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100万回生きたねこが気に入らない。

先日、100万回生きたねこの読み合わせをするワークショップに参加した。

読んだあと感想を言い合うのだが、そこで出てきた自分の感想が普段は思いもよらなかったことが出てきた。


100万回生きたねこの内容は、

前半は猫の人生(というか猫生?)が淡々と語られる。

あるときは王様の飼い猫。

あるときは泥棒の飼い猫。

船乗りの飼い猫。

おばあちゃんの飼い猫。

サーカスの飼い猫。

それらの飼い主は猫が死んだとき泣いた。

泣かれる生き方(死に方)だ。


後半に、白い猫との邂逅が描かれる。

(話それるけど、猫と描って漢字似ている笑)

白い猫と出会い、子をなし、白い猫が死に、

主人公猫(ここも主猫公と書くべき?)が泣いて死ぬ。

泣く生き方(死に方)

その後、猫はもう生き返らなかったという。


この絵本から受け取ったメッセージは、

愛すること。


ワーク参加者からは、

「成仏」という単語がいくつか聞けた。

猫が生き返らなくなった、

輪廻から外れたことが「成仏」らしい。

(それ以外の個人感想は秘密)


さて、ここからが本題!

100万回生きたねこが気に入らない。

猫は、前半の物語で沢山の飼い主に愛されて生きた。

飼育する・されるの関係性の仲ではあるが

その中には、猫の嫌いな飼い主もいたが

一方的な愛ではなかったと思う。

好き・嫌いとは別に愛というレイヤーがあるはず。

10万回も生きる猫だから、飼い主を愛した猫性もあるはずである。

また、生きる上で愛することは、

先に言った成仏に至る必修科目かも知れないが、

それ以外にも必修科目はあるはずである。

猫はたまたま最終の単位が「愛」であっただけで、

100万回生きる過程で他の科目は終えていたと思う。


ゲーテが書いた戯曲「ファウスト」では、

まずは第一部でファウストは

教授として学術的に貢献したが、人生に不満があった。

ファウスト教授は、悪魔メフィストフェレスと、

死んだら魂を悪魔に渡す契約をして、若さを得る。

そして若き女性と愛を満たす。

第二部でも(第一部発表から30数年後)

「賢者の石」や、そのの材料となる「ホムンクルス(瓶の中の小人)」も登場する。

ファウストの最期は、多くの知識と世俗を満たし終えて、悪魔の引き止めを無視して天使とともに天に昇っていく。

読み直してはいないが、ザクッとそんな戯曲だと記憶している。

ちなみに、ゲーテ自身は20代から晩年までこの戯曲に取り組んだため、これはゲーテの今生の必修科目のひとつだったと思われる。


端的に言えば、

愛がラスボスじゃなくて良いのだ!

ここからはごく個人的な話となるので有料。

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