のゝうノ野~はじめに
忍者ほど魅力に溢れた存在はない。
筆者がその魅力に取りつかれたのはずいぶん昔のことであるが、司馬遼太郎氏の『風神の門』などは、いわゆる真田十勇士の中心的存在である霧隠才蔵とか猿飛佐助とか、およそ明治・大正期に誕生した忍者ヒーローを昭和に生まれ変わらせた傑作だと思っており、それ以降も忍者は様々に形を変え、品を替え、次第に世界的人気を獲得して現在に至っている。
そも忍者の本質を探るに、それは「生き抜くこと」ではないかと思っている。
『古事記』以前の神代の昔より、江戸に至る純然たる日本人の中に生じた人の一生の終わり方として、一つは武士の生き方があると思う。
その究極は『燎源ケ叒』でも描いたが、”死”を潔しとする美徳であり、”死”を永遠たらしめようとする哲学のようにも見える。
一方、忍者のそれは”生”であり、いかなる窮地に追い込まれようと、生きて帰らなければ己の本義を全うできない諜報の本源的な使命を帯びている点などは、武士とは正反対の特質であり、筆者はいつも武士の対極に忍者を見てきた。
次に男と女である。
どちらが”生”というものに近いかということである。
言わずとも人の「生命」は女性から生まれ、それを育むのもまた女性だとするなら、やはり女性の方こそ生に近い存在であり、『古事記』を読んでもこの世のあまねく神々は全て女性から生まれている。
これらを考えるに”女忍者”────すなわち”くノ一”の物語を綴りたいと思ったのは、ある意味筆者にとっては当然の結論であった。
ところが忍者の学術的研究者や忍者学会などの常識ではくノ一は存在しないと言う。しかし、
「イヤイヤ、そんなことはないだろう」
というのが筆者の考えである。
くノ一の定義が何かとかいうのは別にして、長野県の祢津地域には戦国以前より全国をめぐるののう巫女の存在が認められているし、その研究の第一人者である郷土史家 石川好一氏によれば、
「くノ一かどうかは別にして、戦国時代のののう巫女は、武田氏や真田氏の政略の中に組み込まれ、全国各地で得た政治的な情報を提供していたことは容易に考えられる」
としており、何より真田忍者の末裔という伊与久松凬氏の折に触れて見る演舞の動きの中には、大いなる女性的なしなやかさや柔軟さが感じられてならないのは筆者だけではないだろう。忍術というものが男にのみ使われたものならば、もっと剛の要素が色濃く残っていてしかるべきと思うのだ。
とまれ戦国時代という特殊な時代の中に置かれたののう巫女の実態や様子を描いていけば、必然的にくノ一の姿というものも浮かび上がってくるのではないかと考え、いずれそれは、くノ一の存在を証明する一つの手立てにもなるだろうという期待も込め、この小説を書こうと決心した次第である。もちろん真田好きという筆者の贔屓目もあるわけだが。
まずは最初の導入として、以前書いた短編小説『於北のまつ』をここにとどめておきたい。これが歴史小説『ののうの野』の全ての始まりであるからだ。
2024/12/11
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