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【体験記】3日間缶詰でコーチングを勉強してきました

自分の「得意」に仕事を引っ張っていきたい。ぴったりハマる天職的な領域を探し続けている私は「やはり『会話』なのでは?『聴くこと』…?」と、コーチングにあたりをつけた。

コーチング」とは、簡単に言うと「対話をつうじて相手の可能性をひっぱりだして自己解決へと導く」みたいな技術をいう。

メンターやカウンセリングとは似て非なるもので、コーチングは助言することを目的としない。なんというか投薬するのではなく「自己治癒」のために免疫力を極限まで引き出す、的なイメージ

今回、両国にて3日間みっちりコーチングの基礎を学んできたので、そこで学んだことやらキャリアにかんする手応えを書いてみようと思います!長々と書きますが一行にすると「参加してマジでよかったし人生が変わるレベルの学びになったけど、たぶんこれではなかった」という感じ。

「ちょっと違うな〜、ちょっと『得意』からズレてる」と感じたところも含めて非常に面白い体験だったので、読んでいただけたらとてもうれしいです!

↓ちなみに参加したのはこちらの基礎コース↓

きっかけ

参加することになった直接のきっかけは、コーチングを一部仕事でやっているかたに自分のモヤモヤを話しときに「コーチング習ってみたら?すごくよかったよ!」と、ここの基礎コースをオススメしてもらったこと。「普段カチカチに働いているおじさんたちが号泣したりするんだよ」と言っていたのが印象に残っている。

もともと今の弁護士としての働き方について「軸足を置く場所を間違っている」みたいな感覚があった。この違和感についてのヒントとして、滑らかで時間が止まるようなコミュニケーションがときどき発生することは自分の才能かもな、と思っていた。

さいきん仲良くなる人に、コーチングを仕事でやっていたり、対話を大切にする人が多くて「ふーん、コーチングってのがあるんだ」と継続的に意識していたから「コーチング習ってみたら?」にひとつ返事で「あ、やってみます」と、その日のうちに申込をした。少しずつ色んな要素が積み重なって一気に天秤がふれた。

全体の感想

3日間の缶詰学習を終えて、色んな人に「どうだった?」と聞かれて「たのしかったー!」と答えている。たのしかった!!

今まで1対1のコミュニケーションというものを考えるとき、自分の位置から見えるものを描写するか、相手の位置から見える景色を想像するかの二択だった。それが今回は、会話するときに相手との間に生まれる「つながり」に色を付けて、いろんな角度からその動きを観察したみたいな、そんな体験だった。世界の解像度がちょっとだけ上がった。

そしてこれは企画自体の話になるけれど、体験型学習おそるべし。参加者みんなが同じ方向をむいて、たくさんの自己開示があったこともあり「仲良くなれた」という簡単な言葉では表現したくないほどに、密度の高い思いやりと興味に支えられた親密な関係性を作ることができた。この静かに満たされた感覚……不思議だなぁ。(すでに、またあの場所に戻りたいな〜と思っている)

学んだこと①:傾聴のマインド

プログラムの内容については権利の問題もあるので具体的なスキルについてはぜひこのあたりを読んでみてほしいのですが、せっかくなので私が学んだことを日常ベースに落とし込んで言葉にしてみる。

まずコーチングって結局のところ「聴く」技術なので、傾聴についてはみっちり習った。

それで傾聴って、相手がほんとうに話したいことを聞き出してあげる技術をいうのではないかと感じた。相手が話していることを「うんうん」って聞いて質問して単に話を広げるってことではなくて「その奥にある、誰かに見てほしい・自分でも気付きたい輝きってなんなんだろう?」と考えて当たりをつけてスパッと切りこみにいくこと。

先生だったプロのコーチは、なんちゅーか鋭利だったんだよなー、切れ味がよくて、柔らかくも鋭利。切る場所がわかっていて、スパッと切れた断面からキラキラしたものが見えるような。

学んだこと②:ポジティブなエネルギーにアプローチすること

友達と話していると「無意味な負のループに入ってしまった」と感じることがある。

たとえば仕事の話になったとして「今の職場はこんなところかつまらない、グチグチ」→「今のままじゃダメだと思ってるんだよね」→「転職しようかな」→「でもなーそんな勇気もないし結局どうにもならないよね」など。

こういうときにわたしは「『つまらない』とか『ダメ』だと感じる原因はなんだろうか?」と、ネガティブなエネルギーを特定しにかかる。でも結局それは煙みたいに掴みどころがない。一部を言語化できたとしても、なんとなく沈んだ雰囲気が充満してしまうし特になんの解決にもつながらない。

今回のプログラムの中で「ポジティブなエネルギーに着目する」という方向でのアプローチを数多く見て「うわそんな方法があるんだ」と感動した。ポジティブなエネルギーには、自然と身体を動かす力がある。

この飲み会の例で言ったら「いまの会社のどこが嫌なの?」じゃなくて「じゃあさ、なんの制限もないとしたらどんなことをやってみたい?」「どんなことに喜びを感じる?」みたいな、その人の中にある上向きのエネルギーに焦点をあてる。光る何かは、煙みたいに消えてしまわないから、きっと指針になってその人の心や身体を軽々と動かしてしまう。

自分がやりたいのは「コーチングそれ自体」ではなかった

とまぁたくさんの学びを得ながらも、実際に「コーチング」をやってみると違和感を何度も感じた。「あれ?普段の会話のほうが楽しい。『コーチング』の形をとった瞬間に、なんだか自分も相手も色褪せていくみたいだ」と。

その違和感が明確になる瞬間があった。宿題として外部の人間にコーチングをするという課題が出されて、大学の同期に練習を頼んだときのこと。(以下のコメントは掲載許可をもらって載せています。)

45分間のコーチングをしながら、強いモヤモヤを感じていた。よく分からないけど楽しくない。ちょっと苦しい。聴くことにまわりすぎて、相手が離れていってしまうような感覚。相手が表面を滑っていて、いつもみたいに「シャッ」と切り込みを入れることができなくてじれったい。

それで、フィードバックの時間に「なんかちょっと違和感があった」と話してみた。そしたら「たしかに話を聴くのは上手いんだけど、遊び心が足りないっていうか、教科書通りっていうか、普段の会話にくらべて推進力を失っている」と言われた。「やっぱりあなたは『自分の意見を言っているとき』が一番輝いているんだよな。普段の会話の勢いはどうした?」と。

この的確すぎる指摘に、おそるおそる「え、そ、それは、わ、わたしはコーチングに向いていないということ?」と聞いてみると「うん、だってあなたは常に自分が主役でいたい人間じゃん。サッカーだったらシュート決めるタイプで、アシストするのになんて興味ないじゃん」と。いっしゅん息をするのを忘れるくらい、急所に刺さった。

たしかに「相手の感情をほどいていきたい」という衝動や「相手が気付きを得てくれた」ことへの嬉しさはあるんだけども、でもそれより「相手を魅力的に切り取って自分が満足したい」とか「現状をぴったり言葉にして切れ味のいい解決策を提示したい」という欲求が強いんだ。

他人の喜びの前に「とにかく自分の中にあるものを表現したい」という欲求が疼いてしまうんだよな〜と、自分のアウトプットに対する強すぎる衝動を改めて感じた。

自分を弱めて相手の道で伴走しようとすると、いきなりエンジンが切れてしまう。そうだ、出力をmaxにしないと電源が切れてしまうタイプの厄介なエンジンなんだった…。

なんというか、コーチングの岩に埋まっているものは小さい感じがする。いくら掘っても磨いても、そもそもが小さいんだからどうしようもない。それよりも、その隣にギラッギラ光っているものが見えた。わたしはそこを掘りたい!!

最後に:何かを学ぶということ

コーチングを勉強して「違う色のメガネを獲得した」と感じている。ふだんの会話が赤色のメガネだとして、コーチングは青色のメガネ。今まで隠れていた赤色の物が見えるようになって「足元に赤いレンガが積んであったんだ。そりゃつまずくわけだ」と意外な障害物に気がつく。そして何より「こんなに見えていない物があったんだ」ということに驚く。

ただ、一方で青色の物は見えなくなってしまった。それに青色のメガネをかけていると、食材がなんとなく美味しくなさそうに、色あせて感じてしまう。だから青色のメガネをデフォルトでかけることはしないけれど、でも青色のメガネをかけたくなることはきっと出てくるし、青に目を慣らすことは、赤色の世界で生きていくためにきっと役立つ。

すごーく素敵な体験でした。コーチングの練習相手になってくれるかたは無限に募集しておりますので興味があったらインスタとかに連絡ください!!!仕事の話とか普段の生活のこととか「モヤモヤする」「突破口が見えない」みたいなの、深く考えるお手伝いをします!!(このあと友達何人かにお願いしようと思ってくるくらい、わりとガチで募集してます)

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