見出し画像

こころの穴を覗きこむとき「絶望と死の臨床」−福島のこころの支援 現場ルポ⑨

 人のこころの中にはそれぞれ大なり小なりの「穴」が潜んでいる、と感じる。その穴は危険なため、触れないように、落ちないように、わたしたちは無意識にそれを避けながら生きている。当たり前の日常やお決まりのルーチンは、この穴に陥らないための私たちの努力の一つなのだ。

 しかし、あるきっかけでその穴は露わになってしまう。覆いとなる日常が壊れた時、「徐々に」あるいは「ふと」そして「暴力的に否応なく」その穴が口を開ける。一度開いてしまうと、その穴の存在から逃れることは難しくなり、強い吸引力をもつようになる。

 この穴は、こころの中にある空洞のイメージだが、あえて言葉で言えば「死」を表している。この穴を覗きこんだとき、わたしたちは「絶望し、死にたくなる」。穴にはその人の人生で感じた絶望の感覚とその歴史が封じ込められている。

 福島で牧場を営んでいたDさんは、100頭近い乳牛とともに暮らしていた。原発事故の避難の際に、この乳牛たちを殺処分しなければならなかった。Dさんは指示の通りに、律儀に一頭一頭の牛たちを自らの手で殺した。
 それから9年が経ち、Dさんはその牛たちへの後悔が消えず、毎日死にたい気持ちと戦っている。診断名はうつ病。抗うつ薬も睡眠薬もたくさんのんだし、今も服用している。しかし、どうしてもDさんは死にとらわれてしまう。
 Dさんは言う。あの時の牛たちの眼が忘れられない。最期の時のあの牛たちの「眼」が見ている。寝ている時も、起きている時も、その「眼」が俺のことをずっと見ている。
「本当にかわいそうなことをした。俺があっちに行きたい」

 Dさんの話を聞きながら、私にも真っ直ぐこちらを見つめる乳牛の黒い眼が見える。その黒い眼は、私の「穴」と重なり、残像のように私の視界に焼き付いてしまう。トラウマに関する一通りの介入はしたものの、わたしはDさんにそれ以上かけるべき言葉も見つからず、「また来月来ること」を伝える。
 Dさんが感じた理不尽さ、悔しさ、悲しみ、そして生きていることのしんどさと、それをまるで解消してあげることもできない自分の無力さに絶望する。私の目の奥に「穴」の残像がこびりつき、常磐線の帰り道「私も死にたい」と車窓に向かって呟いてみる。窓に映るわたしの死相を見ながら思う。
− 来月またDさんと会えるだろうか?

 ふと我にかえると、車内の電光版のニュース速報から、芸能人の自死のニュースが飛び込んでくる。「まさか、あの人が?」「とてもそうは見えなかった」
 また衝撃的なニュースだ。いったいこれで何人目だろうか?

 いやいや、そうなのだ。「穴」は周囲からも見えないし、本人にも意識されずにこころの奥で息を潜めている。順風満帆と外からは見えていても、一度あの「穴」を覗き込んで、封じ込めていた絶望が穴から溢れ出してしまったら。そのとき、死は想像以上に身近に存在している。

 被災やパンデミックの苛烈な点は、この日常性の破壊である。毎日のお決まりの仕事、学校、通勤、飲み会、会話、、、、何でもないような当たり前の営みが、この穴を覆い隠し、実は私たちを守っている。人生は「死」に向けて進んでいる。しかし、できればその死を意識せずに「生きて」いくことに費やされていると言えるかもしれない。しかし、被災体験はその日常性や当たり前を剥ぎ取ってしまい、わたしたちはそれぞれのこころの中にもつ穴に晒されてしまう危険の中にいる。覗き込んでしまった時の絶望がその人のこころのある水位を超えてしまった時、それは本当に起こる。自殺や自死の問題は被災地のみならず臨床において避けることのできない大きな問題なのだ。

 わたしがDさんの穴に共鳴したように、俳優の死はわたしたちのこころの防衛線を揺らしている。注意深く、絶妙に(実はなんとかかんとか)保っている、例えば「いい人で前向きで気配りができる非の打ち所がない人間」というこころの平衡が崩れ、奥にある穴に閉じ込めていた絶望に一人ぼっちで急速に晒されてしまったのではないだろうか?これはわたしたち全てに起こりうる。パンデミックによってこころの防衛線が崩れ、わたしたちは危険な領域にいることを自覚しなければならない。


 2020年、わたしは福島のこころの支援に通い続け、パンデミックに揺れる首都圏に帰っていく。福島の人たちは、今度はわたしや首都圏の心配をしてくれ、そしてわたしがウィルスを運んでいないかと心配もしていることも感じる。行った方がいいのか行かない方がいいのか。そんな複雑な状況の中で、わたしのこころも平衡を失う。震災の傷と進行中のコロナウィルスによってさまざまな絶望が渦巻いてわたしは混乱する。

 無力さを自覚しながら、考えを進める。一人ぼっちで触れてしまうことが危険なのだ。パンデミックのもう一つの罪なところは、この関係自体を阻むところだ。今はDさんは死にたさをわたしに話してくれている。わたしはそれを聞き、その穴を一緒に覗きこみ、絶望している。その時、「Dさんを救えない私」は「乳牛を救えないDさん」と相似である。私の帰り道の死にたさは、Dさんの死にたさや絶望を、とにもかくにも実感していると言うことだろう。月並みな答えだが、絶望への処方は、一度ともにこの絶望を体感することだ、と思う。

 また、来月もDさんの話の続きを聞きに行こう。同じ話の繰り返しかもしれないけれど。

 コロナウィルスはじわじわと私たちの生活に再び迫ってきている。どこかであの穴が口をあけている、誰かがこころの穴を一人で見つめている。皆が穴からの衝迫と戦っている。こんな時こそ、Dさんの訴えを皆に届ける必要があると思う。わたしのできることは、今はこのDさんの話しを何度でも何回でも気が済むまで聞き続けることだ。その絶望の意味をなんとか知ろうとしながら、考えながら。死の穴に飲み込まれてしまわないように絶望を分かち合おう。負を共に見つめよう。今こそ皆が手を結ぶときだ。

(事例はプライバシーに配慮し、改変を加えています。) 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?