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幸福は言葉にならない

とてもエモーショナルな、感情を揺さぶられるような出来事には言葉がついていかない。
普段、絵で自分を表現しているからだろうけれど、この先は言語ではないという領域が自分の中にある気がする。
言葉ではなく行動で、という意味の言葉もそれに含まれる気がする。
歌でしか伝えられないもの、鼻歌でしか伝えられないもの、写真やドライブ、何も語らずただ寄り添うような時間や同じものを並んで見る時間。
目線や互いの距離感、ご飯を食べた時の表情、その日の気候に合わせて着てきた服。
人に会うための服もあるし、その服を選んだその人の価値観もそこにある。

東京アートフェアに合わせて東京にいた。
メインとなるアートフェア以外にも別のフェアや展示を見に行き、ばったり会う人はほとんど皆福岡で会える人たちだったけれど、場所を変えて会える時の高揚感がある。
お祭り気分でたまたまここで会えるからできる何気ない話が、どうも福岡では聞けない話な気がする。

とても会いたかった人と半日くらい過ごして、一緒に作品を見て回り冗談混じりに「どれ買いたい?」と聞いたら思いの外、よく考えて作品を眺めた様子でこれが好きだと教えてくれた。
あの時の表情、面白がりよう、意識の向き方が白い壁面に浮かんで思い出すことができる。

有楽町の線路高架沿いを歩く間、隣で靴がコツコツと道路を打つ音。
銀座の裏路地を昼間と日暮れに歩いて、その景色の変わりように目を輝かせる。
あてなく新橋の飲み屋街をさまよって、その時に見た赤提灯やネオンの色。
長く話したはずなのに覚えているのは話の内容より、そういった風景にいる記憶だ。
人と別れて一人でホテルに帰る道は、昼間歩いたのと同じ道だったけど、不意に心細さが襲ってきて、ホテルの部屋で座り心地のいい椅子に座って放心し、シャワールームですごく勢いのあるシャワーを長い時間浴びてようやく生きた心地がした。

福岡に戻って、最初のご飯をいつもの讃岐うどん屋の焼き鯖定食にする。
羽田で人気の焼き鯖寿司の話をしたことを思い出しながら、いつもどおりの丁寧な定食を食べて、お会計の時にお母さんからいつもありがとうございますと言われて美味しいですと答えてお母さんが満面の笑みになるのが嬉しく外に出る。
セーターを着て外に出たが、生ぬるい風の中を半袖のおっちゃんが歩いている。

それらの気持ちを何と言葉で表していいかわからない。
幸せであるとか、生きていた甲斐があったとか、いい言い回しがあるだろうが、今はどれもしっくり来ることがなく、有楽町界隈をあてもなくさ迷った今回の滞在と同じようにその印象的な風景を描写していくのみで、本当はこれだけで表現としては十分かもしれない。

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