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福島のこころの支援、現場ルポ(仮)➀ プロローグ

プロローグ
 いつのまにか眠りに落ちてしまったようだ。車窓に断続的に写っていた海岸の風景が見えなくなり、家屋やビルの密度が濃い都会の風景が流れ始めている。
 いわき駅を出発した特急スーパーひたちが茨城の半ばにさしかかったあたりだろう。ふと気づくと、さっきまで私のこころの中にあった「痛み」の感覚が消え、のっぺりとした疲労感に取って代わっている。痛みは、まどろんでいるあいだに隠れてしまったのか、それともどこかに置いてきてしまったのか、喉から食道あたりにこびりついていたあの「痛み」の感覚が見当たらないのだ。

 常磐線の帰り道はこれで何度目だろう?50回はくだらないはずだ。実のところ、東京に向かう帰りの列車で何かが見失われる現象は福島から帰京するときにいつも感じる感覚だ。それはまるで、関東平野にさしかかる県境あたりに関所か検閲所があって、その痛みの感覚はそこを越えて持ちこむことは許されないかのようだ。

 検閲??ああ、そういえば。双葉町の帰宅困難地域から何かを持ち出すときは「スクリーニング場」という放射線の測定場を通過しなければいけないって言ってたな。双葉町の住民が家の「位牌」を持ち出す時、放射線測定機にかけねばならない話に、私は思わず「そんな馬鹿な」と驚いたことを思い出す。
 そうか。つまり、これはあのスクリーニング場と似ている。帰宅困難地域から無断で持ち出しができないように、私のこころの「スクリーニング場」が無意識に働いているのだ。自動的に検閲が起こっている。だとしたら、それでは一体何を持ち出してはいけないのだろうか?
 
・・・帰り道の連想はとりとめもなく進んでいく。それにしても、東北は仙台出身の私が関東に出て二十余年、この年齢になって福島を、しかも常磐線をこんなにも往復することになるとは思っていなかった
・・・そのうちに私はまた眠ってしまったようだ。

―TOKYO2020―

 見上げると東京オリンピックの到来を告げる大型液晶ビジョン。終点の品川駅の巨大なコンコースの帰宅ラッシュの雑踏の中、私は身も心も東京の人に戻る。今日一日の現実感が不確かでおぼろげになった私は、山手線に乗り換え、東京の無名の日常に紛れ込む。

 しかし、ふと山手線の車窓の東京のネオンに目がくらんだ一閃、私のこころの中にあの「痛み」がよみがえり、今日会った人の顔がフラッシュのように思い出される。箍が緩んだのだ。ああ、これだ。痛みは、強いて言えば罪悪感と怒りが混じりあった感覚だ。それはきっと今日会った人々から感じ取って、私が受け取ったものだ。
―私たちのことを忘れないで。
 痛みはそう告げている。そうか、本当は私がそのこころの痛みに耐えきれず、直視できずに消し去っていたのだ。

 私は、私自身の中に重大な断絶と乖離があることを見出す。越えなければならない。茨城と福島の県境あたりに引かれている「何か」が見えなくなるラインを。「スクリーニング場」を越えて持ち出すべき何かを。自らの体験の不連続を見つめ、それを吟味するといういつもの仕事を行なわなければならない。そして、その「何か」を見出して、私のように目をそらしている「東京」や「日本」に伝えなければならない。それが福島の住民に託された無意識的な使命なのだ。そして、それは私たち日本人がいつのまにかにひいてしまっている致命的で看過できないラインなのかもしれない。

 いやいや、とあきれたように首を振って別の思考が首をもたげる。そんな大それたことを語る資格なんてお前にはないだろ、と口をつぐませる私。それにかぶさるように福島について語る時の「またですか」と言う周囲の困った顔が浮かんでくる。お疲れさまです、という優しい顔をした無関心。「センセイだからできるんですよ」と距離を置かれる微妙な空気。「もう誰もそんな話聞きたくないですよ」と言わんばかりの困り顔。たしかに、その通りだ。極めて面倒な話だ。そして、複雑で辛く、痛みが伴う話だ。

それでもやはり福島で会ったたくさんの人々の顔が私を押す。
―見たくないのはお前自身だろ。
わたしのこころの中にあるこの逡巡と葛藤をもたらすあのラインの正体をまずはわたし自身が直視する必要がある。

それが本書を執筆する動機である。

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