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福島のこころの支援 現場ルポ(仮)⑤ カウンセラーは「待っている」のか?「出向いていく」のか?

カウンセラーは「待っている」のか?「出向いていく」のか?

「どれどれ、おー、おっきくなったねえ!体重計りましょうね。」

 Kさんが上手に赤ん坊をあやしながら、体重を計って記録用紙に書き込んでいる。温かい雰囲気で母親に気を配りながらも、目の奥は時折きらっと光り、全体をくまなく観察しているのが伝わってくる。
「ベビースケールは保健師の七つ道具なのよ。」ベビースケールとは赤ちゃん用の体重計のことだ。母子相談や虐待に長く取り組んできたKさんが教えてくれる。

 保健師や助産師の大きな仕事にこの母子支援の仕事がある。母子保健法の第11条に定められた「新生児訪問」は乳児の発育や母親の産後ケアのために設けられている。この新生児訪問をきっかけにして、保健師は母子への訪問を続けていく。訪問の際には、Kさんは体重計と巻き尺を必ず持参し、継時的に記録していく。それはもちろん乳児の発育の推移を確認するということでありながら、実はそれが母子との交流の機会であり、観察の機会となり、見極めの機会にもなる。授乳や便の様子、泣きの様子、目が合うかどうか?などの赤ちゃん自身の身体と発達。そして、授乳の様子、調子の合わせ方、着衣の世話やおむつの様子、などから母子の愛着の形成や母子間の交流はどのように変化しているか?順調か、あるいは、虐待的な負の関係の兆候はあるかどうか?と母子間を見極める。さらには、お母さん自身のメンタルの調子、産後うつなどの見極め、と実は様々なことを注意深く見ているのだ。

 Kさんは、的確な質問と共感でママを労って信頼関係を作り、たくさんの赤ちゃんを見てきた経験からの必要な助言を出し入れし、母親の不安を上手に受け止め、不安をなくし過ぎずに緩和しながら、母子のコミュニケーションを促進していく。何気ないやりとりに見えて、そこで行われているさまざまな仕事が見えてくると、私は熟練の、経験に根差した、いぶし銀の(重ね過ぎだ)プロフェッショナリティを実感することになる。関東で管理職まで勤めていたKさんは家族と離れて福島に住みはじめた。保健師人生の最後を福島に捧げるということなのだろう。そのプロの気概を前に、「子どもの発達の専門家」などと私が呼ばれるのはちゃんちゃらおかしいのだった。

 そんなわけで、最初のうち、私は斜め後ろで正座してK保健師のこの「プロのコミュニケーションの驚異」をただただ驚嘆して眺めるばかりだった。しかし、私も仕事をせねばならない。Kさんと母子訪問や同席を繰り返すうちに、私もようやく阿吽の呼吸がつかめてきて、保健師が赤ちゃんと交流しているのをお母さんと一緒に眺めながら、「いかがですか?お母さんのほうは?」とお母さんのこころの状態を確認する、といった自然な役割分担のコツをつかんでいくことになる。

 ところで、こういう時に「臨床心理士」という肩書や役割に助けられる。大柄でひげ面のむさい“おっさん”で、ベビースケールのような“必殺技”も持たない私の唯一の道具がこの呼称ということになるだろう。それが普段住民との関係を作っている保健師さんに連れ立って来るからこそようやく信用されるのであって、一人で「こころの相談です」「子育ての相談にのります」などと私がのっそりあらわれたら、とりいそぎ通報することをお勧めする。
こころの支援の繊細さと難しさはここにあらわれている。災害における心理支援において避難所などでカウンセラーが話聞きます、と言わんばかりに「カウンセリングルーム」を開いてもなかなか人は来ないという。人に相談するということに警戒心と慎み深さがある東北人らしい話だ。東北人は遠慮がちで、自分で何とかする傾向があるし、寒さを耐えるのに慣れているから、、、は半分冗談であるが、ともかく我慢しがちで人に簡単に相談などしない。それだけではなく、そもそもカウンセリング自体がまだまだ得体の知れないものである、という普遍的な問題もあろう。ともかく、待っているだけではだめだ。ベビースケールでもなんでも道具を携えて、住民の(こころの)中に入っていかなければいけないわけだ。
 

 そう。私の臨床心理士としての福島のこころの支援は、このプロフェッショナリティ=専門家とはいったいなんなのか?という問いに、何度も向き合わされることになる。Kさんのプロフェッショナルな仕事を目の当たりにして、私はその一つの課題「待っている」問題と「出向いていく」問題について考えさせられる。普段、私は私のカウンセリングオフィスでクライエントを待っている。一部の例外を除いて、クライエントが私というサービスを選び、そのサービスを受けて対価をはらってよいと思う人がクライエントになるのだ。そんな仕事を重ねながらも私には、一貫して気になっていることがあった。それは、ひきこもりや孤立、そして悩みが内に籠っている人は、私のサービスにさまざまな理由でたどり着かない、という問題だ。経済的問題のみならず、まだ悩みが悩みにならない前段階とも言えよう。カウンセラーに相談するなどは贅沢かつ遠いお話しなのだ。若い駆け出しの頃、不登校や引きこもりの子の家に時折拒否されながら通い続けていた日々を思い起こす。必ずしも歓迎されていないところに、お節介にも出向いていく。それは侵入的になる危険をはらみながらも、まだ、悩みが悩みとして形成される前の未分化な問題に早期に取り組むことにもなりはしないか? 

 たとえば端的に言えば、長年の虐待のサバイバーとなった人が、自らカウンセリングオフィスを訪れてようやくはじまる心理療法ではなく、その虐待の現場で、その虐待しているお母さんを支援するというアプローチや視点の方がよっぽど重要であると言えはしまいか?この世で起こっている様々な問題や事件に対して、「待っている」だけではカウンセラーとして片手落ちとは言えないだろうか?最も切実な現場、助けを求めることすらもできない場所にこそ力を割くべきなのではないだろうか?・・・・私はどこかでいつもそのことがひっかかり続けていた。

 実際問題、現在のこころの援助は、カウンセラーが待っているのみではなく、相手のところに赴くという形が求められていることが指摘されている。このことを「手が届く」という意味で、「アウトリーチ」と呼ぶのだが、時代はカウンセラーが現場に自ら赴くことが求められる時代に変化しつつあるわけだ。この災害支援などは特にそれが求められる最前線の現場ということができるだろう。
 一方で、「出向いていくこと」はとても難しい。何が問題かすらも明らかではない未分化な現場で心理支援をはじめるためには、その場で信頼され、その場のさまざまな人々との関係を育む基礎作業が必要となる。場になじむことができず、お客様扱いのまま、避難所の一室で呼吸法教室を開くのが関の山になり、いつの間にか消えていったカウンセラーなどの例を現地でいくつも聞いた。
 災害支援において、遠方からくる臨床心理士が、住民の苦しみに近づき、十分に機能するためには、現地の人々との関係をつなぐ水先案内人が必要だ。たとえば試しに一人で町を歩いてみると、そこは知り合いもいない見知らぬ町で、ひとりぼっちの異邦人として途方に暮れてしまう。しかし、一端地元で活動する保健師の運転する助手席に座った途端、町は全く違って見えてくる。一つ一つの通り、川、公園、商店街、家、その歴史や経緯を聴きながら、そこに住む人たちの情報を聴き、それらを自分の感覚に落とし込んでいく。そうやって馴染んでいくうちに、町の一員として一人のスタッフとして迎え入れられていくのがわかる。異邦人ではなくなっていく。そのような感覚になりはじめるのに少なくとも1年は通い続ける必要があるだろう。

 つまり、言いたいことは、私の仕事はKさんら現地の保健師やスタッフの仕事や生き様があってこそ成り立つということだ。その保健師さんの助手席どころか肩の上に乗って、やっと私の心理支援の仕事をはじめることができるという算段だ。

 話がやや横道にそれたが、私が、K保健師の現実の必要性に根差し、住民の生活に溶け込んだ関わりに驚嘆したのは、この「出向いていく」支援のありようの答えを目の当たりにしたからだろう。それは、自然体で生活に溶け込みながら、適度にあたたかで、かつ冷静で、押し付けがまし過ぎずに一定の姿勢で粘り強く見守り続けるありようだった。

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