ホロコーストと五輪

これまで主に新型コロナと五輪の関係を取り上げてきたが、今回は別の議論をする。

開会式ディレクターの小林賢太郎が開会式前日になって解任された。20年前に「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というコントをやったことが問題とされた。

言うまでも無いが、ナチスドイツを中心とした(中心とした、という歯に物が挟まった書き方をする理由は後で出てくる)ユダヤ人大量虐殺は、虐殺総数6百万人という、人権という概念が全く存在しなかった中国古代やモンゴルなどの世界史全体を含んでも最大の大量虐殺である。つまり人類史上最大の大量虐殺だった。それを「ごっこ」と呼んで笑いを取るというのは、やる側はもちろんだがそれを観て笑い転げた日本人聴衆が、如何に馬鹿で無知で愚かで残虐であるかを如実に示している。何も知らない馬鹿はかくも残酷だ。小林が即刻クビになったのは当然で、国際常識なら死刑に相当する。

しかしこれを伝えたネットニュースに対する日本人の匿名コメントは、その多くが「世界で力を持つユダヤ人を敵に回したのだから辞めるべきだ」、「差別問題は要するに声が大きい奴には敵わないのだ」などといったものが大半を占めた。要するに、コントが行われた1990年代と今とで、日本人の人権感覚、いや「日本人は馬鹿で無知で愚かで残虐である」という実態に、何の変化もないのだ。

ここで先ほどナチス「等」とした表現に戻る。

バービィ・ヤール事件というのがある。第二次大戦でソビエトに侵攻したドイツ軍が、現ウクライナの首都キーエフ郊外の渓谷バービィ・ヤールで大量のユダヤ人虐殺を行った。それにはウクライナ警察も積極的に加担し、たった一晩で3万3千人、独ソ戦全体ではおよそ10万のユダヤ人がナチスドイツとウクライナ警察によりここで虐殺されたのだ。

当時のソビエト最高権力者スターリンは口先では民族融和を謳いながら、実は徹底した反ユダヤ主義者だった。だからこの虐殺は長くソビエトではタブーとされ、誰も口にしてはならないものとなった。

しかしスターリンの死後、フルシチョーフがソビエト共産党書記長になった1961年、詩人イェフトシェンコはついにこの問題を詩に取り上げ(ロシアでは歴史的に「詩で取り上げる」というのは高い公表性を持つ)、翌1962年、著名な作曲家ドミートリー・ショスタコーヴィチがその詩に基づいた合唱付き交響曲第13番を発表し、初演を試みた。

しかしタブーに挑戦したこの交響曲初演は困難を極めた。フルシチョフはエフトシェンコの歌詞にあったロシア人批判のニュアンスを持つ部分について改変を命じ、特に「虐殺」という単語は削除を余儀なくされた。ショスタコーヴィチの音楽も改変を命じられたが彼はそれを断固として拒絶し、音楽は原作のままとなった。ショスタコーヴィチの数々の交響曲を初演してきた指揮者ムラヴィンスキーは指揮を断り、キリール・コンドラシン指揮、モスクワフィルハーモニー交響楽団が初演を行った。初演に際してはフルシチョフ自身が現れ、ショスタコーヴィチ、エフトシェンコ、フルシチョフの間で大激論がかわされた。指揮者コンドラシンも指揮を降りるよう命じられたがコンドラシンはこれを拒否。しかし主演バス歌手ネチバイロは当日に逃亡し、グロマツキーが代役を務めることになった。

この交響曲第13番は第一楽章がバービィ・ヤールについて歌われ、その他ソビエトの物不足、ソビエトの権力批判など、ほとんど関係者全員が死を覚悟した音楽だった。演奏が終わると会場は一斉にスタンディングオベレーションに包まれ、「権力に迎合しつつあるのでは無いか?」と一部から批判されかけていたショスタコーヴィチは完全に民衆の支持を取り戻した。「雪解け」と言われたフルシチョフ時代でも、この問題を取り上げるのはかくも困難だったのである。

ユダヤ人大量虐殺問題は、これほど深刻なのだ。それをコントにしてしまう日本人の浅はかさ、21世紀の現在においてさえ「裏で権力を持つヴィーゼンタールに逆らったからだ」と言い放つ日本人の愚かさ、傲慢さ、無知無能、残虐性を、この五輪は世界に完膚なきまでに知らしめた。

東京五輪万歳。

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