常滑の老人
置戸棚の片づけをしていたら、懐かしい常滑の陶片が出てきた。
50年ほど昔、常滑の陶芸研究所に穴窯の見学に行った時のこと――。
帰路、以前から見てみたいと思っていた平安時代の窯跡を訪ねようと、陶器全集などを読んで見当をつけた辺りをうろうろしていると、畑で農作業をしている老人を見つけた。
おそるおそる「この辺りに平安の窯跡はないですか?」と尋ねると、一瞬間をおいて私を一瞥したその老人は、「鎌倉初期の窯ならこの先にあるよ」と言われた。道順を聞き、礼を言って立ち去ろうとすると、「ここにも平安の窯跡があったんだ」と、足もとを指さした。そして、すぐそばの稲藁の山の下に手を突っ込んだかと思うと、「これ、やるよ」と言いながら差し出した。
見れば、径20㎝位の輪花の鉢 5分の1位の陶片だ。いわゆる常滑の壺などの肌の色とは違う。還元気味の焼成で、おそらく小さめの窯だろう。まさしく平安である。
嬉しくなって「本当にいいんですか」と念押しして、何度も礼を言ってありがたく頂戴した。
宿に帰りそっと洗ってよく見ると、付高台でうっすら灰がかかり、上品な素晴らしい陶片である。老人にその平安の窯についてもっともっと話を聞きたいと思うほど、嬉しさがこみ上げた。
教えてもらった鎌倉初期の窯跡のある竹林から戻ってきた時、畑に老人の姿はなかった。
50年が経ち、あれは幻の、常滑平安古窯の守り人だったのかもしれないとさえ思えてくる今、もう一度会って礼が言いたい。