「踊り子さんの来る街」を読んで

たなかときみさんが書かれた「踊り子さんの来る街」を拝読しました。

一読者の読書感想文のようなものなので私情を挟んでしまいますが、抱いた感情を私自身が忘れないように書き留めておきます。


もうなんもないや〜どうなってもいいやとなっていた時に初めてストリップを目的に地方遠征したことがある。学生でお金もないから海外旅行には行けないわたしにとって、それはある意味一種の賭けみたいなものだった。
本当に何もかも楽しくなくて、どの人間関係もうまくいかなくて、いっそこの人生すら手放したいと思った時に、大好きなストリップを観ても心が動かなかったらもう全部放棄してもいいかなって。

 そしてわたしはその劇場に立つ大好きなお姐さんを観て踊り子になろうと決心した。生まれて初めて、誰かに届ける側に立ってみたいと思ったのだ。
そんなことをこの本を読んでふと思い出した。

まあ、これはわたしの一方的な感情吐露だけど、この本にはどの立場に立つ人間にも温かなスポットライトが当たっていた。
踊り子、投光、お客さん、劇場。
それぞれにそれぞれの人生があるし、ストリップ劇場はその人生の縮図みたいなものだ。
綺麗なだけの人間なんていない。
汚くて泥臭くて、それでも必死で体勢が崩れないように踏ん張っているのが人間てものだ。
私だってこのオブラートのように薄い人生の中でもいくつか転機みたいなものがあって。
その人生の中で踊り子としての道を選択したことは今までで一番大きな決断だった。

わたしはお客さんの優しさも知っている。
お客さんの時はわたしはどうしても被りに座ることができなかった。なんなら席に座ることも憚られた。
一番後ろで立ち見で見ることが好きだった。 
それは大好きなお姐さん(わたしにとってはアイドルみたいな存在)と目が合うことが気恥ずかしかったから。
そんな私におそらく常連さんみたいなお客さんが「どのお姐さん応援してるの?その時だけ前の席座りなよ。きっと喜ぶから」と被りの席を譲っていただいたことがある。
なんかその気遣いがめちゃくちゃ嬉しかった。
渋谷に行った時、あるおじいちゃんが好きなお姐さんとのツーショット写真を丁寧にまとめたアルバムを見せてきたことがある。「これは俺が死んだら棺桶に入れてもらうんだ」と誇らしげに言っていて、すごく可愛かった。

わたしはお姐さんの優しさも知っている。
わたしのデビュー作の衣装は牧瀬茜姐さんから黒井ひとみ姐さん、そして私にと譲っていただいたものだ。
その衣装に身を包むと不安が全部消える。何物にも代え難い宝物だ。
デビュー日の夜、わたしは不安でつい茜姐さんに「わたしは裸になってしまっていよいよこれからの人生が怖い」としょーもないことを打ち明けてしまった。
当時は親にも言わないで飛び出してこの世界に入る準備を内緒で整えてそのまんま舞台に立ったから。
茜姐さんはこの本のインタビューと同じ笑顔でそれに答えてくれた。何を話したかはわたしの胸に閉まっておくけど、私はそれで救われた。
あの茜姐さんの穏やかな声色と表情が後押しをしてくれた。

たなかときみさんが最後に描かれている漫画を何度も読み返してしまう。
描かれている茜姐さんの笑顔がご本人そのまんまで素敵なんだ。
この本を締め括る最後の言葉が何よりも好きです。「静寂と情熱の炎に包まれるようにステージはいつでも燃えている 観客の顔も照り返す光で燃えている 女性が一人身体ひとつで燃えている」(引用文)

本当にそうなんだよなぁって。
ステージは人生そのものだ。綺麗も汚いも全部存在する。決して全てが美しいわけではないけど、裸で舞台に立つなんて並大抵の覚悟を決めなきゃできない。

私には何もない。特技は何かと問われたら本当に困ってしまうくらい。
それでも親からもらった五体満足の体がある。ステージはいつだって孤独だけれどスポットがある、お客さんがいる。そのおかげで私は身体ひとつでここに立っていられる。

広島第一劇場さんは行ったことないけれど、とても素敵なところだってこの本を読んで知れてよかった。

今日は心があったかいまま眠れそうだ。


いつもご拝読、サポートありがとうございます。 いただいたサポートはステージ衣装や雑費などに使わせていただいております。