noteでは「ですます調」をやめようと思った理由

noteを書くときの文体の話。

今までは「である調」と「です・ます調」の両方を使った。

人に向かって話すような内容のときは「ですます調」、自省的な内容のときは「である調」
のように、コンテンツごとに使い分けてきた。

どちらを使うか悩むときもある。
1000文字くらい書いて、文末の調をぜんぶ書き直して読み比べてみたときもある。

それで、いったんの結論として、noteでは「である調に統一しよう」と思うに至った。

ブログで身についたクセ

ネットで発信する文章を書くとき、「です・ます調」がわりと自然に出てくるのは、長らくブログで文章を書いていたのが理由の一つだと思う。

検索エンジンからの流入が主なアクセスであるブログでは、「です・ます調」が一般的。

何かを説明するコンテンツが多いから(ガジェットのレビューや操作手順など)、そういう文章のときは敬語的な書き方のほうが都合がいい。
「こんなときは、このボタンを押すのだ」とか偉そうに書かれたら、ブログから離脱する人は増えそうだ。

でも、noteでは気にしなくていいのかもしれない。

自分が人のコンテンツを読むときも、文末の調なんてほとんど意識してないから。
はじめて読む人の文章で「このボタンを押したのだ」とか書かれていても、特に何も思わずに読み進めると思う。

ブログとnoteは違う

noteは、ブログとは読者層も内容も違う傾向がある。

たとえば「流入経路」。ブログのように検索エンジンから辿り着いてnoteの記事を読むことは(なくはないけど)少ない。

多くはプラットフォーム側が、同じテーマやキーワードについて書かれた記事をのキュレーション(選別)してくれたものを読むことが多い。

noteは個人的な日記のような内容のコンテンツも多い。

「です・ます調」をやめようと思った理由

理由はとても単純で、思考の幅が制限されると感じたから。

文末の調くらいで思考の幅なんて、と思われるかもしれない。

でも、実際に自分でいくつも記事を書いてきて「だ・である調」の方が自由だと感じた。

微妙な差だけれど、間違いなく違いはある。

書く内容についても、ですますだと「外向き」になり、である調だと「内向き」になる傾向がある。

どちらがいいというわけじゃないけど、今ぼくがnoteを使って書きたいのは「内向きの考え事を言語化する」ことなので。

ついブログ的にかしこまった文体で書きがちな自分を抑えて(解き放って?)

自由に内向きの思考を発散させていこうと思います。

いや、発散させていこうと思う。

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