みんなでばあちゃんのことを考える
先日ばあちゃんが亡くなった。享年94歳の大往生であった。
私にとってばあちゃんと言えば、「猫を熱心に躾けていた」のと「お札を捩じ込んでくる」のが鮮烈な記憶だ。
幼い頃、ばあちゃん家に白猫がいたのだが、これがまあ言うことを聞かない。
なぜなら猫だから。
犬と違って猫はお手もしなければ待てもしない。
流石にばあちゃんもお手は仕込まなかったが、炬燵に乗り上げたり、人間の食べ物にちょっかいを出そうものなら烈火の如く躾けていた。
「めっ!」とか「こら!」とかいう可愛らしいものではない。
背中に目でも付いているのか、後ろを向いて台所に向かっていたはずなのに、次の瞬間には握り拳を振り上げて居間に殴りこんでくる。顔なんて劇画タッチだ。
「炬燵に乗るなって!!言ってるだろうが!!」
絶対通じてないのに毎回律儀に怒る。
白猫はもはやわざと炬燵に乗っては、怒れるばあちゃんの猛攻を避けるという遊びをしている。ばあちゃん、おちょくられてるよ。
ばあちゃん、これが初めての猫というわけではない。古い写真を見ると私の知らない歴代の犬猫が写っている。
猫という生き物の習性を知っているに違いないのに律儀に躾ける。もしかしたら心を砕いて接しつづければ、どんな生き物とも分かり合えると思っていたのかも知れない。
餌もあげるし世話もする。悪いことをしたら怒るけど必要以上に干渉はしない。猫も猫で避けもしなけりゃ甘えもしない。
白猫とばあちゃんは中々ストイックな関係だった。
意外なことに先代の猫「ぶんた」は、ばあちゃんによく懐いていたそうだ。
ちなみに文太の名付け親は我が母、明子。菅原文太から取ったそうだが、あまりにひどい。
流石のわたしも、「マッツ」や「龍平」なんて名付けない。
文太は地域の番長猫で、生傷は絶えず、メス猫を片っ端から寝とっていたそうだ。
そんな文太だが、ばあちゃんが旅行で数日家を空けたところ、ご飯も喉を通らずいじけていたそうだ。ばあちゃんが久々に帰ってきて姿をみるなり、「ニャアニャア」攻め立ててからバクバクご飯を食べたらしい。
いつだかばあちゃんは「文太はいいやつだったわ。」と言っていた。
きっと躾けという名の魂のぶつかり稽古をして、種族を超えて分かり合っていたのかもしれない。
さて、おばあちゃん家でもう一つ思い出すのはティッシュに包まれたお小遣いである。
最初のうちはお年玉みたいな小さな封筒だったと思うのだが、そのうちティッシュに包まれるようになった。
このお小遣いだが、母に見つかると厄介だ。なにせ工程が長い。
母「あらあら」
母「やあだ〜、いいのに」
母「大丈夫よ、おばあちゃん」
母「え〜、いいの?でもお・・・」
母「本当に大丈夫だから、いらないわよ」
(譲らないばあちゃん)
母「もお〜・・・」
母「・・・じゃあ、いただくわね。」
母「ほら、お礼言いなさいっ」
お小遣いをもらうには、このように面倒な押し問答を経なくてはならない。
最終的に「じゃあいただくわね」に辿り着くことが決まっていたとしても、最初から「いただくわね」ではいけないのだ。
あくまで、謙虚に、奥ゆかしく。抵抗してはみせたが、最終的には相手に根負けしたという過程が重要。これこそが慎ましい日本文化である。
とは言えいかんせん面倒だ。ばあちゃんもそう思っていたに違いない。
だからこっそり渡してくるのだ。
玄関で母と別れの挨拶をしながらも、隣にいる私の手の中にノールックでティッシュに包まれたお札を握らせてくる。
時には、廊下を移動しながらこれまたノールックで私のポケットに滑りこませる。
ばあちゃん何歳?って感じの怪力でメリメリとめりこませてくる。
別にお小遣いが欲しくないわけではない。もちろん嬉しい。
でも当時はティッシュに包まれたお札をいかに受け取らないか、という攻防戦が重要だったのである。
「気をつけてかえりなね〜」
玄関で母と靴を履いていると、ばあちゃんがのそのそと奥から出てくる。
握りしめてやがる!!!
見えないようにしてはいるけど、握った拳から白いティッシュが僅かにのぞいている。その瞬間戦いのゴングが鳴り響くのだ。
ある日、警戒していたにも関わらずばあちゃんはティッシュを握っていなかった。何事もなく車に乗り込み、窓越しに別れの挨拶をする。
通常の別れというのはこんなにもスムーズなのか。
サイドミラーごしに小さくなっていくばあちゃんを見ながら、謎の安堵感と少しの寂しさを感じていた。
しかしそこは歴戦のばあちゃん。すでに仕込んでいたのだ。
そう、わたしの小さなポシェットの中に。
棺に入ったばあちゃんは綺麗に化粧もしてもらって、寝ているようだった。
職業柄ご遺体には慣れているけど、触れた頬が当たり前に冷たくて、やっぱり寝ているわけじゃないんだと喉のあたりがきゅうっと苦しくなった。
ばあちゃんの葬式でひさびさに子供たちが集合して、自然とばあちゃんの思い出話をたくさんした。古いアルバムも広げて、この時はこうでこうで、と私の知らない話もたくさん聞いた。
ばあちゃんが大切に大切にとっておいていた写真の中から、じいちゃんとの祝言写真と、「犬にしておくにはもったいない」と評判だった先代犬ナナちゃん(昭和の女優、岡田ナナから母が命名)の写真も棺に納めた。
棺の中にばあちゃんへの手紙も入れておきながら、わたしは死後の世界を信じていない。情緒の部分では信じるけど、理論的には信じていない。
お葬式も故人を安らかに送るためだけど、どちらかというと残された人たちのためだなあと思う。
親族集まって思い出話しをして、骨を拾って、お墓に納めて・・・。
これってすごく大切なグリーフケアだ。
初七日法要、四十九日、一周忌
日本ではお葬式後もちょこちょこと親族が集まる機会がある。
ばあちゃんの場合は大往生だったけど、世の中にはもちろん受け止めきれない別れもある。定期的に親族が集まって大切なひとのことを考えられる機会があるのは、残されたひとたちにとってほんの少しだけ救いになるんじゃないだろうか。
実際は極楽浄土にいけるかどうか7日ごとに審判されるので、そのタイミングで法要をするらしいけれど。
もしも白猫や文太がばあちゃんの審判に招かれることがあるなら、どんな供述をするんだろうか。
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