見出し画像

#268 多神教・ダブルスタンダード的な考え方

おはようございます!あっという間の金曜日ですが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?実は転職して新しい保険証がようやく今週、届きまして、ちょっと間を空けてしまった定期通院に行ってきました。特に変わりはなかったので問題はなかったのですが、薬もなくなっていたので、もらえて一安心です。もちろん後から還付できるのですが、ちょっと行くのをためらってしまうこともあるので、もっとタイムリーにマイナンバーカードとかで紐付けができるといいと思いました。さてさて本日は久しぶりに日頃考えていることを書いてみたいと思います。

ダブルスタンダードの重要性

最近、多様性なんて言葉も流行っていますけど、皆さんはその辺をどう解釈していますかね。もう少し具体的な問いにおこすと「実力・能力主義的な考え方と多様性を尊重する考え方は両立するのか?」に近いかなと。これ、真剣に考えるとやっかいです。。。実力・能力主義って例えば、会社の評価制度だと思うんですけど、やっぱり能力を量る物差しが一つになっていないとだいぶやっかいですよね。何か指標があって、それが透明性をもって皆さんが認知していると。それに基づいて評価が決定されているわけです。逆に多様性とはほど遠く、価値観が統一されているとも言えますね。だけど、多様性は重要だという話になっている。これは場面によってはコンフリクトするはずだなと。一方で多様性を認めることで、新しい視点が入ったり、弱さを補い合える訳でこの考え方も重要だよなと思うわけです。そんなこんなで、一見、矛盾する価値観の両方を受け入れるということもありだなと最近は思っています。

多神教的な価値観

これって日本人にとってはあまり違和感がなくできることなのかもしれないなと。そもそも結婚式とか、そんな感じですよね。仏教徒なのにウエディングドレスを着て、牧師さんを呼んで、愛を教会で誓い合うとか、たぶんなかなか他の国で考えられない気がします。まさにダブルスタンダード。これの背景にはきっとそもそも神道が文化の根本にあって、多神教なんですよね。パワーを感じることができるものは神としてあがめましょう的なノリなんだと思うんですよね。なので日本人には、結婚式で牧師さんの前で愛を誓っても違和感がない。この感じを現代的な多様性的な価値観にも応用できたら、案外、日本も悪い国ではないと言える状態にできるかもしれないですね。節操がないって悪い意味で使われますけど、変化の時代には節操のなさが強みになることもあるかもしれないと思った次第です。

まとめ

いかがでしたでしょうか?自分の中でもこの辺をどう消化して腹落ちさせるかって重要だなと思っていたのですが、案外、日本ではそこら中にある考え方なのかもしれないなと思って気が楽になった気がしています。本来、生物はこの多様性の上に成り立っているので、人間だけがそこにあらがうなんて出来ないから、そちらの価値観が勝つのでは?みたいにも思っていましたが、現実世界では「みんなそれぞれでいいのだよ、価値があるのです」みたいな価値観だけではうまくいかない場面もあるよなと。それを両方自分の中に受け入れるって感覚が持てたのは、重要かなと。場面によって節操なく使い分けて行きたいなとおもいました。ではでは、良い週末を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?