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第15回 宮沢賢治の弟清六の孫 宮沢和樹の本を読んで

まずは、バナー画像からいこう。大正十年十一月十五日、天業民報 四面の「虔祝田中先生之還暦」祝賀広告である。
岩手県からは協賛者に関徳弥とともに名を連ねている。
では、まずは引用からいこう。宮沢賢治についてである。

ひたすら『法華経』の実践者として何かをしたいとの思いで、かつては日蓮宗の門徒だった田中智学という人が一九一四 (大正三)年に始めた、「純正日蓮主義 を奉じる在家の仏教団体である「国柱会」という組織にも参加するのです。しかし、そうでありながら、日蓮宗という宗派や、純正の日蓮主義を標榜するこの団体そのものには深くかかわってはいかなかったのです。

 宮沢和樹著 『わたしの宮沢賢治 祖父清六と賢治さん』 より引用

ここには親族として宗教に踏み込んでくれないでほしいという願いとして私には受け止められました。国柱会信仰に関しては様々な解釈が成り立ちますが、自分としては、宮沢賢治は終生国柱会として生涯を終えたと思います。#田中智学 還暦祝賀広告には、繰り返しになりますが、岩手県 #宮沢賢治 また親戚である関徳弥の記載があるわけです。また、機関紙 「天業民報」 にも、詩を投稿しております。決して表面上のことではなく、深く国柱会日蓮主義を信仰していたと思います。シベリアへもシナにも田中智学先生ご命令あれば赴くとも言っております。ただし、国柱会は国家主義ではあれ、大東亜戦争に導く国粋主義者ではなかったと思います。(非常に理解が難しい点です) では、宮沢賢治は戦争協力をしなかったかといえば徴兵検査に落ちたから戦線に赴かなかっただけで、弟の精六の同様徴兵検査に合格していれば一時軍人になっていたのかもしれません。戒名 #真金院三不日賢善男子 も国柱会からとなっております。(#堀尾青史 #年譜宮沢賢治伝)

国柱会の思想が正しいとか正しくないとか取り除き、国柱会日蓮主義者と表明しなければ #宮沢賢治 の臨終の、国訳妙法蓮華経千部発行の願いもよく伝わってこないのではないでしょうか。より、法華経を弘めようとしていた賢治には、神道、キリスト教、アミニズムも含んでいたかもしれません。けれども終生国柱会員でした。大体の宮沢賢治研究者には、国柱会日蓮主義は、不都合な真実扱いです。銀河鉄道の夜も、今回NHKで取り上げられた #こころの時代 #宮沢賢治 #北川前肇 のとおり、仏教の最上界への切符 #サッダルマプンダリーガスートラ (妙法蓮華経) で向かっていたという説も言えるはずです。タイタニック号の死者がキリスト教の神にいくので途中で降りてしまうのに、そこでは何故ジョバンニは降りなかった訳はなんなのでしょうか。キリスト教への理解があってもそこにキリスト教信仰があったようには見えません。より深く国柱会日蓮主義を捉えなければ、作品の基盤としてある宗教家、宮沢賢治には辿り着けないのではないでしょうか。より広い見地からの検討を期待します。



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