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第7回 『日蓮主義とはなんだったのか』宮沢賢治編

筆者の考える「宮沢賢治編」の要点

今回は、大谷栄一著『日蓮主義とはなんだったのか』(以下、本書)で宮沢賢治について記載されている部分について論じてみたい。はたして、宮沢賢治は日蓮主義者として夢をみていたのか。本書では、宮澤賢治とその宗教思想について、9頁ほど論じている(304-312頁)。著者大谷氏の賢治の日蓮主義に関する見解は、筆者は次の箇所に要約されていると考える。

"すなわち、自分の心の一念によって、 現実の国土に永遠絶対の本国土を感得する天台的法華経観から、折伏という積極的な布教活動による現実変革を通じて、この現世に本国土の建設をめざすのが、国柱会の法華信仰の特徴だった。 賢治の信仰は、前者から後者へと移行した。"

『日蓮主義とはなんだったのか』310頁

折伏(しゃくぶく)とは、折破摧伏を略した仏教用語であり、悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。 人をいったん議論などによって破り、自己の誤りを悟らせること。 あるいは、悪人や悪法をくじき、屈服させること。(Wikipedia より)

折伏を通して宗教として実践して行動し、現実世界を仏国土にしていく(娑婆即寂光土)、国柱会の法華経観を宮沢賢治は見いだしたといってよい。それが、父政次郎、親友保坂嘉内への折伏に繋がっていく。

日蓮主義の生い立ちの土壌

田中智学が日蓮主義を唱えた時代、江戸時代幕府の檀家制度で布教という面では宗派を問わず退化し仏教は形骸化し、葬式仏教化していた。同時に、廃仏毀釈により仏教がなくなるのではという仏教界全体の危機があった。ここに、各宗派による仏教の近代化がはかられる。浄土真宗においては、暁烏敏、近角常観、清沢満之らがリードした。その中で、日蓮宗からは、日蓮主義の田中智学がリードした。田中智学が提唱したのは日蓮に立ち返れ、という在家仏教集団である。

なお、日蓮主義は、日蓮+ism(主義)から生まれ、田中智学が坪内逍遥に相談してできた造語である。


田中智学

ナショナリズムとしての日蓮

日蓮主義は、右翼から、左翼の仏教社会主義まで含んだ、幅の広さのある宗教運動になっていった。ここでとりあげる日蓮主義は田中智学のものに限定したい。

田中智学の掲げる日蓮主義は天皇制とも結びついた国体論にもなり、法華経による天皇を中心とした国体を目指していた。法華経による宗政一致による日本統合である。

同時に、日蓮の予言を再解釈し、まずは日本から先んじて、他の国土を仏国土(理想世界)として世界統一して行くという思想であった。いずれにせよ、ナショナリズムの精神的支柱に日蓮をすえたものであり、日蓮信仰に立ち返ってのナショナリズムであった。この延長線上に、石原莞爾の満州国建国があると思われる。

今日では、考えられないこのようなナショナリズム思想が世論の大勢の支持を得るとは考えられないが、一世を風靡した。

終わりに

ただし、筆者にも疑問は残る。何故宮沢賢治は日蓮主義の中でもなぜ国柱会でなければならなかったのかである。
これは、国柱会の当時の勢いが呼びよせた偶発的なものであった可能性もなきにしもあらずではないか。 当時、一世を風靡して今日蓮とよばれたカリスマが田中智学であった。時代の変化を捉えるのが早かった賢治特有のものといっていいのかもしれない。しかし、日蓮主義のもっていた「この世でいかに仏国土をつくるか」。これに宮沢賢治がこだわっていたとすれば間違いではないのかもしれない。満州国や、他国へ仏国土を実現しようとする発言は書簡でも見つかっていない。仏国土は、宮沢賢治にとってはイーハトーブであったかもしれない。

また、継続して検討していこう。

参考文献
『日蓮主義とはなんだったのか』
大谷栄一 著 講談社

宮沢賢治


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