日本東洋医学会を斬る

「日本東洋医学会を斬る」


今年行われる第73回日本東洋医学会学術総会のメインテーマが「あなたの漢方、私の漢方」というもので、サブタイトルが「オンリー1とナンバー1」だという。



これを見て、私はFBの発言で「終わってんだ、馬鹿どもが」と書いた。



言うまでも無く私も長年漢方をやってきているわけで、何人もの漢方医の知り合いや友人がいる。そのほぼ全てが日本東洋医学会に加盟している。私が終わってる馬鹿どもと言ったのは、それら個別の人々を指したものではない。「日本東洋医学会」という組織が終わっていると述べたのだ。



日本東洋医学会は日本の伝統医学である漢方医学を代表する学会という事になっている。しかし、漢方というものが皆オンリー1なのであれば、そこにはそもそも学会という組織が成立し得ない。みんな別々の漢方医学があるのなら、学会というものは概念としてあり得ない。



学会というものは、例えば日本糖尿病学会が糖尿病の診断治療ガイドラインを出す、高血圧学会がガイドラインを出すというように、専門家が集まって、エビデンスを持ち寄り、討議してその分野の診断治療に関して一定の方向性を出して世に示すものではないだろうか。もちろんそこでは私はこう考える、いやこの方が良いという議論はあるだろうし、みながみな科学的エビデンスで決まるわけでもない。どうしたって政治的妥協も関わってくる。また抗がん剤のように学会として効果は推奨されるものの金額がものすごくて受け止める臨床現場が困ってしまうという問題も生じる。



そう言う色々な問題は生じるが、ともかくその分野のことならこの学会がガイドラインなりステートメントなりを出している、と言うのが学会というものが果たすべき社会的役割の筈だ。日本東洋医学会が漢方の主要な学会であるというのであれば、漢方医学について東洋医学会から一般医家に向けて、あるいは社会に向けて、宋そうした診断治療のガイドラインなりステートメントなりが出ていなければおかしい。



しかし漢方というものは皆がオンリー1だと言うなら、そうした意見の集約は不可能だ。みんながみんな俺様漢方で、それでいいのだと全国総会のメインテーマに掲げるのであれば、それはもはや学会の体をなさないし、学会というものの社会的存在意義がない。日本東洋医学会は「そもそも学会とは何か」がまるで分かってないという事だ。だから私は「終わってんだ、馬鹿どもが」と書いたのだ。



これが日本漢方というものの有様である。今回の学会テーマは、極めて皮肉にも、日本漢方の現実を如実に表している。その意味では実にテーマとしてふさわしいのかもしれない。要するに日本漢方は、学問ないし医学の体をなしていない。漢方医学という学問は存在しない。今回の日本東洋医学会学術総会のメインテーマは、はしなくもそのことを明確に宣言しているのである。
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