絵の中にこめられているもの
この絵だけは絶対描かなきゃと思って描いた絵である。ちょっと話をしてみようと思う。
自分は2020年前まで総合病院でリハビリに従事していた。
わかりやすく言うと怪我や病気してすぐの人を運動による治療で退院に導く仕事であった。医者とも方向性を綿密に連絡を取り合う仕事なので医師と話を合わせる程度の知識がないとうまく仕事が進まない。
ここに書かれているおばあちゃんは2020年の秋に逝去された。ここに書かれてるストアのオーナーであった。
なぜ知っているかのかというと、自分の患者さんであり、自分が当時住んでたマンションの大家さんのお母さんであった。
そう私は自分の大家さんのお母さんをリハビリするという数奇な偶然を経験した。
リハビリはだいたい40分一単位、40分間、必ず患者さんと接しないわけにはいかず、かつコミュニケーションのとり方により治癒の経過もかなり変わってくる。
つまり何が言いたいかというといっぱいお話しをするのである。若いセラピストは空の空で年配の人の話を聞き流したりするのだが、自分の場合は年配の人の人生の歴史というのがとっても楽しいのでじっくりと聞いた。
彼女がお店を開いた土地は今も商売するお店がほぼない場所で、四方八方に工場がひしめきあっていたらしい。彼女の親戚は八百屋や魚屋を経営していた。彼女は工場労働者がお腹を空かせているだろうと、やきとり屋さんを始めたのが商売の始まりであった。
商売は軌道にのっていったが、スーパーやコンビニの台頭もあり、親戚のお店を集約して出来上がったのがこの田中ストアであった。
自分の住んでいた鉄骨マンションの1階がこの田中ストアで、自分は2階に住んでいた。しかしこの焼き鳥、すっごい本格的で水土の14時に炭火で焼くのである。丁度自分のベランダに煙といい匂いが上ってきて、私は思ったのである。水土洗濯物が干せんぞ!と
そんなことはいざしらずおばあちゃんとのリハビリは進む。すごい優しいばあちゃんで介入するたびにニマーと笑うのだ。そして一言こういうのである。
今度うち来たら焼き鳥食べて頂戴、差し上げるから。
それに対して自分はいやいやちゃーんと買わせていただきますと。
リハビリに関してはリハビリのかいも実らずおばあちゃんの膝の角度制限がひどく、歩くとまた必ず転倒するという理由からカンファレンスにより車椅子での生活を余儀なくされた。
悔しいと思う気持ちと歯がゆい気持ちが入り混じった
おばあちゃんは車椅子でのやすらかな日常を送るも、4年後くらいからゆるやかに体調を崩していき5年後に亡くなった。自分は買い物は必ず田中ストアへ行き、おばあちゃんおすすめの焼き鳥を必ず買って食べたのであった。比内地鶏と炭火、美味しくないわけがないのだ。
この絵はおばあちゃんが亡くなったと知って仕事帰りの田中ストアの風景である。おばあちゃんがなくなった後も家族に大切なものは引き継がれ、売り切れが見られるほど地域の人に今も愛されている。
おばあちゃんがいなくなってもそこにあるものは今もある。彼女が愛したものを愛している人たちがいるということを残したかったのである。
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