肩こり憎けりゃ夫まで憎い

 職場では芍薬でも牡丹でも、ましてや百合の花でもなく。
日陰に咲くタンポポのようにひっそりと仕事に励んでいる私だが、かつて一度だけ。それもごく短い間だけ噂話の中心に置かれ、後ろ指を指されるような憂き目に遭ったことがある。
 原因は同じ職場で働くさる男性に悪評をばらまかれたからである。ちなみにその男性というのは我が夫である。
 彼は「夜遅くまで残業してクタクタに疲れて帰った後、さらに妻の肩やら足やらを揉まされている」などという根も葉もある噂を職場内にばらまき、私の評判を地に落としたのである。

 確かに、夫が語ったことは事実である。しかしそこに至るには、涙無しには語れない複雑な事情があったのだ。

 私は、重度の肩こり持ちである。朝起きてステータス画面を開けば、”肩こり(激凝)”と赤いフォントで表示され、これが夕方になれば足のむくみや偏頭痛まで追加される。
 園児の頃よりこのステータス異常に悩まされ続けた私は、それこそどうにか肩こりを解消できないかとあらゆる手を尽くした。が、何をどうやっても肩こりが治ることは無く、ただただ憎悪ばかりが募っていった。

 できることなら、この肩の肉を鋭利なナイフで切り開き、どす黒く変色しゴリゴリに筋張った肩の筋肉を摘出してしまいたかった。まな板に思い切り叩きつけ、すりこぎを突き立てて思い切り体重をかけながらグリグリしてやればさぞかし晴れやかな気持ちになるだろうと、幾度となく妄想した。
 或いは、何処かの偉い博士が開発した特効薬を肩に打ち込み、筋張った肉がシュワシュワと泡立ちながらピンク色の肉塊へと変わり、肩をぐりんぐりん回せる日は来ないかと妄想したが、今のところそんな薬が開発されたという話は聞かない。

 さて、そんな肩こりに悩まされる私であるが、それでも夫に対しては人並みの愛情らしきものがある。たまには毎日夜遅くまで働いて疲れているであろう、夫の肩でも揉んでやろうかとうつ伏せに寝かせ、馬乗りになった。
 さて揉むかと、夫の肩に手を置き、ぐっと握りしめた私はその手応えに驚愕した。

 ぐにゃぐにゃである。
 ”コリ”のコの字もない、マッサージの必要性など皆無な肩がそこにあった。
 なんということだ。これが毎日夜遅くまでデスクワークをしている男の肩だというのか。私は自分の手の感触が信じられず、さらに二度三度と揉んでみた。ぐにゃぐにゃである。やはり微塵も凝っていない。
 私は思わず夫に尋ねた。
「肩凝ってないの?」
「肩は凝ったことがない」
 ”肩は凝ってない”の聞き違いかと思った私は、再度夫に尋ねた。答えは変わらなかった。
 なんということだ。あまりのショックに、私は目の前が真っ白になった。この世に肩こりとは無縁の人間が存在するという衝撃の事実を受け止めるには、私の精神はあまりに脆弱だったのだ。
 私は、疲れた夫を労ってやろうという奉仕の心が霧散していくのを感じた。生まれてこのかた、これほどまでに悩まされている肩こりとは無縁の人間がここに居る。そういえばこの男は同じく私が悩まされている足のむくみとも、花粉症とも無縁なのである。
 あまりの不公平に、私は夫への憎悪が募るのを感じた。夫はもっと私を哀れみ、労うべきであると思った。
 たとえば、そう。二人でドライブに出かけた先で交通事故に遭い、受けた衝撃は二人同じであっても、夫は無傷私は重傷であった場合。どちらがどちらを介抱すべきか、答えは明らかである。

 上記の理由から、私は疲れて帰ってきた夫に肩やら足やらを揉ませたのである。今にして思えば、我ながらなかなかの鬼嫁っぷりであったように思える。しかしそれもこれも全て肩こりが悪いのである。




 肩こりとコロナの特効薬が一日も早く開発されることを祈って、この駄文を投稿します。

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