私という人間

医療界以外の人は私をあまり知らない人も多いと思うので、ちょっと自己紹介みたいなものを載せます。


私は元々人のやらないこと、新しいことに挑戦するのが生きがいなのです。私は学生時代に中医学(中国伝統医学の諸流派を中国政府がどうにか統一した医学)に出会って、これだ!と思いました。しかし当時日本で中医学を学べる機会は非常に少なくて、最初は日本漢方を学びました。日本漢方すら学べるところは極限られていましたが。

やっている内に、これをサイエンスにしたいと思い、どうにかして漢方・中医学で東北大の博士号を取りたいと思いました。当時「まとも」な医者達からは漢方だろうが中医学だろうが怪しげなトンデモ系、呪いみたいなものと思われていたのでこれは冒険でした。

漢方で病院に一番出入りしているツムラの社員に、東北大で漢方の博士号を取りたいんだけど、と相談したら必死に考えてくれたあげく、老年科の佐々木教授ならもしかして許してくれるかもしれません、と言うので、私は佐々木先生に会いに行き、「私は漢方で学位を取りたいのです」と言ったら佐々木先生は即座に「いいんでねべが」と言ってくれたので私は老年科に入りました。

入ったは良いのですが、医局の先輩は誰も私を指導してくれません。皆漢方なんて怪しげなものを、と言う眼で私を見ます。善意ある忠告も「まず西洋医学で学位を取りなさい。そうしたら漢方の研究もしていいから」というものでした。しかし私は「東北大で漢方で学位を取るんだ」と固く誓っていたので、そう言う人も私を見放してしまいました。

結局、私の直接の指導教官が教授の佐々木先生ただ一人と言うことになりました。佐々木先生は熊本大の薬理学教室に私を2週間送って(旅費は全部自前)、一つだけ基礎実験の方法を覚えさせ、私はその方法を使って清肺湯(せいはいとう)という漢方薬がマウスの肺炎を抑えるというデータを出し、ついに東北大学開闢以来初めての「漢方で医学博士を取った人間」になりました。

その後も私は漢方の効果を西洋医学的方法で証明したり、新しい効果を見つけたりしてきましたが、今度は別の方向から弾が飛んできました。漢方の偉い人たちです。「漢方は個の医学で、集団を相手にする西洋医学とは違う。それをあいつはろくに弟子入りもせずに西洋医学で証明するとはけしからん」というわけです。西洋医学からは呪いみたいなもの、漢方からは外れ者と言うことになりました。

しかし私に転機が訪れたのです。2001年、私は佐々木教授をけしかけてツムラの寄付講座を東北大に作らせました。そしてそこの助教授(今で言う准教授)になったのです。それまで医員という日雇いだった私がいきなり助教授になって、今度は先輩達からのやっかみが始まりました。「今をときめく助教授様」とか、散々嫌みを言われました。

しかし2005年、私は抑肝散(よくかんさん)という漢方薬が認知症で見られる怒り、興奮、妄想などを抑え、しかも西洋の抗精神病薬のような副作用を起こさないことを発見し、世界の臨床精神医学のトップジャーナルに論文を載せたのです。これは大騒ぎになり、私は一躍有名人になりました。更に私は半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)と言う漢方薬が高齢者二頻発する誤嚥性肺炎を予防することも発見し、これは老年医学のトップジャーナルに載ったのです。

後は省略しますが、このように私は絶えず新しいことに挑戦し、結果を出してきた人間です。正直なところ、非常に日本に合わない人です。私ももう少し年が若かったらアメリカか中国に移住していたでしょう。そう言う私から見て、今のゆでがエルのような日本は歯がゆくて歯がゆくて仕方が無いのです。


私の専門の中医学の分野では、中国伝統医学が9万本以上の英論文を出しています。それに対して漢方はたった1990本です。その内45本は私の論文です。日本より人口もGDPも小さい韓国ですら、伝統医学の論文を2700本以上出しているというのに、です。あんまりそれを騒いだら、日本東洋医学会という日本漢方の学会のお偉方に嫌われて、ついに私はその学会を追い出されてしまいました。今は日本中医薬学会という中医学の学会に属していますが、ヒラ会員です。ヒラでも漢方・中医学をやる人で私を知らない人はいないので、結構でかい面をしていますから、そのうちそこからも追い出されるかもしれませんが。

というわけです。少しは私という人間が分かっていただけましたでしょうか。

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