物語を想像する力 【 #ゆたかさ 】
「今、自分はゆたかか?」
そう自問すると
「ゆたかだな」
と返せます。
富の面? いいえ。
感情面? う~ん。
家族、人付き合いの面?
そんな個別具体的な捉え方ではなく「直感的に」です。
---
例えば、最近、蝶々が舞っていると「よく頑張ったね」という親心のような気持ちになります。ゆたかでしょう?
ユタカサがありあま〜る。
…といった悟りの境地ではなく、これには明確な理由があります。
---
ステイホーム期間中、我が家には新たな家族、モンシロ蝶とアゲハ蝶がいました。(アゲハは現在進行形)
野菜を育てているスタッフから卵や青虫、イモムシくんを頂きました。
幼虫の時は、日に日に大きくなり、毎日うんちを片付けて。蛹になったら、手はかからない分「がんばれ」と声をかけて。
そして蝶になり、ぎこちない飛び方が優雅な動きになったところで、花壇におき「さよなら」をしました。
数秒間、蝶と目が合いました。
「ねえ、僕はどうすればいいの?」
という親離れする子のような表情にも、
「ありがとう、さよなら」
という頼もしい表情にも見えました。
そんなのは勝手な妄想で、烏滸がましいですが、とにかくすごく温かい気持ちになりました。
(※ 昆虫が苦手な方、ご注意ください。ここから先、昆虫の写真が出てきます。)
---
モンシロチョウ(と三女)
アゲハ(現在、全員蛹中)
---
だから、外で舞っている蝶々を見ると、「みんな、よく頑張ったね」という気持ちになります。
一緒に見守ってきた3人の娘たちもまた、蝶々や昆虫に対する見方、接し方が変わりました。
ただ、農家にとって青虫は害虫です。毎日これだけ食い荒らす存在は大変だろな~という感情もあります。
いずれの感情も「経験」して得られたもの。
だから、私が感じる「ゆたかさ」とは、人と比べてどうかではなく、自分が経験して得られた気付き、感情、知識に由来するものかなと思います。
相手を思うからこそ、気付きがあるのか。
経験があるからこそ、相手を思うようになるのか。
どちらもあるように感じます。そもそも何事でも経験できるってとても恵まれた環境であることを、まず感謝しなきゃなとも思います。
仕事でも、子育てでも。
ヒトでも、生き物でも。
そして、モノにもコトにも。
それぞれの物語を想像する力。それこそがゆたかさの源泉かなと思います。
---
育てているメダカの子供たちも、今月、お預かりした施設の人工池に里帰りさせようと計画しています。親メダカの故郷に還るメダカたちは、どんな表情をしてくれるかな?そんなことを思うと、またゆたかな気持ちになれる今日この頃です。
先月生まれたメダカも大きくなりました😊
---
■ あとがき
実は、当初、投資信託「ひふみ」を運用するレオス・キャピタルワークス様とnoteのコラボ企画ということだったので、税理士目線で書いてみようと考えました。しかし、下書きしてみるとなんとも堅苦しいものになってしまい、これじゃない感。そして、お金に関する事柄は確かにゆたかさの「指標」になり得ても「本質」ではないなという結論に至りました。
モヤモヤしながらも、次にヒントを求めたものが哲学。なぜかハイデガーの「存在と時間」にゆたかさのヒントがあると考え、部屋の積読から本書を取り出しました。
よりにもよって、最も壮大な学問、哲学に触れてしまったがためにnoteの更新まで止まりました(オチ)。
---
次のゆたかさの、まんなかへ
目で見て感じる事だけでなく、画面を通じても膨大な情報を得られる時代。知ることができるという事は、本当に財産。ただし、量ではなく質を大切にしたい。
noteを通じても、たくさんの「ゆたかさ」の源泉に出会っています。
お読みいただき、ありがとうございました。 FB:https://www.facebook.com/takayoshi.iwashita ㏋:https://ibc-tax.com/