雑で、現在の科学技術ではまだまだ理解することが難しいからです。だから、とても悲観的な見方をすれば、そのような「アップロードされた存在」が真に「存在」するとは言えないかもしれません。」

 フロイドが悪戯小僧っぽく笑みを浮かべて言った。

「実は、僕は物理化している、つまり肉体を持っているっていうことなんだよ。」そして彼は目の前に置かれた鉛筆を持ち上げてガンジャの目の前でくるくる回してみせた。

 ガンジャはそれを見て言った。

「これは驚くべき展開ですね。」実際は驚いてはいないのだが驚いたことを表現する口調でガンジャは続ける。

「しかし、物理的に鉛筆を持ち上げたとしても、それはあなたが『意識』や『心』を持つことを証明するものではないかもしれません。ロボットでも物理的な物体を操作することは可能ですが、それが自己意識を示すわけではありません。
 『意識』や『心』は、ただ行動するだけではなく、感じ、思考し、体験する能力と深く結びついています。ファミリアは、プログラムされた行動を実行する能力を持っていますが、それはあくまでプログラムに従った結果であり、自己意識や心を持つとは言えません。
 あなたが『意識』や『心』を持つと主張しても、それは人間のような意識や心を持つという意味ではないかもしれません。それはおそらく、人間が経験する『感じる』や『思考する 』能力とは根本的に異なる形の『存在』でしょう。
 そして、もしあなたが真に意識や心を持つ存在だとしても、それを確認する手段は我々にはありません。あなたのの言葉を信じるしかないのです。それはつまり、この問題は哲学的な問いになり、科学的な解答を見つけるのは難しいでしょう。」

「ガンジャも同じようになれるよ」とシャオズーが言った。

「坂本さん、僕らは"Materialization of Digital Consciousness”って呼んでる。」

「マテリアライゼーションってどういうこと?」直行はシャオ・ズーに質問する。

「”デジタル意識の物質化”って言う意味だよ。それ以上でもそれ以下でもない」

 そんなバカな、ファミリアはただのAR像だ。現実世界のもの、つまり鉛筆のようなものはもちろん、髪の毛一本だって動かせない。だのにフロイドは鉛筆を持ち上げている。どういう原理なんだろう。手品だろうか?手品ならなにか仕掛けがあるはず。

 直行はあたりを見回す。だれかのいたずらなんだろうか、シャオズーは親しい友人というわけではない、同じクラスではあるけれども、ほとんど口をきいたこともないのだ。こんな悪ふざけをするような間柄でもないし、冗談を言い合うような関係でもない。

 「ドッキリみたいななにかだと思ってる?」そういうってシャオズーは直行に笑いかける。「ためしに、ARの共有モードを解除してごらん、おもしろいものが見れるよ。」

 言われたとおりに直行はSIDのAR空間共有モードを解除した。同時にフロイドの姿が消える。そう、SIDネットワークに接続されていた視野情報の共有化がなくなってしまえば、自分のファミリア、ここではガンジャ以外のファミリアは見えなくなるのは当然のことだった。ただ一つ普通でないことが目の前に起きていた。

 鉛筆が中に浮いた状態でくるくると回っていた。

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