転ばない人間ではなく転んでも立ち上がれる人間

子育て中の皆さんごきげんよう。

育児って大変ですよね。
大変ですよね・・・。

「キラキラママ☆」とか
「子供がいても自分磨き☆」とか
あんなん都市伝説だと思ってますからね。


乳幼児期なんて寝不足肩こり慢性疲労に
情緒不安定までおまけに付けちゃって?

やっと喋るし歩くようになったわぁと思ったら
謎癇癪に偏食、次のおまけは癖強めなママ友に精神疲労…
旦那?ワンオペ上等ですけど何か?

あぁ思い出すだけで頭痛が。

今現在育児戦国期のみんな、本当にお疲れ様。
そんな育児戦国期から半歩脱した私が子育てについて思うこと


16年前長男が産まれてから今まで、
間違いなく私の中での最優先は子供達。
これは何が起きようと天地がひっくり返ろうと変わりません。

だからといって丁寧な子育てをしているかと言われたら全くもってしていません。


基本は全て本人の意思に委ねるし、
自分と子供は別の人間であると思っているので
「欲しいものは自分でつかみ取れ」と
素晴らしい進路も素晴らしい教育も与えていません。

与えられるのはごくごく普通の衣食住と
本人が真剣にチャレンジすることへのサポート。

あとは私が学んできたことの共有くらい。


3食手作りもしないし
掃除もさぼるし
家事も手伝ってもらうし
学校への提出物も忘れちゃうし
参観日も出来れば行きたくない。

絵にかいたような「完璧じゃない母親」です。


え、何もしてないじゃん…って思った?
私もそう思った。
意外と肩の力抜いて大丈夫だよ。

そんな手抜き母親業、
じゃあ何にこだわって育児してるのかって話。



こだわりのうちのひとつが

「転ばない人間ではなく
転んでも立ち上がれる人間」
に育てること

念のため言っとくと「転ぶ」というのは
物理的に転ぶとかではないですよ。

大切な子供が転んで痛い思いをするのを見るのは辛いです。
これは間違いない。
見てる方も心が痛い。

「代わってあげられるなら代わってあげたい」
というセリフを聞くことがあるけど
まさにそんな気持ちになります。
だけど代わってあげちゃダメなんです。

子供からその「経験」を奪ってはいけないと思うんです。


我が子がこれから歩く道は
砂利だらけのデコボコ道かもしれないし、
たまに棘のある花が咲いてる道かもしれないし、
舗装されたアスファルトかもしれないですよね。

そのこれから歩いていく道で
子供が転んで痛い思いをしないように
子供の行く道の石をよけたり
他の通行人をよけたり
はたまた砂利道にカーペット敷いたり

そんな親御さんをたまに見かけますね。
よそ様のことなのでいいけど私とは合わないかもしれないな。

逆にこれから砂利道を歩く我が子に
靴すら持たせない親御さんもいらっしゃいますね。
これには申し訳ないけど本当呆れちゃう。


その道で子供は歩き方を学び、
石を超えるには左右にずれたり
助走をつけて飛び越えなきゃいけないことを知る。

歩きながら自分にとって丁度良いスピードを知り、
通行人とぶつからない方法を学び、
綺麗な花には棘があることも知るんでしょう。

これを全て親から聞くのではなく
子供自身で体験しなくてはいけないと思うんですよね。


その道の先は崖であることを知っているなら
危険を知らせてあげるべきだし、
別の道に綺麗な景色があることを知っているなら
進めてあげるのはいいと思う。

でもそこに子供本人の意思は置き去りにしちゃいけないんですよね。

いつかは一人で歩いて行かなきゃいけないんだから。


環境によって最初から歩きやすい人工芝の子もいれば
常に生傷絶えないような茨の道の子もいるね

残念だけど事実なんですよ。

でも絶対的に人工芝の方が良いかと言ったらそんなこともない。
更に言うと最初から人工芝の子が人工芝の有難みに最後まで気付かなかったりもしますね。

茨の道でしかできない経験、
見えない景色がきっとある。
そこを歩き抜いた人間は確実に逞しいと私は思う。


立ち止まったときに話を聞いたり、
転んで血が出たときは手当してあげる

勇気が出ないときは背中を押してあげたり
疲れたときは休める環境を用意して、
親も初めての道なら「怖いね。」なんて言いながら時には隣を歩いてみたり。

その先に見たことない景色があったら
子供に「ありがとう」って伝えてさ。


そんな風に子供と一緒に成長しながら、長いようで短い子育て期間を過ごしたいと思っているわけです。

大変だけどね。
いつか子供達といい景色が見たい。


別のこだわりはまた機会があれば。
したっけ。

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