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チェロ弓を新調した話

新型コロナ対策で3度目の緊急事態宣言が発出されたが、この引きこもり生活も丸1年を迎えようとしている。

ぼくは以前からオフィスには出社せずテレワークが主体で、客先での打ち合わせのために外出するというワークスタイルであったが、今では打ち合わのほとんどがオンラインに変わり、仕事で外出することは基本的にはなくなった。おかげで、自宅がある横浜から東京の客先への移動、そして地方や海外への出張など、その移動時間が省略された分、仕事の効率が良くなり、ひとつひとつの仕事に対して丁寧に向き合えるようになっている。

ただ、不満もあって、打ち合わせの後の飲み会やイベントなど、ネットワーキングの機会がぐんと減ってしまったので、新たに出会った人と新しい仕事を始めるということも減っているのである(たまには、気の知れた仲間と飲みながらリアルに談笑したいという不満ももちろんある)。この状態は過去のソーシャルキャピタルを取り崩しながら、仕事を繋いでいるような状態とも言えて、新たなつながりの発展に積極的に投資していくということができていいないところに、不満と同時に不安も覚えるのである。

とはいえ、今の社会状況の中では如何ともしがたいこともあるので、今は前向きに、この引きこもり生活の中で生まれた余暇を大切に使ってやろうと考えている。

さて、その余暇の使い方だが、ここでは、仕事の話ではなく、プライベートの趣味であるチェロの話を書きたいと思う。

この引きこもり生活のおかげで、チェロの練習をする時間は以前と比べて増えている。平日であっても、仕事の合間に少し長めの昼休みをとって昼食の前後とか、仕事をさっさと切り上げて夕食前とかに1時間程度とか、意識的に時間を取るようにしている。楽器とは不思議なもので40を過ぎても練習すれば上達するのである。こんなん弾けるわけないだろう、、という難度の高いパッセージであっても、繰り返し練習すればなんとなく弾けるようなるし、十分に消化できていなかった旋律や、譜面の書き込みも、ふとした瞬間に腹落ちすることもある。幸い時間はあるので、構成を頭で考えていろいろ試してみたり、ニュアンスの違いを弾き比べてみたり、作曲家の生きていた土地や時代に思いを巡らせてみたりなど、一つの楽曲をじっくりと噛みしめるように楽しんでいる。

そんな恵まれたチェロライフを満喫しているのだが、実は最近、さらなる充実を狙って、弓を新調した。きっかけは、ゴールデンウィーク前に愛器をメンテナンスに出したときのことである。

ぼくの愛器は、世話になっている楽器店の店主の仲介で、元オーケストラ団員の方から譲りうけたフレンチの古い楽器だ。この楽器の音色はその店主もチェロの師匠も絶賛する、まさに、「掘り出し物」というべき自慢のチェロである。しかし、弓が良くなかった。それまで使っていた弓はフルサイズをはじめて持った小学校高学年くらいから使い込んだもので、悪くはないものの、明らかに初心者向けである。楽器を持ち替えてからは、それ相応の弓にアップグレードする必要性を感じるようになっていた。しかし、「弓」と一言でいっても、ピンキリなわけで、楽器を弾く者なら誰しも、せっかくなら良いものが欲しいと考えることだろう。まず、予算をどのあたりに設定するかを考えなければならないが、しかし、弓も楽器と同じく、お金を積んだからと行って必ずしも良いものに出会えるというわけでもない、そこが悩ましい。あれこれ考える中、安いノーブランドのビンテージ弓をebayでロンドンから取り寄せたり、師匠から勧められたカーボンファイバー製の弓を買って使ったこともある。そうやって、やがて来る本気の弓選びの時に必要となる勘を養って備えるという、そんな状態が続いていたのだった。

メンテナンスが終わった楽器をひきとりに店を訪れて、改めて店主から愛器の音色を褒められて上機嫌になったぼくは、思い切ってお勧めの弓はないかと聞いてみた。そうしたら、店主はカウンターの脇の作業台のあたりから次々と弓を出してきて、「最近はブラジルの弓が値段も手頃で良いんだ」と言いながら、磨いたり松ヤニを塗ったりしながら、椅子の脇の低い机に5本ほど並べてくれた。弾いてみろというので、待ってましたとばかりに、メンテナンスからあがったばかりの愛器をケースから取り出して、まず、手前の濃い色の弓を手にとって音を出してみた。弦は張り直した直後で全体的にピッチが下がっていたが、気にせずそのまま弾いた。弓を動かした瞬間、張りのある音が立ち上がる。鳴りすぎではないか?というくらいに鳴るので少しびっくりしたが、今回の愛器のメンテナンスでは表板のネックのあたりなど何カ所か剥がれがあって、そこを接着しなおしたのでそのせいもあるのではないかと。

並べられた弓を次々に手にとって、重さやバランスを確かめながら、音を出していった。どれも弾きやすい弓だった。2本はとても良く鳴るが少し音が硬すぎる。1本は悪くないが特徴がない。1本は持った感じが軽く、柔らかい音とラッピングやフロッグのあたりの装飾が特徴的で気になる。もう1本は装飾はシルバーで主張は無いが、良く鳴って、質感のある音、これも気になる。チェロ自体は同じでも、こうも、弓で音に違いが出るものかと、改めて驚きつつ、しばらく取っ替え引っ替えやっていた。そのうち、店主からよかったら2本くらい持って帰ってしばらく弾いてみてはどうかとの嬉しい提案があったので、気になる2本を借りて帰ることにした。

チェロやヴァイオリンの弓だが、近年ではカーボンファイバー製の物も登場している。カーボンファイバー製の弓はぼくも2本ほど持っている(そのうちの1本はYAMAHAのサイレントチェロについてきた)が十分に良くできており、普通に使用していれば折れることもないだろうから安心できるし、なにより、品質は一定で、コスパが良い。一方、従来の木製の楽弓は1本、1本、職人が木材を選んで手で削って作られる。そのため、見た目や使い心地、音色にもそれぞれ個性がある。

楽弓の材料としての木材として、その多くはブラジル原産のペルナンブコが使われる。この、ペルナンブコは現在、ワシントン条約で絶滅危惧種に指定されており、自由な流通が制限されている。そのため、楽弓制作の本場であるフランスをはじめとする欧州では良質のペルナンブコの入手が難しくなっているという話もある。そうした背景があり、材料調達の観点からブラジルでの楽弓の生産がにわかに盛んになっているのだそうだ。

今回、借りてきた2本の弓だが、SOUSAのNickel ArtisanとARCOSのSartoly Replicaで、どちらもブラジルのブランドの弓だ。自宅で数日引き比べてみたが、どちらも楽に音が出せる。これまで使っていた弓より音の立ち上がりが早く、明らかにクリアな音色だが、ARCOSの方が質感のある、よりハッキリした音色で、それと比べるとSOUSAの方が柔らかい音色だが少し輪郭がぼやけた印象となる。ARCOSの方が細身で、多少手元寄りに重心があり、SOUSAはそれと比べればフラットな感触。その分、操作感としては、ARCOSの方がシャープに動く気がする。弓は素材で7割決まるという話も聞いたことがあるが、おそらく、素材の木材の質はARCOSの方が上で、それが音色の質感として現れているのではないかと思う。ただ、値段はARCOSがSOUSAの倍するので、それを考えるとSOUSAは抜群にコスパが良い。

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SOUSAの弓、コスパが抜群。初心者だったらSOUSAをお勧めする。装飾が可愛いのも良い。

しかし、ぼくの選択はARCOSであった。一度違いがわかってしまったからには、少しでも良い方を選びたい、大人の趣味というのはそういうものである。(未だ続いているコロナ禍の引きこもり生活、そのおかげで浮いた飲み代を投じたと思えば、、)

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ちなみに、楽弓にはスティックの手元のところに刻印があるが、ARCOSの弓では工房のブランドではなく、作家一人一人の名前が刻印される。この弓には、A. Carlesso と印されている。

ARCOSはブラジルでの楽弓制作の老舗で、楽弓制作にとっての地の利を活かし、質の高い材料を使用し、世界最高峰の楽弓製作家と言われるピエール・ギヨームの指導を受けた職人による確かな技術によって、ブラジルの楽弓というブランドを一躍世界レベルにまで押し上げた実績を持つ。また、ペルナンブコの違法取引を非難すると共に、自らは植樹をはじめ、ペルナンブコの保全活動を展開しているそうで、そうした社会的な姿勢にも好感が持てる。

これら、ブラジル産の弓だが、まともに弾いたことはないので想像の域を出ないが、欧州産の弓と比べれば(三桁万円とかざらにある)かなりコスパの良い買い物なのではないかと思う。たしかに、フランス産とか名工の作品とかに憧れるし、死ぬ前にはそうした逸品も手にしてみたいとは思うが、当面はこの弓で十分そうだ。

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