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震災と私

東日本大震災から10年が経つ。

あまりにも現実味のない未曾有の大災害すぎて、
「震災」= 東日本大震災
って変換されるのは、東北民だけでしょうか。

宮城県民的には、昔は「地震」= 宮城県沖地震(1978年のやつ、多分。もちろん生まれてない。)で、
小中学生のときの避難訓練では、その時の被害のお話なんかを聞きつつ、
いつかまた来ると言われる宮城県沖地震に備えて行きましょー!って感じだった。

それまでもそれなりの地震はちょくちょくあったし、その度に私の学習机のものは全て雪崩を起こしていたけど、
正直自分の周りの被害はそんなもんだった。


今回のnoteでは、初めて「震災と私」って感じで書いてみることにします。
たぶん、特別なことは書いてありません。長文だし。
でも、東北で生まれ育った人間として向き合って書くので、流し読みで良いからみてくれたら嬉しいです。


2011.3.11からの私

当時、高校2年生。
来年は大学受験だ〜なんて思いながら、振休か何かで学校が休みで、一人で家にいた。
珍しく真面目に、模試の復習とかしてた。

急に、揺れた。
わーまたかよーーーなんて思いながら、
火の元であるストーブを消して、情報を得るためにとりあえずテレビをつけて、
家が歪んで出れなくなると困るから玄関を開けた。
ここまでは慣れたもん。

なんかやだね長めだな〜、あー食器が割れる音がする、破片気をつけなきゃ〜
なんて呑気だったけど、待てど暮らせど止まない揺れ。
しっかりものの幼なじみが、お年寄りの家を回って状況を確認している様子が見えた。
気付いたら大粒の雪が降ってた。

こういう時は揺れが何度も続くのはわかってたから、すぐに出れるように玄関にしばらくいた。
当時ガラケーだったので、ワンセグでニュースをみながら、散乱した玄関を片付け。
停電もしたけど、早く復旧しないかな〜あと1時間とかかかるのかな〜くらいの感覚。

ワンセグでニュースをみてたら、わけのわからない光景が写ってた。
仙台空港の飛行機が流れてた。意味がわからん。あそこは海浜浴場じゃないぞと。
電気も復旧しないし、ワンセグからは冗談かよって映像が流れているし、ちょっとだけ気持ちが疲れてきた。

もう暗くなってたと思う。妹たちと両親が帰ってきた。
その日は懐中電灯で過ごし、リビングにみんなで寝た気がする。

あとから聞けば、妹たちはわりと危険なところにいたらしい。
一人は川の近くにいて、その後移動したけど、その川は津波がきた時に氾濫した。
一人は近くの壁が思いっきり崩れたらしい。

なんかもう、怖いしわけわからないし、電気ガス水道は復旧しないし、
多分現実逃避をしてた。何も考えないように過ごしてた気がする。
幼い妹の暇つぶしに付きあってUNOしたり、春休みの宿題をだらだら進めたりしていた。
毎日リビングで寝て、リビングで起きて、家族で過ごしてた。

もう何日なにしてたのか、正直あんまり覚えてない。
当日から何週間後だったか。
食糧を得るために、歩いて20分くらいのスーパーに行ったのは覚えてる。
停電していたからか、外に品物が並べられ、手計算で会計がされていた。

あと、人間って何日も髪を洗わないとこうなるんだって思ったのを覚えてる。
電気復旧してから、プロパンガスを使ってる近くの美容院が無料でシャンプーしてくれた。
みんなで美容院に向かった。ありがたすぎた。

電車で高校に通っていたけど、電車が簡単に復旧するわけもなく、長い春休みを過ごした。
おかげで夏休みはめちゃくちゃ短かった。受験生にとっては泣けた。


震災から1〜2ヶ月はそんな感じ。
幸せなことに、身近な人間はみんな無事に生きていて、
ライフラインが途絶えたことで苦労こそしたものの、
これでも、「何事もなく無事だった」と言えるような状況。


2011年夏からの私

電気が復旧し、テレビがつくようになった。ぽぽぽぽ〜ん。
テレビでは見知った土地がわけわからんことになってた。
親戚の家も被災し(人は全員無事)、見知った土地が知らない土地になっていた。

けっこう、ずっと目をそらしていた。
どんな気持ちで何をどうしたら良いのかもわからなかった。
大学でも災害ボランティアのサークルに登録したものの、一度も参加しなかった。
忘れることだけは、いけないと思っていた。


いつからか、東北に住む人間として、知っておかなければいけないという気持ちが出てきた。
それはここ数年の話だと思う。
知ろうとすることを、やっと始めた。


私が感じる、それぞれの震災への想い

いろんな人に話を聞いて
いろんな書き物を読んで
知れば知るほど複雑だと思った。


震災を機に趣向を変え、人生を歩み直した人もいる。
気持ちを切り替えて、昔は昔、今は今、って考えた人だと思う。
沿岸地域には新しい施設もたくさんできている。
それは、気持ちを切り替えて前を向いて、新しい街を作っていこうとした人々の成果だと思う。

震災前の光景を取り戻すために頑張った人もいる。
ずっと培ってきたものごとっていうのは、それまでの人の想いや努力も詰まっているし、
新しく変えるんじゃなくて取り戻したくて、すごくすごく、努力されたんだと思う。

震災に負けんなこのやろー!って奮起した人もいる。
強い気持ちで、パワーで、過ごされていると思う。

震災を踏み台にしてビジネスにすんなや、って考えの人もいる。
おっしゃっている気持ちも汲み取れないとは言えないだけに、つらい。

震災のことを語る人がいる。
「語り部(かたりべ)」という言葉をたくさん聞くようになった。
忘れてはいけない。これからも伝えなくてはいけない。

他方、震災のことは思い出したくない人もいる。
沿岸地域に住んでいて被災し、内陸に引越しした人は多い。
その中には、恐怖を思い出したくないから、という理由をよく聞く。
もうほっといてくれ、って感じだと思う。

被害も受けず、特に生活に支障もなく、何とも思っていない東北民もいる。
そりゃ、例えばスマトラ沖地震も大変な被害だったと思うけど、
じゃあスマトラに縁のない人間が毎年思い出すかといったら正直そんなことはないし。そんな感覚かと。

被害も受けず、特に生活に支障もなかったけど、
自分の近くで起こったことのために何かをしようとする人もいる。

10年経っても、行方不明の人を捜索したり、
裁判でたたかっている人もいる。
当時、色々なところで判断を下さなくてはいけなかった人は、どれほど大変だっただろう。
個々を全て知るわけではないけど、それぞれの判断が正しかったのか、間違っていたのか。
まさかこんな高さの津波がくるなんて。こんな海から離れた場所まで津波がくるなんて。
想定って難しい。どこまで想像できるか。カバーできるか。
あのとき何が正しかったのか。部外者の私ですら考えるのがつらいんだから、当事者の方々はどれほどのものか。


どれもデリケートな個々の心・気持ちで。

何を発信するにしても、
きっと誰かを救うと同時に、誰かを傷つけることになると思う。
発信しないことも、
きっと誰かを救うと同時に、誰かを傷つけることになると思う。


「東北を想う全ての人にありがとう」

あ、宣伝入ります。笑
けど、別にこの宣伝が成功したからって私たちにお金が入るわけじゃないです。
ただ、ひとりでも多くの人に伝えたいから、聞いてほしい。

今回、東北の大手新聞社、河北新報社さんとWEBサイト&動画を制作しました。
宮城県沿岸の15地域の動画。(+Special Movie)
各地から「ありがとう」を、感謝の想いをお預かりし、動画にまとめました。(相方が)(WEBは私)


「東北を想う全ての人にありがとう」

震災に絡んで、たくさんの感謝の気持ちが行き交っているんです。

直接的なところで言うと、
ボランティアに参加してくれた方々、
支援物資を届けてくれた方々、
復興事業に携わった方々、
などなど

本当に、これらの方々には感謝の気持ちしかありません。
でも、それだけじゃなくて。

コンビニでお釣りをちょっとだけ募金してくれた方々、
メディアや読み物やイベント、講座なんかで、"知ろう"としてくれた方々、
東北どうなってるかな、って気にしてくれた方々、

それだけでも全然良いと思っていて。
それだけでもすごく嬉しいし、ありがたいと思っていて。

そんな意味を込めた、東北を思う"全ての人"にありがとう、なんです。
だから多分、これを読んでくださったあなたにも。ありがとう!

動画制作のために、とにかく、現地に足を運びました。
少人数で分担して、我が家は15地域のうち10地域かな?まわりました。
最も遠くて、家から130kmほど離れた宮城県沿岸最北の気仙沼まで。
隣県の福島市行くより遠いわ!笑
ちなみにもう一人のカメラマン前川さんは、14地域まわってるのでもう頭が上がりません。

忙しい中、多くの方々が取材協力してくださり、
本当にたくさんの「ありがとう」が集まりました。

行けなかったところ、都合があわなかったところ、
集めきれなかったものもたくさんあると思うので、
今みえているもの以上に、東北民は強い感謝の想いを持っています。

3/11の河北新報の、特集面に「ありがとう」の写真が載ります。
それもみて欲しいけど、東北以外に住む人や新聞を取ってない人たちにも伝えたい。
そのために、WEBサイトと動画で、全国全世界に発信します。


また、動画に使用する楽曲は、仙台出身のアーティストRakeさんの新曲「100年先のあなたへ」。
Rakeさんはあれです。
「愛してるの言葉じゃ 足りないくらいに君が好き」
の、"100万回の「I love you」"のアーティストさんです。

Rakeさんは震災後、あちこちの被災地を訪れたりなど、地元のために様々な活動をされています。
今回の歌詞も、その実体験があったからこそ、きっと生まれたもの。
曲を聞いた私たちの心にすっ、っと落ちてきたのも、
Rakeさんのそのあたたかい気持ちが故な気がしています。


動画、16本あるので、全部見ると1時間弱かかります(笑)
ので、全部見るのは時間があるときで良いです。
まずは1本だけ、見てみてほしい。

行ったことのある地域でも良いし
昔住んでいた地域でも良いし
知り合いが住んでいる地域でも良いし
テレビでみた地域でも良いし
なんとなくサムネが気になった地域でも良いし

どれからでも大丈夫です。
東北発、ありがとうの気持ちを受け取ってはくれませんか?


最後に

今回、震災10年ということで、いろんなことを考えさせられました。

無理はしなくて良いと思うけど、
大丈夫そうな人は知って欲しい。覚えていて欲しい。

きっと考えなきゃいけないことはまだまだあるし、
知らなきゃいけないことも、やらなきゃいけないこともあって。

焦らず無理せず、できる人ができることを少しずつやっていければ。

Twitterも宣伝ツイートばかりになるのは好まないものの、
一人でも多くの人に「ありがとう」を届けたいから。

今わたしにできることは、「発信すること。」

#それぞれの10年
#東日本大震災
#東北を想う全ての人にありがとう
#震災10年の感謝を全国に



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