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【岩田温大學】チベット事件弾圧クロニクル

繰り返される「アウシュビッツ」の悲劇

 第二次世界大戦が終了し、ナチス・ドイツの蛮行が明らかになったとき、その罪の余りの重さに、世界の人々は愕然とした。ナチス・ドイツはユダヤ人という一民族の根絶やしを計画し、科学技術を駆使しながら、計画を粛々と進行していた。罪無きユダヤ人が、ユダヤ人であるというだけで殺されていったのである。科学技術の発展、進歩とともに人間の進歩が信じられた時代もあったが、アウシュビッツの悲劇は、人間、近代に潜む野蛮を明らかにした。
 多くの人々が、アウシュビッツの悲劇を繰り返すまいと誓った。

 しかし、悲劇はアウシュビッツで終焉を迎えたわけではなかった。中共(中華人民共和国・以下中共)のチベット侵略の歴史は、我々の同時代に行われた恥ずべき蛮行であり、その苛斂誅求を極めた支配は、アウシュビッツの再来とも呼びうるほどのものであった。

チベットの概念とは

 チベット。多くの日本人が「世界の屋根」という表現を思い浮かべるチベットだが、その歴史は余り知られていない。そもそもチベットとは、どの地域をさす言葉なのだろうか。実は、この一見すると単純そうな問いに答えようとすると、複雑なチベッ トの歴史に思いをいたすことになる。

 現在、中国の一部とされている「チベット自治区」のことをチベットだと理解している人が多いだろうが、実は単純な話ではない。チベット民族ー「民族」という語は非常に暖味で、哲学的に脆弱な概念だが、ここでは文化、慣習、民族意識等を統合したものとして用いるーの分布を見ると、実に、現在の青海省、甘粛省、四川省、雲南省に及ぶ広大な地域に、チベット民族が多数見られる。そしてまた、それらの地域を歴史的に見て「チベット」と呼ぶことは可能である。ここではこれを便宜上「大チベット」と呼ぶことにしたい。

皇帝が高僧に帰依する「チュ・ユン」関係

 だが、これらの地域に関しては、中共が突然野望を持って侵略したと見るのでは公平さを欠く。例えば中共が成立する以前の清王朝時代から青海省は成立している。

 チベットは中共が成立する以前の「中国」との間で、歴史的に見てかなり長期の間、抗争を繰り返している。だが、ここでもう一つ注目すべきは「チュ・ユン」関係と呼ばれる極めて特殊な関係である。「チュ・ユン」関係は、元の時代にまでさかのぼる。チンギス・ハンの孫に当たるゴダン・ハンは、チベットに遠征軍を派遣した。派遣された先々で、元軍は仏教寺院を焼き払うなど、無慈悲かつ残酷な侵略、破壊を繰り広げた。

 事態を憂慮したチベット仏教の高層、サキャ派の教主サキャ・パンディタ・クンガ・ギュルツェンは一大決心をする。彼は自ら、ゴダン・ハンのもとへ赴き、直々にゴダン・ハンと会見を行ったのである。

 このとき、ゴダン・ハンは、サキャ・パンディタの高潔な人格に触れ、深く尊敬した。一二四七年の出来事であった。これが「チュ・ユン」関係すなわち「寺と檀家の関係」の始まりと見なされる。

 世俗的権力は、あくまで元皇帝にありながら、チベットの高僧に深く帰依し、そこに宗教的権威を認めるという、特殊な関係である。

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