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中央と地方〜交流競走の話〜

初めましての方は初めまして。
そうでない方はいつもお世話になっております。

さねちかです。

今日はですね、

馬場適性

のお話ということで考えていたんですけども、予定を変更してお送りしたいと思います〜🙏
というのも、一昨日ですかね。
地方競馬と中央競馬の合同記者会見が行われて、

ダート路線の体系整備

が発表されました!👏👏👏
ということで、その辺り、思うところなどつらつら書いて見ようかなと思いましてですね。

馬場適性のお話については来週、必ずお話ししていきますのでよろしくお願いします🙇‍♂️

よろしければお付き合いください。
では。


【おさらい〜中央と地方〜】

はい!

ではおさらいです!(唐突)

と言っても先週もおさらいをしたばっかりなので、その辺をまとめたnote、置いておきますね…☺️
👇レースのあれこれ〜中央と地方って何?〜👇

日本の競馬は、

中央競馬(JRA)

地方競馬(NAR)

に分かれていて、それぞれ運営している団体が違います。
大まかに言えば、大まかに言えばですよ、大まかに言えば!
中央は国が、地方は地方公共団体が運営をしているんですね。

運営団体が違えばルールも違うし、条件も違います。
その昔、中央と地方は同じ競馬でありながら、

「全く住む世界が違う」

と言った感じだったんです。
人も、馬も中央は中央、地方は地方。
一緒にレースを走るなんてことは考えられない時代があったんですね。
地方の馬が中央で、中央の馬が地方で走るには完全移籍するしか方法がありませんでした。

そんな中でも、地方でデビューを迎え、その圧倒的な強さから中央に移籍して人々の心をさらって行った馬たちもいました。

それが1970年代の第一次競馬ブームの火付け役で大井競馬場から中央に移籍して皐月賞などを勝った

「昭和の怪物」ハイセイコー

であり、
1980年後半から1990年代前半の第二次競馬ブームの中心にいて、笠松競馬から中央に移籍して有馬記念などGⅠ4勝を挙げた

「芦毛の怪物」オグリキャップ

でした。
特に第二次競馬ブームの影響は大きく、1995年からは中央ー地方間の垣根が低くなり、条件さえクリアすれば地方所属のまま中央GⅠにも出走できるようになりました。

この年を、

交流元年

と言ったりします。

この年、

笠松のライデンリーダー

報知杯4歳牝馬特別(現:フィリーズレビュー)に優勝して、桜花賞に1番人気で出走したり、

JRAのライブリマウント

帝王賞などを勝ったりと、中央と地方の交流が盛んに行われるようになりました。

【ダートグレード競走〜地方交流戦〜】

さて、その交流元年以降「中央と地方」はどのように関わってきたか、というところですが。

地方競馬では累積赤字などの影響で、多くの競馬場が閉鎖・休止になりました。

岩見沢(北海道 2006年)
北見(北海道 2006年)
旭川(北海道 2008年)
上山(山形県 2003年)
宇都宮(栃木県 2005年)
足利(栃木県 2003年)
高崎(群馬県 2004年)
三条(新潟県 2002年)
益田(島根県 2002年)
福山(広島県 2013年)
荒尾(熊本県 2011年)
中津(大分県 2001年)

ほぼ同時期であることがわかると思います。
現在、残っている15場の地方競馬にも廃止・休止の危機をどうにか乗り越えた競馬場もあります。

競馬場の廃止・休止に伴って、馬やジョッキー、関係者の移籍なども起こりました。

一方、中央では

「競馬全盛期」

とも言える時代を迎え、1996年には有馬記念の1レースだけの馬券売上が

💸875億円💸

を超えるという一大イベントにまで押し上がりました。
(それでもギャンブルというイメージはかなり強かったようですが…😅)

そんな中で、中央競馬ではそれまで蔑ろにされがちだった

ダート戦線

にも力を入れていく方向へのシフトが始まります。

交流元年にはGⅡだった

フェブラリーSがGⅠに昇格

これによって中央初のダートGⅠが誕生!

2017年 フェブラリーS
M・デムーロ騎手とゴールドドリーム

1997年からは中央と地方が協力してダート競走の格付けを行う機関が発足して、全国的な基準が確立!

ここに、

地方交流重賞

という地方競馬場で中央馬と地方馬が一緒に走って争う形の新しい重賞が誕生します!

これにともなって、

帝王賞
東京大賞典
ダービーグランプリ

の3競走が「統一GⅠ」に昇格!
その他のいくつか競走も「統一GⅡ」、「統一GⅢ」に格付けされてダート戦線のレース体系が整っていきました。

地方競馬場の廃止・休止やレースの廃止・降格、レースの新設・昇格、まぁその他詳しく話すとゴチャゴチャする日本のパート1国昇格に伴う格付けの表記の変更なんかも経て…

2022年現在では、年間で40つもの地方交流重賞が施行されています。

現在では、

「統一GⅠ」

という格付けから

「JpnⅠ」(読み方はジーワン)

という表記に変更されています。
JpnⅡ、JpnⅢのレースは多いのでご自身で調べていただくとして…笑
現在、施行されているJpnⅠ競走は、

川崎記念(川崎 2100m)
かしわ記念(船橋 1600m)
帝王賞(大井 2000m)
ジャパンダートダービー(大井 2000m)
マイルCS南部杯(盛岡 1600m)
JBCクラシック(持ち回り)
JBCスプリント(持ち回り)
JBCレディスクラシック(持ち回り)
全日本2歳優駿(川崎 1600m)

そして国際GⅠである

東京大賞典(大井 2000m)

10競走が行われています!

2016年 JBCスプリント
M・デムーロ騎手とダノンレジェンド

【改革〜これからのダート戦線〜】

今回なぜこの話題に触れたかというと、最初に触れた通り先日、中央競馬と地方競馬による共同会見が行われて

ダート路線の整備

についての発表があったからです!

発表された主な内容については「3歳ダート三冠の整備」「2、3歳ダート短距離路線の整備」の2点!

これまで2歳秋〜3歳春のダート戦線は確かに路線の整備が十分でなく、ある程度勝つと出れるレースがかなり限られてくるという現状がありました。

そこで!

これまで南関東の三冠競走だった

羽田盃
東京ダービー
ジャパンダートダービー

を開催時期を少しずらして全てJpnⅠに。
中央・地方交流の3歳ダート三冠競走へと位置付ける方針が明らかにされました!

さらに!

兵庫チャンピオンシップ

2017年 兵庫CS
岩田康誠騎手とテーオーエナジー

を1870mから1400 mに短縮して3歳ダート短距離路線の頂点競走に位置付け。
ここを目標にするために2歳秋〜3歳春までにダート短距離重賞を新設するとのこと。

2歳路線は2023年、3歳路線は2024年から開始されるみたいですね。

これによって、

ダート路線が拡充され芝馬は中央で、ダート馬は地方でそれぞれ三冠を目指して戦う。

という明確な目標ができますから、ダート路線のさらなる活性化に繋がるでしょう。


ここからは僕個人の感想なんですけど。

実はこれ、まぁかなり難しい問題です!!!😅

確かにダート三冠路線ができれば中央のダート馬は活性化につながるでしょうけど、
地方で戦う馬たちの活躍の場を奪いかねないとも言えますし…

そもそも羽田盃と東京ダービーが地方交流になると、

「南関東の三冠路線はどうするのか?」

「各地域の三冠路線との関連性はどうなるのか?」

そんな問題も出てきます。

「じゃあ単純に中央でダートのレース増やせば良いんじゃない?」

これがそうもいかないんですよね〜。
競馬の開催日程なんかは法律で決まってて、これ以上レースを増やすことは現実的に難しいんです。

何かを守ろうとすれば、何かを犠牲にしなきゃいけない

そんな感じですかね…。

ひとまず言えることは、地方やダート競馬のために日本の競馬は今、

大きな改革

2017年 川崎記念
C・ルメール騎手とオールブラッシュ

を行っているところだ、ということです
これが上手くいくか、それとも…。
というのはやってみないとわかりません。

来年以降のダート路線がどう動いていくのか…。
この目でしっかりと見届けないといけませんねぇ〜😎

昨年、マルシュロレーヌがダート競馬の本場であるアメリカの、それも

ブリーダーズカップ(BCディスタフ)

を勝ちました。

これまでの常識では考えられないような、

世界に通用するダート馬

が日本から出たんです。
「中央から世界へ」だけでなく「地方から中央へ」だけでもなく、

「地方から世界へ」

そんなことを語れる時代を作っていくための改革だと信じたいですね!!!☺️


ちょっと感想のところが長くなってしまいましたが、そんな感じなんですよ…😅

まぁでも楽しみといえば楽しみです!👌

JpnⅠ昇格の第1回目は見に行っちゃいましょうかね〜😎😎😎

さて、次回は前回の流れに戻って馬場のお話。
梅雨ですしね!北海道も始まりましたから!
その辺もしっかり頭に入れた上で、馬券買って行きたいですね!

おっと。
週末の宝塚記念も忘れずに。
とても暑くなるようですから、現地行く方は水分補給にも気をつけて✋
僕の本命は今のところ…

アリーヴォ

ですかね😎

お付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。

👇フェブラリーSや兵庫CSの写真はこちら👇

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