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住居は権利。私が多拠点生活を始めるわけ。

めがねやふうすい@イノチグラス

4月末をもって、浜田山の測定室を閉じました。
浜田山駅徒歩5分で日当たりよく、快適に8年近く一人暮らしできていたお部屋です。

イノチグラスを作ったお客さんや、ご飯を食べに来た友人がこの部屋を気に入ってくれていたのが寂しさに拍車をかけます。

8年前にこの部屋を借りる時、お師匠の住む永福町近辺で、30平方メートルぐらいのいお部屋を探していました。

この部屋見つけた時は27平方メートル。
内見して、重要事項説明を受けている時に25平方メートルということが発覚。それでも広いと思えたので契約し、先月まで住みました。


約8年前の2014年の7月、私は刑務所を満期釈放となりました。

所持金は1030円。


Suicaの買い方を知らず携帯電話もなく浦島太郎状態でした。

私は、躊躇することなくその日に杉並区で生活保護を申請しました。


福祉事務所から最初に与えられた宿泊所は、厚生施設の2人部屋でした。

病院のようにきれいな作りだが、病院のようにカーテンの向こうのベットに別の人がいます。


翌朝、公衆電話から福祉事務所に電話をかけ、ホームレスになると宣言してその施設を出た。
出所してまで雑居というのが納得いかなかったのです。

詳細は別のnoteに書いたので省くが、テントのようなサンシェードや、公園のベンチや、歩道橋のスロープで仮眠を取って過ごした。


半月後、所持金と体力尽きて行き倒れました。

世田谷区の福祉施設前で、朦朧としながら、福祉事務所の担当者名と電話番号を書いたメモ書きを、声をかけてきた人に掲げました。
多分、施設の巡回警備員に500円玉を一枚もらいました。
その名前も忘れてしまった施設の会議室のカーペットに横になって仮眠をし、非常食用のクラッカーを食べ、福祉事務所の職員が到着するのを待った。

私のことを説明する職員は、大変な状況にあると伝えていました。
7月の炎天下で熱中症で立てなくなったし、数日間お風呂も入れず、半袖短パンで過ごしていたのでサンダルからむき出しのくるぶしは真っ黒でした。


その日の夜、再び福祉事務所に提供された施設は、杉並区から離れた東久留米市にあるもとは団地だった施設。団地特有の叩けばうるさそうな鉄の扉の2LDKの間取りの部屋一つを与えられました。
同室者の出入りが激しいので鍵はかけられません。

常に貴重品は身につける必要がありました。
真夜中に別の階の住人が錯乱して怒鳴り込んでくることもあります。

周りは、私と同じで刑務所出だったり、生活保護者で精神疾患を抱えていたりします。

毎月のように近く警察署から、捜査令状を持った刑事がやってきて、同室者の荷物を押収していきました。

救急車も毎月です。

施設で禁止されているのにお酒を持ち込んで飲む人もいます。

飲んだ挙げ句、血を吐いて亡くなる人もいました。

仲良く近づいてくるひとには、携帯電話の名義貸しを頼まれました。

寮費として生活費をしっかり取られ、施設の使用料を支払うと、毎月の自由に使えるお金は15000円ほどでした。

施設で提供される食事(一食500円、三食1,500円)ではお腹が満たされず、近くにある薬局で、古くなって半額になる菓子パンでお腹を満たした。また100円均一に行っては、100円の割にはカロリーが高いものを選んでは食べ、お腹を満たしました。

依存症回復施設にリハビリに通っていたので、現金書留が受け取れずにいましたが、

その書留は寮長が何度か無断で開封して寮費を回収していました。。

刑務所では刑務官が読んだあとの信書しか読めないが、社会では信書開封罪です。

書留封筒をそのまま手渡すとその日のうちに博打に全額使う利用者もいるので、寮費を回収する側からしたら大変だろうが、開封は違法です。


精神病院とリハビリ施設に通いながら半年間暮らした部屋でした。

半年ほど暮らすと、福祉事務所から部屋を探していいと連絡がありました。

生活保護を受けていると伝えた上で審査も通り、ようやく住めた部屋でした。

バストイレ別。
1974年5月築。

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写真で間取りを見ると歪んでいるが、実際も歪んでいました。

三角形の土地に建ててあるので、台所の方に行くに従い、幅が狭い。

水道代は共有のメーターなので無料です。

日当たりと風通し良く、景色もよいです。

とっても気に入っていました。

思い出もたくさんあるし、
引越ししたくないという気持ちもありました。

それでも、経済的な事情が大きく、2022年の5月から、名古屋の一軒家に引っ越しました。

東京に比べたら家賃は安いです。

内装はボロボロなのでいくらでも改装して良い物件です。

数年前まで人が住んでいたのですが、手入れするところがたくさんあります。

シロアリで朽ちた門を破壊し、廃材を捨てました。

陸屋根にペンキを塗って雨漏りを直しました。

キッチンと風呂場を漆喰で塗りました。

腐った畳を剥がしてフローリングにしました。

壁紙や床を張りました。

気がつけば、建材を買ってのカード請求が○十万円(汗)

引越し代すら10万円かかってるのに、家賃より安くつくはずが、修繕がハイペース過ぎて出費がかさみます。


さておき、

表題に戻り、私が多拠点生活を始めるわけは、住居という権利について考える機会が多かったから。

浜田山のお部屋は、私の不在時にはシェルターとして共有していました。

表題写真の机と椅子も、そのために引っ越しの最後まで残していったもの。

住居が不安定な方、経済的にも不自由が多い方へ提供していました。

刑務所では雑居室であれ、独居室であれ、外から鍵がかけられます。今朝起きた布団に今日も寝られるという保証がない居室です。

これでは落ち着けません。

また、私は、自動車整備工場の社員寮に住んでいたことがあります。

ここも、仕事があっての拠点なので、働くことが条件です。

自分だけの不可侵な物理的スペースを持つこと。

その大切さについて考えます。

最初の支援は住居から、ハウジングファーストという取り組みがあります。


ハウジングファーストは、
「ホームレス状態にある人の困難にはまず安心できる住まいを得られるようにしよう。住まいは権利である」
という理念を中心とする、主にホームレス支援を目的とする社会政策や社会支援の分野において比較的最近発明された枠組みである。

これまでのホームレス支援では、ホームレス状態にある人を「だんだんと独立した住居」に移転させてきました。例えば、路上から公的なシェルターへ、シェルターから一時的な住居へ、それから普通のアパートへというように移転させてきました。私自身も、反抗はしてもその流れから浜田山の住居確保に至ってました。

一方で、ハウジングファーストは、「まず、住まいを」のプログラムのもとでは、ホームレス状態にある人は路上からすぐさまアパートに入居することになります。

ハウジングファーストの中心的な理念は、「ホームレスの状態にある人や家族が第一に必要としているのは安定した住居です。
事故の意思で施錠できる不可侵なマイルーム。
他の様々な困難は、それらが解決してからではなく、まず安定した住居が得られてから対処されるべきである」という考えです。

社員寮付きの会社で働いたことはありますか?
私は自動車の組立工場で働いたことがあります。
仕事場に徒歩で行け、風呂トイレは共用です。
布団の貸与もあり、定期的にシーツ洗濯があります。
家具が何も無い6畳の部屋。
快適でした。

仕事を辞めたら、当然そこには住めません。

2022/08/04


続きはそのうち。



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めがねやふうすい@イノチグラス
刑務所の経験者とその家族の居場所づくり→眼球を使ったトラウマケア→メガネづくり。 https://meganeyafuusui.jimdofree.com/ 東京と名古屋でイノチグラスを作る見習い眼育士。 https://forms.gle/8dHDs8mwWiGUWtTi6