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孤独のまま進む

いつからか、「人にオススメされる」ということが少なくなった。中学生くらいの時は、友達と好きなものを披露しあって、勧め合っていた。聴いてみて、なんて言われた音楽が自分の中で大きいものとなって、その友達より好きになっているなんてことも稀じゃなかった。大人になっていくにつれて、「誰かに好きなものを勧める」という行動が怖くなってきたような気がする。もし、好きじゃないと言われたら?センスがないと思われたら?そんなことをお互いに恐れ合って、好きなものを好きと言える機会が少なくなってきたような。

だからこそ、買った本がある。「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という一冊だ。この本はnoteで秋の読書感想文コンテストが開かれるらしく、課題図書のうちのひとつとして見つけたもの。大人になってから読書感想文を書ける機会なんてなかなかないし、せっかくだからと書店で課題図書を何冊か見ていたところ、一番気になった本がこれだった。視覚障害にもアートにも詳しくないが、この本は詳しくない人を排除したりすることはない。冒頭の数ページを読むだけでそれが伝わってきた。


思えば自分は、アートというものと真剣に向き合ったことがないかもしれない。美術館にも行ったことはあるが、作品解説を見て、「ああ、これはこういう背景で、こういう意味が込められた作品なんだな」と勝手に納得してしまっていた。それはあくまで、作者や、その文章を書いた人の感性でしかない。自分のままで作品と向き合うということを疎かにしていたような気がするのだ。全ての配色やタッチ、描かれているものに作者の思いがあって、それら全てを文章で解説するというのは余りにも難しいような気がする。つまり、作品と向き合う時というのはあくまで自分との対話であり、自分の中の経験や知識から引き出されたもの以外はリアルなものとして残らない。

しかし、白鳥さんとアートを見ることは、その閉じられた世界から一歩先に進むことのようだ。自分との対話から、他者との対話。目の見えない人にアートを口で説明するというのは本来であれば無謀とも言える行為だが、彼らは「正しく説明する」ということを望んでいない。それは彼らの共通認識として、「アートは自分自身との対話だ」というものを抱えているからだ。解説する時には作品を通じて自己紹介しているような、そんな印象を覚えた。つまり、アートというものをコミュニケーションツールとしてしまうのだ。

「ああ、こんな楽しみ方もあるんだ」と、目から鱗だった。自分は芸術を味わう時はほとんど一人だった。高校生の時、クラスの隅で一人音楽を聴きながらお弁当を食べていた。一人で美術館に行って、誰にもそのことを言わなかった。いつの間にか一人であることに慣れてしまっている自分は、いつからか誰かに否定されることをひどく怯えていたのかもしれない。好きなものを好きと言える機会は、少なくなってしまったのではなく自らが減らしてしまったのだ。物事を悲観的に見すぎて、否定されることに怯えすぎていた。

思えば、誰かから否定されることなど大したことではないのだ。「僕らはほかの誰にもなれない」という言葉がこの本の中に出てくるが、この言葉は後ろ向きな言葉でも、前向きな言葉でもない。ただ確固とした事実としてそこにあるものだ。J-POPの歌の中で、「君は君だよ」とか、「君らしくいて」「だから前を向こう」そんな歌詞がある度に、捻くれた自分は否定的な感情を覚える。自分はあくまで自分だが、他人は他人であることを誰が分かるというんだ。なんで自分らしくあることが前を向くことに繋がるんだ。そんなことを思ってしまう自分は、「僕らはほかの誰にもなれない」という諦めまがいの言葉がちょうどいいのかもしれない。

他の誰の気持ちも本当に分かることなどない。誰かに寄り添うことも、誰かの為に何かをすることもそれは結局自分自身の考えでしかない。自分の嫌なところも、素敵なところも、全部自分自身のものだ。否定の声は、自分自身に向けられたもののような気がして、落ち込んでしまう時もあるけれど、それも結局はその声を出した人のものでしかないのだ。

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という行動は、コミュニケーションだ。しかし、誰かと関わり合う時に、決して自分を捨てたりはしなくていい。人と関わりあうことで、自分は他人とは違うという理解を深めていくこと。そして、違うからといってシャットアウトせずに、自分と違った考えについて、理解していくこと。ああ、これは、やりたかったコミュニケーションの姿だ。薄っぺらい悪口の同調や、実意のないお世辞。それの対極にあるものだ。

ねえ、どうする?どう生きる?行けない場所なんてないらしい。僕らはどこまで行っても孤独だが、どうやらそれで良いらしい。目が見えなくてもアートを楽しめる人もいれば、目が見えていても楽しめていない人もいる。それは才能なんかじゃなく、自分が何をしたいか、何をして楽しみたいか、それを考えて生きた一つの人生だ。楽しい方へ行こう。心が躍る方へ。可能性は、無限にあるような気がした。

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