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経済成長はなぜ必要か?

世界は購入できるモノで満ちている。
国家も購入できるモノだった。国際倫理という枠組みで、悪質な乗っ取りはされにくいということになっているけれど、搾取された歴史を持つ国は多く、悲劇に満ちている。
国際的、相対的な弱さは、崩壊に繋がる。それを守るには、鎖国という方法に戻ってしまう。

さて、国際貿易が可能で自由経済下の国を維持するためには、相対的な強さが求められる。
相対的な強さとは、基軸通貨とほぼ対等な為替レートで交換が可能な通貨の水準を維持するということ。
これを維持することは、つまり、国を容易に買い叩かれない水準を守るということ。
守り続けるということは、他国の経済成長に追い抜かれないように、大差をつけられないように抗い続けることが必要だ。
だから、経済成長が必要なのだ。

例えば、国の中でソーセージが1個100円で流通しているとしよう。経済成長を止め、ひたすら平坦を維持した架空のある国では、安定した価格で喜ばれていたし、郷土料理のそれが、値段が変わるなんて思ってもみなかったのだ。
ある日、国際競争力の高い隣国から、ソーセージが入ってきた。
1個20円。
大量制裁によって、海外にも多く輸出されているそれは、とうとうその国に入ってきた。
しかし、関税という取り決めで隣国のソーセージBも1個100円にした。
しかし、80円分の関税というのは、今の地球では許されないレートだ。
しかたなく、1個60円まで譲歩せざるを得ない。
ソーセージ1個100円だった国でも、当初は不買運動が続いたが、やがて、1個60円のソーセージBにシェアが奪われていく。
国内では、ソーセージ製造業者に関連するビジネスが、どんどん潰れていくのだ。
50年ほど経って、60円のソーセージは、120円で輸入される。
もう、100円で流通させていた国の、ソーセージ関連会社が崩壊し、ソーセージをつくれなくなってしまったからだ。
やがて、その国は、ソーセージBを120円で買い続ける社会になる。人々は気づかないまま、120円で買い続ける。
国の富が、どんどん隣国に貢がれていくのだ。

だから、経済成長が必要だ。
ソーセージは残念な結果になったかもしれないが、ネジの業界は逆だった。
国内で20円で流通するネジを、隣国に120円で売ったのだ。

二つの国は、互いに得意な業界同士で貢ぎ合う。
業界の内部では大変なことが起きているが、国家間では、対等な貿易が続いている。
富は循環し、互いを支え合う。
長らく同じような為替レートが形成され、均衡を保っている。

これが、国際競争力のモデルケースだ。
これは、国際うんぬんが難しい人が唱えるのは、国境を越える貿易なんかやめてしまえば良い!と言いがちだが、小さな物々交換でも起こりうる。

魚釣りの上手い人が、ほうれん草を育てるのが上手い人と、長らくおじいちゃんのおじいちゃんの時代から、物々交換をしていた。
ある日、ほうれん草の家の3男坊が、網漁を開発した。ほうれん草の家の4男坊が、養殖を開発した。
ほうれん草の家は、魚を買う必要がなくなった。

魚釣りの上手い人は、経済成長を考えず、毎日同じ釣り針で、毎日同じ場所で、同じ数だけ釣っていたのだ。
だが、ある日突然、ほうれん草の家から「もう買わない」と言われる。
続いて、今まで買ってくれていた人が、「もう買わない」と言い始める。
魚釣りの上手いひとのもとには、一部の、こだわりの強い人だけが、人情で残ってくれた。
けれど、物々交換仲間は、十分の一になってしまった。
経済成長を考えることは、国内鎖国モデルでも生じてしまう不均衡を抑えるモデルケースなのだ。
経済成長を考えることは、魚釣りの上手い人と、ほうれん草を育てるのが上手い人が物々交換をし続けられる関係を、維持するために必要なのだ。

実は、人間社会は、貨幣流通社会ではないし、人間関係社会でもない。
根源的には「欲望」で回る社会なのだ。
人間は「交換することで欲望を満たす」生き物なのだ。

だから、みんな仲良く。というのは、近視眼的にはとても重要だが、長期視点では、弱みになる。
その根源的なニンゲンの在り方を否定せず、目をつむらず、けれど、社会の理想を描くにはどうしたらいいだろうか?

私は、もっと、もっと、賢い答えがほしい。
誰か、交換してくれないか?
君の賢い考えを、無料でくれないか?

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