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母ちゃんには、一度だけ怒られたことがあった。
オイラがまだ、小学2年くらいの頃だ。
出来心で、八百屋でりんごを万引きした。

いけないことだって分かってた。
だから、母ちゃんはあの時だけは本気でオイラを叱った。

でも普段はすげえ優しいんだ。
オイラのことを一番に考えてくれてた。

母ちゃんと二人暮らしのオイラは
家に帰ると、必ず手紙が置いてあって
「お鍋に牛丼の餡を作っておいたので、
ご飯にかけて食べてね。今日も学校頑張ったね」
って書いてあるんだ。

そんな母ちゃんに今、あの日ぶりに否定された。

オイラは、温泉でテッペン獲るって夢がある。
日本で一番有名な銭湯を作るんだ。

死んだ父ちゃんと、昔よく銭湯に行った。
ベタだけど、背中を洗いっこして、一緒に大きな湯船に浸かった。
ベタだけど、やっぱり父ちゃんの背中は大きかった。

そんな大好きな父ちゃんが死ぬ直前、今にも途切れそうな声で、大好物のりんごが食べたいって言ってたんだ。貧乏だったオイラにりんごを買う小遣いなんてなかった。


なあ母ちゃん。だからオイラは大金持ちになって、父ちゃんにも母ちゃんにも楽させてあげてえんだ。
だけど、やっぱり怖い。夢を宣言するってやっぱり怖かった。

否定されるのが怖い。

だから、みんなにはずっと言えずにいた。
言ったら馬鹿にされそうだから。
銭湯?今の時代に?
オイラにとっては大切な思い出でも、
銭湯は銭湯だ。どこの銭湯も、閉まっていくばかりだ。

だから優しい母ちゃんに
「オイラ、夢を宣言していったほうがいいのかな」
って聞いた。背中を押してほしかった。


だけど、返ってきたのは意外な答えだった。
「やめといたら?私だったらしない」


あんなに優しい母に、そう言われた。
もちろん、そこには悪意は全くないのは分かってる。
艶やかで純粋な気持ちなんだと思う。


でもなんでだろう。覚悟が決まった気がする。
否定されたのに?


そうだ。否定されたんだ。


これから先、夢を語れば誰かには否定される。
ということは、夢を叶えるには、必ずどこかで否定を乗り越える必要があるんだ。

だから、今された否定を今乗り越えないと、夢は叶わない。


今、こうして母さんにされた悪意のない否定が
今後僕にたくさん降りかかってくるんだ。

だったら、これを超えることが僕の夢の始まりだ。
ここで夢を腐らせちゃいけない。


母さん、ありがとう。
母さんはいつも僕の味方で、純粋で、優しい。


そんな母さんにまた救われた。
「ありがとう、母さん。オイラやってみるよ」


絶対に、銭湯でテッペンを獲ってやる。


真っ赤な夕日が、母ちゃんとオイラを照らしてる。



おしまい


かい(改@3分物語)

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