「綺麗な世界」しか受け付けられない人
誰も傷つかず、誰も悲しまず、争いもなく、平和で皆が笑いあって平穏に過ごしている世界を望む。
そして、そんな世界に少しでも近づくため自ら進んで実現させるための行動を起こす。
非常に素晴らしいことだと思う。
ただ、その取り組みが歪な方向に向かうと、人は共感性を持たない存在になってしまうのだと感じている。
現に傷つき悲しんでいる人には「悲しんでいると更に悲しみを引き寄せてしまうから悲しんではならない」という。
つらい思いをしている人には「つらいのはあなただけじゃない」という。
理不尽な出来事から行き場のない怒りを感じた人には「怒りを感じることは野蛮なこと、平和を乱す悪いことだ」という。
負の感情に寄り添うのではなく、負の感情に蓋をするよう動く。
その結果、時には負の感情を抱く人を悪者扱いすらする。
そして、その人を否定・排除することにより「誰も傷付かない、悲しまない、争いのない平和な世界」を実現する。
そんな人たちは、おそらく負の感情というものに耐久性が無いからこそ自分の作り上げた「綺麗な世界」という箱庭でしか生きられない人たちなのだとは思っている。
ただ、そんな人ほど他人の負の感情に鋭く気付き依存し「綺麗な世界を実現させるための口実」として相手の気持ちを踏みにじる傾向が強い印象も持っている。
本当の意味で平和を乱しているのは、一体誰なのか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?