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【寄稿】他の人の働いている様子が覗き見できる本|小林 陵

読売新聞書評欄で取り上げられるなど各所で好評を博しております『医療現場で働くやとわれ心理士のお仕事入門』。著者の小林先生に、刊行にあたってのエッセイをお寄せいただきました。軽妙でユーモアたっぷりな小林節をお楽しみください!

 単著を出版するというのは、もう何冊も出されている先生方にとっては慣れたことかもしれませんが、そうではない私のような身に取ってみれば、日常生活が大騒ぎです。両親が神棚に飾ろうとか言ったり、嫁いでいる姉からは五冊買ったよと連絡が来たり(姉はそうでもしないと誰も買わないと思ったのかも)。新聞に書評を載せていただいたときには、待ちきれない親父が早朝からコンビニに新聞を買いに行って、こんな時間じゃ朝刊なんて来てませんよと断られたり。小林家が大騒動なのです。私は私で同業者だけでなく、心理士でもなんでもない昔からの友達にまで本を出したよ! と連絡したりしていました。
 私が書いた『医療現場で働くやとわれ心理士のお仕事入門』はタイトルの通り医療現場での心理士の働き方の本なのですが、多くの人に読んでもらいたいので、専門用語を使わずに書きました。そのため、どんな理論や学派を学ばれてきた方でも読めるのはもちろんですが、その副産物として、心理士や精神科医ではなくても読める本となりました。
 私はもともとは日本文学科出身なので友人も本を読むのが好きな人が多く、読んだ感想を聞かせてもらったりしました。中にはとても感慨深く読んでくれた友人もいました。おそらくは学生の頃から知っている私が、一度営業マンになって、これは無理と辞めてしまって、何を思ったのか大学で心理学を勉強するとか言い出して、そのときには「おいおいこいつ大丈夫かよ」と思ったかもしれませんし、「また大学に戻るなんてどんだけ仕事したくないんだよ」と思ったかもしれないですし、そんな時期を共有しているために、その小林が仕事の本なんて出しているじゃん! ということも含めて感じてくれるところがあったのでしょう。昔からの時間を共有してくれている人がいるのはとても有り難いことだと実感しています。
 そんな中でこの本を心理士の仕事についての解説というだけでなく、仕事をすることそのものについての本という視点から捉えた感想を伝えてくれた友人もいました。心理士ではない方から見たら、細かな心理検査をするときの工夫や見立ての仕方、面接中に考えていることなどは、珍しい豆知識ではあっても、日常で直接役立つものではなく、そうした部分を除いてみると、この本には確かに仕事に取り組む様子が書いてあるのかもしれません。他の人の働いている様子が覗き見できる本と言ってもいいでしょうか。
 人それぞれ、どんなモティベーションで仕事に向い、人生のどの程度まで仕事にコミットし、仕事から何を得ているかということは異なっているのでしょう。この本では病院で心理士が働く様子をできるだけ率直に描こうとしたため、一人の社会人が仕事に取り組む姿が描かれているのかもしれません。それはそんなに格好いいものでも英雄的なものでもないと思うのですが、ただ全然いい加減というわけでも、遣り甲斐や充実感を感じていないわけでもない姿だろうと思っています。
 思い返すと、これまで何度か私よりも若い心理士さんからこの仕事に向いていないかもしれないので、これからどうしようか迷っているという話をうかがったことがあります。
 私自身は先述のように一度営業をやって、どう考えてもこれは向いてないぞと思い、それなら自分の人生で何をしたらよいのだろうと考えて、この道を選んだ経緯があります。最初に営業になったのは、何とかその会社に入れたからというくらいの理由でした。私が新卒で就職活動をした時期は就職氷河期で、五十社以上に申し込んで落ちまくっていたのです。
 そうそう、脱線してしまいますが、当時ある鉄道会社の採用試験で学生時代に勉強してきたことを書いてくださいという小論のテーマが出ました。そんなこと言われてもねぇと思いつつ、私は仕方なく「能の台本である謡曲を研究するゼミに所属し、日本の伝統芸能を学び」みたいなことを書いていました。そのとき、チラッと隣に座っていた女の子の用紙が目に入ったのですが、そこには「都市計画のゼミに所属し、人々が集まる街づくりについて研究し」とか書いてあって、うわ、自分が人事でもこっちの子を選ぶわ、と思った切ない記憶があります。そんな受難の就職活動を経て、何とか受かった会社に入ったのです。
 ただ、その会社を辞めて大学に入り直し、心理の仕事に進んでからは、やっぱり向いてないかもしれないなぁと思ったときにも、そう何回も人生の路線変更をしてられないとか、でも営業マンに比べればちょっとだけ向いているかもとか、つまりは、これは「自分で選んだ仕事」だからしょうがないという思いがあったために、あまり我慢強いわけではない私でもやって来られたのかもしれません。
 そう考えてみると、この仕事は向いてないかもしれないと私に話してくれた若い心理士さんたちは、資格は取れたけれども、ひょっとしたらまだ本当の意味でこの仕事を選んではいないのかもしれません。ただ、これは私自身が随分チンタラ遠回りをしてきたからそう思うのかもしれないですが、今の世の中で二十代で自分の生涯の多くの時間を費やす選択をすることは誰にとっても容易だというわけではないでしょう。この道でよかったのかな、やっぱ別の道かなと悩みながら進んでいく人がいても少しもおかしくありません。
 そういうわけで私の書いた本が、そんな悩める若い心理士さん、いや、心理士に限らず悩める社会で働く方々に、病院で心理士っていうのはこんな感じで働いているのだねぇと感じてもらい、心理士を選ぶにせよ、そうじゃないにせよ、ある職業を選択して働くということをイメージして考えてもらうのに役立ててもらえたらいいなぁと、筆者として私は思っています。

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心理士の方だけではなく、今の時代に複雑な状況の中で働いている方なら、どなたでも共感し面白く読める本です。ぜひ奮ってお買い求めください。

◉プロフィール
小林 陵(こばやし りょう)

臨床心理士,公認心理師,日本精神分析学会認定心理療法士。
東京国際大学大学院臨床心理学研究科博士前期課程修了後,横浜市立大学附属病院に勤務し,現在まで心理療法や心理検査,復職支援デイケア,緩和ケア等に従事する。
訳書にS. M. カッツ『精神分析フィールド理論入門』(共訳:岩崎学術出版社 2022),著書に『実践 力動フォーミュレーション入門』(共編著:岩崎学術出版社 2022)など。


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