百合の花
子どもの頃一度だけ幽霊を見たことがある。
幽霊と言ったら一般的に恐怖を感じるものなイメージがある。
なぜならば見えては本来いけないものが見えてしまうのだから。
でも僕が見た幽霊はそれを感じさせなかった。
不思議な、とても不思議な話だった。
小学1年生の頃、僕はまだ親父、オカンと川の字になって寝ていた。
その日も、まだ起きていた両親よりも先に、
自分は川の字の真ん中に布団をかぶって寝ようとしていた。
夏に入りかけた頃で、外は蝉が鳴いていた気がする。
ふと天井の和室の田舎にあるような傘のある電灯を眺めていた。
じっくり眺めていた。
そしたら不思議なことが起きた。
電灯の横に黒い穴が空いて、そこから白い手だけがスッと現れて
僕に2回、おいでおいでと手招きをしたのである
普通これを体験したら、多分誰もが怖いと思うのかもしれない。
しかし僕は全く怖さを感じず、なぜかどこか懐かしい感じすらしたのである。
僕が白い手に向かって手を伸ばすと、ふっと白い手は消えてしまった。
その瞬間家の電話がジリリリリンと鳴った。
父方の祖母が危篤という電話だった。
僕は生まれて初めて祖母の死と向き合うことになった
飛行機で祖母が住む鹿児島に向かい、着いた時には祖母は棺の中にいた。
その時初めて、あの手は自分をとても可愛がってくれていた祖母の手だったんだと気づいた。
僕は普通ならば決してやることのない。棺の祖母の手を自分から握りにいった。
その手は冷たく、祖母が確かに亡くなってしまったのだと実感させられた。
お坊さんの儀式も終わり、荼毘にふされた後、日が射す田舎の日本家屋で、
僕はこの不思議な出来事を誰にも話さず、ぼんやりと物思いにふけった。
後日知った話であるが、この父方の祖母と自分は血の繋がりはなかった。
元々の肉親の祖母は父が大学生の頃に亡くなっていたそうだ。
でも僕にはこの父方の祖母が確かに優しかった。そして好きだったという実感があった。血の繋がってない孫に優しくできる温かい人だった。
まあ血の繋がりがなんなのだ、そんなものに括って考えることナンセンスだと思うようになった。
おいでおいでとジェスチャーしたあの手を僕は時々思い出す。
それは童心の頃の祖母からもらった温かい温もりを思い出すキーワードとなって。今年もまたお盆も迎えふと思う、おばあちゃんそこから今も僕を見ててくれるかい?
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