「独りごと」と「独りよがり」の違い
自分が書いているnoteは独り言みたいなものなんだけど、「独りよがり」にはなりたくないと思っている。
毎日書いていると、自分の文章が他人にどんなふうに読まれているのか、あまり気にならなくなってくる。(ビュー数は多少気にしている)
評価されることに無頓着になってくる。「とにかく書く」が常態化しているので、エゴが入り込む余地は日に日に少なくなっていく。これは習慣化の良い面だと思う。
書きたいことを書きたいようにかけているのはいいとして、しかし読んでくれる人を「置き去り」にしていないかなと、ふと気になった。
「独りごと」と「独りよがり」の違い
「独りごと」ではあるんだけど、「独りよがり」にはなりたくない。
二つの違いは何か。まず「独りよがり」について。
・誰にもよく思われない(賛同を得られない)ことを延々とやる
ネットで延々と誰かの悪口を書く、とか。これは独りよがりと言ってよさそうだ。
・世間一般の価値観と合わないことをやり続けること
こちらは必ずしも独りよがりとは呼べない気がする。強い意志を持って新しい事業を立ち上げた起業家を「独りよがり」とは言わないだろう。
・下手なギター(ピアノ)を部屋に篭ってひとり弾き続ける
これは微妙なラインだ。
1人で楽器を演奏する行為には「独りよがり」と「非・独りよがり」の両方があり得る。境目を考えるにはいい事例な気がする。
二つを分けるポイントは「向上心」だと思う。
ただ楽器を鳴らして悦に浸っているだけなら「独りよがり」。
一方で、演奏技術を上達させようという目的をもって、考えながら弾いていれば、それは練習だ。独りよがりではない。
向上心のない愉悦が目的=独りよがり
上達を目的とした練習=非・独りよがり
文章の場合
文章を書く場合はどうだろう? 書く行為にも、楽器と同じく愉悦が目的の場合もあるし、上達が目的の場合もある。
ただ、言葉で何かを伝えることは、音楽よりも皆ができることなので、愉悦には浸りにくいかもしれない。
でも、練習のつもりで文章を書いている人ってあまりいない気がする。
書きながら自分でわかってきたことがある。
ぼくが冒頭で書いた「独りよがりの文章は書きたくない」の意味は、
誰にも理解されないレベルのものを書きたくはない、ということになる。
つまり、論理展開が破綻していなければ、何を書いてもとりあえずOK、ということがわかった。
結論:論理展開の間違っていない独り言を書こう
そう思った。
以上です。
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