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火星着陸記念日(2023/03/12の日記)

注1)トマス・ピンチョン著『競売ナンバー49の叫び』についての言及があります。とらえ方によっては、ネタバレになりうるかもしれません。

※飛ばす場合は、目次の「注2)ここからはネタバレを含みません」に飛ぶと、うまくいくはずです。










・長いことほったらかしにしていた、トマス・ピンチョン著『競売ナンバー49の叫び』を読んだ。

・一読してみた感想は「結局よくわかんなかった」に尽きると思う。最初に提示されている謎があって、手がかりのようなものはだんだんと増えていきつつあるのは確かなのに、それが必ずしも論理的につながっていくものではないので、「なんだったんだろう」という気持ちを抱えたまま読み進めることになる。結局、謎についても明確な解決はされないままこの話は幕を閉じることになる。

・ピンチョンは「ポストモダン作家」に分類されるようだ。ポストモダン文学を今まで読んできたことがなかったので、これがポストモダンかと言われると「他を知らんからなあ」と口をつぐむしかないのだが、確かに近代文学のような明晰な筋書きや洗練された文章というものからは遠い印象がある。

・ただ、「展開を楽しむ」ことを捨て、過剰に装飾された文章自体に楽しみを見出すこともできるのだろうな、と思った。そもそも小説とは嘘の構築なのだから、そこに整合性がないのは当然のことで、じゃあこの作者がどうやって嘘を積み上げていくのかというメタ的な視点で見るみたいな。それをするには「筋書き通り楽しむ」ことよりも労力がかかりそうではあるが……。

・まあ、読破できただけえらい。「ピンチョンねぇ……大学生の時に『競売ナンバー』は一回読んだことあったけど、正直よくわかんなかったな。ポストモダンって感じで。それが好きな人もいるんだろうけどね笑」というスタンスで語れるようになったのはでかい。「一回読んだ」という経験は、「何回も読んで理解した」という事実よりもコスパよくマウントが取れるのでおトク。

・これと同じ感じでウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』も読んでみようかしら。

・↑絶対にやめた方がいい。



注2)ここからはネタバレを含みません


・そういえば、昨日は3月11日だった。よく考えると「記念日」や「祈念日」という概念は、不思議なものだ。たまたま太陽と地球との関係が一致して、たまたま昼の長さと夜の長さが同じになって、たまたま暦上での数字の下何桁が同じになることと、誕生や結婚を祝ったり、亡くなった人を悼んだりすることには、何の論理的つながりはない。ただ、それを言ってしまうと、人間はつねに誕生や結婚を祝し、つねに故人を偲び、つねに「”この味がいいね”と君が言った」ことを噛み締めていかなくてはならなくなる。毎日がサラダ記念日だ。それか、つねに何も記念しない、過去に冷酷な人間になるか。毎日がサラダ記念日以外だ。

・多分、「一年」という期間は人間の記憶にとってかなり都合がいいのだろう。ぎりぎり忘れそうで、でも確かに覚えていられる。それがちょうど暦が一周するのといい感じに重なったのだろうな。

・ところで、火星の公転周期は約687日だそうだ。人間が火星にテラフォーミングする時が来たとして、火星の公転周期に合わせた「火星暦」が作られるなら、それに合わせた687日周期の記念日なども制定されるようになるのだろうか。もしそうなったら、「地球暦」における365日周期の記念日ほどの「記憶が呼び戻される感覚」はきっとなくなっている気がする。火星の住人は、おそらく地球のそれよりも過去に対して、そしてそれを「忘れる」ということに関して無頓着になっているだろう。果たして彼らの中に、自分が火星に降り立った日を覚えている者はどれほどいるのだろうか。

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